355話:人間差別
僕はウェベンと賑わうケイスマルクをネクタリウスの案内で歩く。
「ここって幻象種もたまに見るんだね」
「元よりここは幻象種が住んでいた土地なのだよ。そこに西から追われた人間たちが移住してきたのだ」
「追われた? ここって魔王より前に人間が住んでたって聞いたけど」
僕の質問にネクタリウスはちょっと考えて答えた。
「まだ子供だからか。それとも親自体がこの周辺の者ではないからか?」
「母馬は南の山脈越えてずっと東に行った月の川辺の出身っぽいよ」
ネクタリウスはちょっと驚いた顔をして頷く。
「それほど遠ければ納得もできるというものだな。…………人間は海を挟んだ西の大地に神より降ろされた。つまりこの東の大地は古くから幻象種が栄え安定的に暮らしていたのだよ」
そう言えばエルフ王も昔は人間いなかったとか言ってたっけ。
この辺りは人間がいない時には幻象種だけが暮らしてたらしい。
「かつて人間は短命すぎて嫌われていた」
「え、そうなの?」
「最初に人間を拾ったのは姿の似たエルフとドワーフだったと聞く。混血すれば子はできたが、短命すぎて一族が絶えると忌避されたそうだ」
千年は生きるエルフに百年しか生きない人間のハーフがいたらどう思われるか。
人間で言うと百年生きられるはずが、十年で死ぬ子供ばかり生まれる、とか?
…………なるほど存続の危機を感じるレベルだ。
「ただ繁殖力は強く、短命とは言え数を増すことで生きる素地を築いた人間は、住処を求めて西から少数渡って来たらしい。そしてこの地にて、我らフォーンと出会った」
「つまり住みにくい西から逃げてきたわけだ。フォーンは短命な人間を追い出そうとはしなかったの?」
「私たちは満ちる月の華やかさ、巡る春のにぎやかさを知っている。短命であることを理由に人間を排除しなかった」
西では人間差別があったけど、こっちでは短命でも受け入れられたらしい。
「今では人間が多数を占めるようにはなったが、周辺における人間の隆盛の始まりの地はここなのだよ」
魔王時代にもこのケイスマルクだけは改宗を免れたんだっけ。
それだけ特別な土地っていうことを、魔王も認めた場所だったようだ。
「確か森にもここに住みついた人間の子孫がいると聞いたことがあるな」
「もしかして魔女? そうか、魔女はかつて人間も幻象種も区別せずに取りまとめ役をやってたって言うし。幻象種と暮らしてたからなんだね」
まだ人間が少なく幻象種との共存を基盤に考えていた名残りなのかもしれない。
「おぉ、やはりまだ存続していたのだな。この国でも人間優位を謳う若者が増えている。嘆かわしいことだよ」
ネクタリウスはサテュロスに似た髭面で破顔した。
人間が増えた今、幻象種を魔物と呼んでいる人もいる。
そう思うと人間と幻象種の対等な関係が認められているケイスマルクは残ってほしいと思えた。
「おっと、話している内に着いたな。もう目の前だ」
「目の前って、もしかしてこの人だかりの向こう?」
ネクタリウスが足を止めたのは人垣の前。
店の看板さえ見えないほど人が連なってる。
「冬至祭に参加するらしくてな。珍しく開いたものだからこの騒ぎだ」
「ドワーフの国と似たようなものだね。こうしてみると人間も幻象種も変わらない気がするなぁ」
僕の言葉にネクタリウスは微妙な顔をする。
「何?」
「君は本当に…………いや、やめておこう。その知性と理性の輝きを穢すつもりはない。できれば今後ともそのまま成長してくれるよう願っておこう」
「はは、変だってよく言われるけどそのままでいいって言われるのは珍しいな」
ネクタリウスは周囲を警戒するけど、ここにいるのは食欲に負けた人たちだ。
僕らを気にしてはいない。
と思ったら、手招きされて囁かれた。
「正直、あの領主の収集品が館ごと燃えたと聞いた時には胸のすく思いだった」
声を潜めてそんなことを言う。
その上で口止めの印に指を一本立てた。
「ご主人さま、どかしますか?」
ネクタリウスのジェスチャーは見てたはずなのに、ウェベンは気軽に聞いてくる。
「えーと、力尽くは駄目かな。て言ってもこれじゃ進めないしどうしようか」
「食事が目的で来たのなら、今回は諦めたほうがいい。普段なら店が開いてすぐに客を入れるが、今回は全くそんな素振りがないのだよ」
「こんなにいっぱいお店に入るの?」
「席の分だけ入れて食べさせたら即座に叩き出すのだ」
「わー、荒っぽい。それなだれ込んだりしない?」
「味わう気がないなら帰れとそれも叩き出されるな」
戦闘向きじゃないと言ってもそこは悪魔。しかも受肉してるから、ただ呼び出すより強い状態だ。
「そう言えば、なんで受肉したんだろ? 確か魔王には従ってなかったから序列もないっていてたよね?」
ウェベンを見るとすぐに答えてくれた。
「序列にいた悪魔が自らの料理人を呼びたいと願い、受け入れられたのです。主人である悪魔は最後の戦いで倒れあるべき場所に帰っています」
「それ、主人のほうから呼び戻されないの?」
「闇の深淵では寝食できませんので、呼び戻す理由がないのです」
どうやら受肉したからついでに飲食してみようと、本当にただの好奇心でコーニッシュは地上に呼ばれたらしい。
コーニッシュの上司に当たる悪魔の気持ちがわからなくもない。
「それで? 結局どうするんだね?」
案内だけのはずなのに、ネクタリウスは僕たちが次の行動を決めるまでつき合ってくれるらしい。
「僕はコーニッシュに会いに来ただけなんだけど」
そう答えた時、人垣の向こうから激しくドアを叩き開ける音がした。
続いてどよめきが目の前の人間たちに波及する。
そして人垣が乱暴に押し開かれたと思ったら訪ねてきた相手がいた。
「待っていたよ、我が友!」
「あ、コーニッシュ。良かった。どうやって店まで近づけばいいかわからなかったんだ」
突然現れたコーニッシュにネクタリウスは唖然とする。
「ご主人さまを待たせるとはなっていませんね」
「今のところ燃えるしか能のない奴は放っておいて、来てくれ、我が友!」
「そのテンション、また何か作ったの? あ、ここまで案内してくれたフォーンにも出してくれる?」
「我が友が願うなら!」
「えぇ!?」
快諾するコーニッシュにも驚くネクタリウス。
だけど驚いてるのは周りの人間も同じだった。
驚愕の声を上げたのはコーニッシュの店に人垣を作っていた者も一緒で、一手に視線の集中したネクタリウスは人間よりも尖った耳が猫のようなイカ耳みたいになってしまう。
「なんなのだね? いったい何が起きて…………」
「あなたもご主人さまを待たせてはいけませんよ」
コーニッシュに店に引きずり込まれる僕はもう店の前まで連れて来られてる。
そんな僕たちの後を追うように、立ちすくんでいたネクタリウスはウェベンに押し入れられた。
「わ、私は、寿命を差し出す気は…………」
店に連れ込まれ、席に座らされてなおネクタリウスは耳を下げて警戒ぎみだ。
「店がそういう決まりなんだっけ? コーニッシュ、試すのは僕だけにして」
「もちろん! 対価がなければ座りが悪いだけで、特に寿命を必要としているわけでもないから」
そう言えば金か寿命かを選ばせるのがコーニッシュの店。
そして特にいらないけれど食事と引き換えに求めるのは、悪魔的なこだわりかららしい。
店の前にいる人間を無視して扉を閉めると、コーニッシュは勇んでキッチンに入っていく。
すでに店内には食欲をそそる匂いがしていて、ほどなく出されたのはブイヤベースっぽいスープだった。
「これ森でも飲んだことあるやつだよね?」
「そのとおり。材料は同じ、こちらで揃う物で作った。何が違うかを聞かせてくれ、我が友!」
具なしのスープに見た目の違いはない。
完全に緊張してスプーンを握る手にも無闇に力の入るネクタリウスを横目に僕は一口飲んだ。
濃厚なスープは良く煮込んであってまったりとしたコクがある。
澄んだ色をしているのに塩味も強くて、香りも香味野菜やハーブがガツンと来る感じだ。
「ほぉ…………。これは、これは難題だぞ? 違い? これほど完成した味を調えてあるというのに、場所を変えた以外の違いなどあるのか?」
ネクタリウスは呆けたような声を上げた後、僕を心配してそんなことを言う。
確かに味付けは同じだった。
だからと言って味が違わないわけじゃない。
「これ、水の味が違うよね?」
「み、水?」
「そのとおりだ、我が友!」
ネクタリウスが驚くとコーニッシュは飛び跳ねて喜ぶ。
本当に普段はいるかいないかわからないくらい静かなのに、料理のことになると元気だなぁ。
「森の水とだいぶ味が違うし、なんだろう? 舌触り? 飲み込んだ時の引っかかり、みたいな?」
「そうだ、水の質が大きく違う。そもそも水の湧く場所、水がしみとおる山の質が違うんだ」
語り出すコーニッシュに、ネクタリウスは目を白黒させながら聞いてる。
ウェベンは従僕っぽく黙って立ってるだけで、ちょっと横目に見るとすごく興味なさげな顔してた。
ウェベンに食欲はないのかな?
「なるほど、これほどの料理人に友と呼ばれるにはそれほどの…………むむ? 水?」
ネクタリウスは逆にコーニッシュの言葉に感銘を受けたみたいでスープとにらめっこを始めることになった。
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