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344話:生殺与奪の権利

 親切な剣闘士を気絶させたら、観客から止めを刺せとブーイングが起こった。


 僕は審判を見据える。


「殺さないよ」

「いや、殺さねばならん。負けた者には死を。死を回避するならば観客を満足させて命乞いを受け入れてもらわねばならん。だが、この者は無様に負け試合を穢した」


 睨むと審判は口を閉じる。


「うるさいな」


 やまないブーイングに呟くと、審判は高圧的さを前面に出した。


「立場をわかっているのか? お前は罪人としてこの場に引き出されている」

「どういうこと?」


 聞き返す僕に審判のほうが驚く。


「今やっている試合は死刑の確定した罪人が、死力を尽くして死刑を回避するための場だ。一流の剣闘士に勝てる者は少ない。負けて命を請う。そういうものだ」

「知らないよ。だいたい僕はなんの罪なの?」

「散々牢で暴れ、兵を傷つけておいて何を」

「それ以前の問題だよ。ただ旅をしていただけで捕まったエルフたちはなんの罪だって言うの?」


 審判考えるように沈黙する。


 けど背中に隠した片手で何か合図を送ってた。

 二つある僕たちが入った入り口に兵が集まってるようだ。


「この試合の見届け人である私は、罪状を知る立場にない」

「だったら誰が知ってる? 誰が僕を罪人にした?」


 審判は答えない。


 ここに立ってるだけで苛々するし、観客の声もうるさい。


「だいたい、勝負をして勝ったのは僕だ。どうして観客なんかの言うことを聞かなきゃいけないの? 生殺与奪は勝者の権利でしょ」

「いや、所有者の権利だ」

「所有者?」

「…………なんの説明もなしか。いや、そう言えばエルフには言葉が通じないと言っていたな」


 審判は気を取り直したように説明を始めた。


「いいか? 罪人は牢から出られない。だがこうして闘技場に入る時には奴隷となって、その身を保証する主人を得て初めて牢から放たれるのだ」

「そんな人見てないけど」

「直接顔を合わせるわけがないだろう。神官の下で宣誓を行ったはずだ」

「知らないね」


 僕答えに審判も困惑し、ちょっと疑う目をする。


「君が言うとおり乱暴しようとする相手は適当にあしらったよ。少なくとも僕に話しかけようという人間はいなかった。ねぇ、罪もわからず宣誓もなく僕を奴隷にしたという、その僕の主人を自称する人は誰?」

「あそこで立って止めを命じている白い服のお方だ。あの方は監獄の長官をなさっているお方で」


 審判の説明を聞かず僕は動く。


 気づいた審判は止めようと大きく手を上げた。

 同時に兵が闘技場になだれ込んでくる。

 だから一歩踏み出すと同時に威圧を闘技場全体に放って走った。


「ふざけるな」


 呟くと同時に審判も兵も意識を失って地面に倒れる。


 僕は苛立ちのまま走って、目の前の壁も駆け上がる。


「エルフが!? だ、だがしかぁし! このコロッセオには観客を守るための結界がぁぁあああ!? 割れたー!?」


 壁の上部に結界があったから、角で叩き割っると実況者らしい人間が叫ぶ。


 僕は勢いのまま足を乗せた壁の縁が崩れるほど踏み込んで、白い服の人間の下へと跳んだ。

 落下する先には僕の主人を自称する人間。

 そのまま足を振り下ろす寸前、苛立ちが薄れて正気がよぎる。


「あ、まずい」


 ちょっと狙いを外したけど遅かった。

 監獄の長官だという人間の左腕を、僕は踏みつぶして着地する。


 階段状の座席に倒れ込んだ人間が、一拍遅れて獣のような咆哮を上げた。

 同時に白い服が瞬く間に赤く染まっていく。


「殺せなんて命じておいて、これくらいのことで悲鳴を上げるんだ?」


 周りの観客は僕の乱入に悲鳴を上げて逃げ出した。

 近くの席にいた人間は腰を抜かしていたり泣き出していたりでみっともない。


「まぁ、命令されるつもりはないけど」


 泡を吹いて叫ぶだけの監獄の長官は聞いてないようだ。

 その間に兵が集まって僕を囲む。


 こんなつもりじゃなかったけど、さてどうしようかな?


「そこの狂人エルフ! 人質を解放しろ!」


 なんかとんでもないこと言われてる。


 兵がすぐ集まるなら何かしら争いが起こることを想定されていたはずだ。

 なのに闘争心を煽って祭にするなんて、考えるほど碌でもないなぁ。


「待て! 待つのだ!」


 一触即発の所に聞き覚えのある声が割って入る。

 見ると、ジェルガエの領主がコロッセオの兵とは違う装備の兵を引き連れて走って来ていた。


「その方は妖精王の使者! 罪人ではないぞ!? 何故そのような方が戦わされていたのだ!?」

「それは僕が聞きたいんだけど、知ってるのはたぶんこの人なんだよね」


 僕は足元で息も絶え絶えな監獄の長官を見下ろす。


 領主はコロッセオの兵の向こうで止まる。

 けれどその兵の囲みを越えて近づく者がいた。


 金羊毛だ。


「フォーさん! そいつが諸悪の根源で見逃せないってことか?」

「あ、良かった。エックハルト、この人の止血してくれない? この足を退けるとたぶん死んじゃうんだよね」


 骨は粉砕していて血管もズタズタ。

 たぶん僕が足で押さえてないと出血量がまずいことになる。


 ウラとジモンはすぐさまベルトや腰布を辺りの兵から徴収して近づいた。

 エルマーとニコルは担架を要請してる。

 エノメナとオパールを持っていた青年がいないのは良かったかかな。


「…………うぇ」


 止血をして足を退けると、潰れていた監獄の長官の腕が自重で千切れた。

 さすがにそれを見た周囲からも呻きが上がる。


 金羊毛は感情を切り離したみたいな顔をして淡々と動いてた。

 ここは任せて良さそうだ。

 僕は領主に向き直る。


「エルフ王から森に向けて発ったはずの使者たちがここに捕まっていた。罪人だと言うんだけどどういうこと?」

「エ、エルフ王の使者?」


 領主が周りに確認するけれど、誰も知らない。


「言葉が通じてなかったみたいだけど、エルフ王の使者はディルヴェティカから森を目指して歩いていただけだと言うんだ。エルフたちは僕が逃がした。負ける気もしなかったから試合は出てみたけど、僕は奴隷になったとか言うんだ。それもどういうことなのかな?」


 一歩近づくと兵が下がる。

 悲鳴を上げる観客が逃げたせいもあるけど辺りは静かだ。


「あとね、闘技場にかかってる魔法。あれ危ないよ」

「ま、魔法?」


 領主の疑問に、僕へ人質解放を要求した兵が答えた。


「いくつか、コロッセオ建設当時からある魔法がかけられていますが」

「それはなんだ? どのような魔法だ?」

「き、危険な物では。魔法を制御したり、乱入を防いだり、観客を守ったりと」

「闘技場の中にいる者を落ち着かなくさせる、精神に干渉する魔法がかかってるはずだけど?」


 僕の指摘に兵は頷く。


「試合を盛り上げるために闘争心を煽る魔法と、観客の要望に応えるよう意識を誘導する魔法が、確か」

「あぁ、そういう魔法だったのか。僕には効果弱くてひたすら苛々するだけだったんだよね。無闇に幻象種にそういうことするのは良くないよ。このコロッセオごと壊してしまおうかと思ってしまったし」


 そう言えば、アルフの加護のある僕に全く効かないわけじゃないあたり、魔王すごいな。

 ここ妖精の侵入も防ぐみたいだし技術力の高さが窺える。


「殺意しか湧かないから、思考力も鈍っちゃって」


 闘技場に入った時にまずいのわかったんだよね。


 振り返ると闘技場内では折り重なって五十人以上が倒れている。

 死んでない、よね?


「僕を奴隷にしたっていう人間を目標に定めて動いたんだけど。客席には精神に干渉する魔法なかったから、心臓踏み潰さずに済んだよ」


 正気に戻った瞬間、心臓は避けて左腕を潰した。

 心臓を踏んでたら止血とか言う話じゃない。


 なんて思ってたら青ざめる領主の後ろにペオルが佇んでいた。

 すごく楽しそうな邪悪な笑顔で。

 誰も気づいてないから姿消してるんだろうけど。


 どうやら僕は、これを見越したペオルに試合参加を促されたようだった。


隔日更新

次回:冷や水

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