345話:冷や水
他視点入り
ジッテルライヒ副都地下で、私はシアナスと共に息を殺す。
暗く魔物の住処になっていた場所にヴァーンジーン司祭はいた。
相対する相手は頭から毛織物を被っていて体格さえ定かではない。
けれど織り模様でどうやら流浪の民らしいとわかる。
「さて、それではそろそろお話を聞こうか、フューシャくん?」
ヴァーンジーン司祭が私の隠れた通路に目を向けた。
ばれている。
同時に流浪の民らしき人物は床に溶けるようにして姿を消した。
一体なんの魔法? 見当もつかない…………。
ヴァーンジーン司祭がいるのは真っ直ぐな廊下の突き当り。私とシアナスがいるのはその廊下に垂直に通じる別の廊下。
見通しが悪いわけじゃないのに、もう一人は完全に消えてしまっているなんて。
「…………お話しいただけるなら、お聞きしますけれど?」
正直、まだヴァーンジーン司祭を追い詰めるだけの情報は得られていない。
今の密談も話の内容は聞こえなかった。
けれどこれ以上隠れてはいられない。
「私を探っていたようだけれど、何か怪しまれるようなことをしたかな? この地下のことを黙認していたことは不審の種だろうけれど、蜂の巣をつついて被害を広げるわけにはいかなかったこちらの窮状くらいは察してほしいね」
思わず眉を顰める。
今ヴァーンジーン司祭はこの地下に巣食っていた魔物のことさえ知っていたと自白した。
悪い予感がする。
身を隠すために軽装で来たのは間違いだった。
動きを悟られないようにここにいることを誰にも知らせていないことも。
「…………君のその慎重さを買ってはいたんだけれど、これ以上は邪魔にしかならないようだ。残念だよ」
やはり罠だ!
私はすぐさまヴァーンジーンには見えない廊下から距離を取ろうとした。
けれど振り返った瞬間、床から先ほどの毛織物を被った人物が湧きだす。
「な!? いったい何処から!」
音が鳴るから私は剣を持っていない。
白く目立つ鎧も着ていない状態では、ヴァーンジーンのいる廊下に下がることしかできなかった。
遅れてシアナスが突然現れた人物に向かって、音が鳴らないよう包んで持っていた剣を抜く。
「あら、そんなに睨まないでくださいませ。あぁ、恐ろしい」
嘲弄するように言った人物は毛織物を脱ぎ去り、その美貌を露わにした。
「ヴァシリッサ!? そう、影を移動するダムピール…………」
「本当に恐ろしいこと。何故あんな猛獣と仲良くできるのだか?」
ヴァシリッサは今までのしおらしさを捨てていた。
こんな相手と密談をしていたヴァーンジーンを私は睨む。
「どういうことか、ご説明願えるかしら? ことと次第によってはあなたを許すわけにはいきません」
腰の鞭に手をかけて脅しかける私に、ヴァーンジーンは普段どおり答える。
「何処から聞きたいのかな? 森でヴァシリッサが突如現れたこと? それともエルフの国で暗躍したこと? あぁ、そうそう。エイアーナに魔王石があると私に一報をくれたのはそのヴァシリッサだよ」
「つまり、エイアーナへ魔王石を回収に行けと言った時からあなたは暗躍していたと」
まずい。
こんなにあっさり教えるのはおかしい。
何かここで私たちの口を封じる用意がされているはずだ。
時間を稼いで逃げなければ。
この情報をなんとしてもランシェリスに届けないと。
「あなたの狙いは魔王石ですか?」
「いや、狙ってはいたけれどあくまで魔王石は手段だ。そしてダイヤモンドについては、よく働いてくれた。感謝しているよ」
笑顔のヴァーンジーンの横面を張り倒したくなる。
ビーンセイズで流浪の民を邪魔したことは想定内?
だとしたら何故流浪の民と組んでいるの?
困難を演出して自らの価値を高めるため?
けれど私たちを請け負っていることはすぐにわかる。
そんな自作自演、反感を買うだけのはず。
「…………次はケイスマルクのアメジストが狙いかしら?」
この場から逃れるには全員の足を止める必要がある。
ヴァシリッサの能力は未知数、同性であることからお互いに能力は効かない。
けれどヴァーンジーンが私たちへの対策もなしにこんな罠を張るとは思えない。
だったら、罠さえ使えないように事態を変えて活路を見出さないと。
「あら、狙いを当てられてしまいましたよ、司祭さま。本当に小賢しいこと。けれど、ふふ、その足掻きも無様で楽しいわ」
あっさり肯定したヴァシリッサは、片腕で肘を支える姿勢を取り攻撃の様子はない。
「手に入れやすいことを考えればアメジストですからね。あそこから魔王石が盗まれたとなれば、もう各国は対岸の火事などとは言っていられなくなるでしょう」
エイアーナ、ビーンセイズ、シィグダムと魔王石で国が揺らいでいる。
森の異変は周辺国もわかっており、魔王石が関わっていると気づく国もあるだろう。
森と国境の接していない国々も、ここに来てさらにケイスマルクに異変があれば世を騒がそうという悪意に気づく。
調べれば流浪の民の関連がわかり、魔王石を狙う動きにも…………。
「…………え…………?」
ヴァーンジーンの言葉に思考を巡らせていた私に衝撃が走る。
胸元を見ると剣先が突き出ていた。
一声漏らした口からは血が溢れる。
肩越しに背後を確かめれば、私の従者だった者が、私に、剣を突き立てていた。
コロッセオから出た僕は、御前会議とかいうものに連れて来られた。
僕の行いを罪に問うべきだという人たちと、妖精王とエルフ王に謝罪すべきだと言う人たちがうるさく討論し続けている。
「あんな蛮行を許す法などない! これは国の威信を揺るがす大罪だ!」
「威信を保つというなら、他国の王の使者を捕らえた罪を潔く認めるべきだろう!」
ずっと平行線。
一応僕に付き添ってエックハルトもいるけどうんざりした顔だ。
周りは全身鎧の兵に囲まれて、身動きする度に睨まれるせいもあると思うけど。
「あのアイベルクス軍を退けた森の勢力が我が国になだれ込んだらどうするつもりだ!」
「森に接していない我が国に森の勢力など来られるものか! 臆病風に吹かれおって!」
「そうだ! だいたいエルフ王が何ほどの者か! 魔王討伐にも加わらなかった腰抜けであろう!」
「お前は何を見ていた!? エルフ一人に五百年不動だったコロッセオの結界が消されたんだぞ!?」
どうも会議に参加する人たちの懸念は同じ。
危険だから法に則って僕を殺そうという派と、危険だから敵にしないよう僕を許そうという派。
ユニコーンだってばれてないのに結局怖がられてるなぁ。
「フォーさん、こりゃ埒が明かねぇぜ」
「御前会議で私語は控えろ」
エックハルトに全身鎧の兵が注意する。
僕がその兵を見ると金属をガチャつかせて怯えられた。
「ねぇ、だったら何か言いたい時はどうすればいいの?」
「ぼ、傍聴人に、発言はゆる、許されていない、です」
「それって僕、いる意味なくない? 帰っていい? まだやることあるんだ」
いつの間にか会議が静まり返っている。
なんだっけこういうの?
冷や水を浴びせるって言うんだっけ?
領主は代表として言葉を選んだ末に短く聞いて来た。
「や、やることとは?」
「ここに来た目的が達成できればすぐに森に帰るよ」
もちろん魔王石オパールの回収だ。
「別に君たちが自分たちの法を行使したいならすればいい」
僕の言葉にざわつく。
えー、さすがに僕も悪いと思ってるんだよ。
だから僕を法に照らして罰そうって人に、別に怒ったりはしない。
「けど、僕が人間の法に従う義理はない。従わせると言うなら力尽くで来るといいよ。そのほうが僕も気兼ねなく反撃できる。今度は迷わず心臓を潰すから」
金羊毛には申し訳ないけど、最悪ペオルに頼んで逃がしてもらおう。
まぁ、けどここにいる人間たちの怯え具合見ると力尽くでは来ないかな。
恋の妖精二人に手を焼いてたくらいだし、あまり対処能力は高くなさそうだ。
とか、やる気の自分が嫌になるな。
あーあ、こんな乱暴なこと言うことになるなんて。
なんだか大グリフォンの街でのことに毒されてると思うのは責任転嫁かな?
「ただ今回は僕も悪いと思ってる。最初はエルフが冤罪で捕まってたことだけど、コロッセオでの決まりとか何も聞かないまま闘技場に出ちゃったし。相手になった剣闘士が色々教えてくれたけど、結局最後まで聞かずに気絶させちゃったし」
本当に腕を踏み潰すのはやりすぎだった気がする。
だって、前世にも乱暴な戦いがスポーツと呼ばれてた事例があった。
レスリングでもボクシングなんかでもルールはルールだし、観衆の野次は全て込みだ。
ルールも暗黙の了解も何も調べずに飛び込んだ素人が、観客を襲っての場外乱闘。
うん、こう考えると僕も悪い。
ただ僕を参加させちゃったほうにも非はあるから、殺さなかっただけましだと思ってほしい。
「もちろんこのことはエルフ王に報せるし、僕がやっちゃったことも伝える。だからその後はそっちで対応してね。僕のほうは妖精王が出て来るまでもないようにするから」
実際は出て来られないんだけど、そこは言わずにおく。
誰も発言をしない中、領主は三回唾を飲み込んで決を取った。
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