270話:海の人魚
ランゲルラントという国の港町に入った。
船なんかは定期船が南の国々と往来しているそうだ。
僕たちは無事に船に乗れて南下している。
行く先はリートゥーバという国。
「オードンって国にドワーフの国との入り口があるんだぜ」
「へぇ、そこだけなの? 他にはないの、ディートマール」
「ふふん、ディルヴェティカにあるんだ」
僕の質問に答えを知っていたらしいテオが得意げに言った。
「うん、あそこ人間には厳しいでしょ。他に人間が使う出入りはないかって聞きたかったんだ」
「ないらしいよ。もともと入り口は数えるくらいなんだって」
「でもすごく広い地下世界だと聞いたわ。私たち授業でやったの」
どうやら知らないのは僕だけらしく、マルセルとミアもドワーフの国にについて説明してくれた。
「ジッテルライヒとは遠いけど、そんなことも授業で習うんだね」
「そりゃ、ドワーフの国から魔法に使える鉱石が来るしね」
「けど途中の国がいいものは買っちゃうんだ」
「あ、それは僕も聞いた覚えがあるかも。確かシィグダムだっけ?」
「そう。そこからアイベルクスにも行くそうよ」
「代わりにジッテルライヒからは魔法の製品を売りに出すんだぜ」
そこら辺は今通れないはずだけど。
もしかして僕、ドワーフの国の交易まで邪魔してるのかな?
僕たちの会話を聞いていたエルフ先生が、教師らしく捕捉してくれた。
「ジッテルライヒに至るまでにエイアーナやビーンセイズも通ることがある。ドワーフの国の産品は珍品として扱われるため、ジッテルライヒに入って来る物量はごくわずかだ」
「そう言えばエルフ先生は何処のエルフなの?」
「…………トラディシャールデ」
初めて聞く名前だけど、アルフの知識に該当があった。
「わ、エルフの国で一番古いところ?」
「知っていたか」
「聞きかじりだけどね」
僕たちは甲板で海風に当たりながら波の立つ海面を眺めてお喋りを続ける。
すると、ミアに通りすぎざま男がぶつかった。
「きゃ!?」
ミアは船の縁にぶつかって悲鳴を上げる。
「何すんだ!?」
「ぶつかったら謝れ!」
「ミア、大丈夫?」
「あれ? あ、私の鱗!」
叫ぶミアは船の縁に身を乗り出した。
「え、鱗ってもしかして人魚の鱗? 落としたの?」
泣きそうに海面を見るミアに確認すれば、確かに頷く。
噛みついて来た魔学生に文句を言おうとしていた男は、人魚の鱗と聞いて慌てた。
「そ、そんな高い物を子供に持たせるな!」
「何を持っていようと本人の自由だ。が、ぶつかっておいてその態度は如何なものかな」
エルフ先生も男の礼儀のなってなさに苦言を呈す。
その間にもミアは泣き始め、ディートマールたちが男への文句を放り出して慰め始めていた。
「泣くなよ、ミア」
「またフォーに貰えば?」
「そうだ! フォーから買い直せ!」
テオがぶつかった男に言うので、僕は一応値段を告げた。
「そんな金払えるか! だいたいよそ見してたのはそっちだろ!」
「そこは両方よそ見してたでしょ」
そう妖精が言ってる。
男の連れはすでに避難して僕たちとの言い合いに関わる気はないようだ。
周りは子供相手、その上エルフが保護者とあって人が集まり始めてる。
基本的に船旅の間の余興とでも思っていそうなやじ馬ばかり。
泣くミアを心配する人間はいないようだ。
そんな中、水音がした。
「あれ? ここそれなりに高いはず…………あ、人魚」
「え?」
僕の言葉に泣いていたミアがいち早く顔を上げる。
そこに水飛沫がかかって、魔学生たちは顔を覆った。
そして離れていた周囲が先に声をあげる。
船の縁には白っぽい鱗の女性の人魚が乗り上がっていた。
「聞いてもいいかしら? この珍しい鱗を落としたのは誰?」
「わ、私です!」
歌うような声で聞く人魚の女性の手には、紫がかった鱗が摘ままれていた。
ミアは涙を忘れて頬を紅潮させると元気に返事をする。
そんなミアの素直な様子に人魚も表情を緩めた。
「可愛いお嬢さんね。この澄んだ水の匂いのする鱗はどの氏族から?」
「え、えっと…………」
答えを知らないミアは僕を見る。
「それは暗踞の森の人魚だよ。僕が貰った物をこの子に譲ったんだ」
答えると人魚が僕を見たけど、口を開いたまま声が出ないみたいだ。
「君、こんな水面から離れていて大丈夫?」
「え、えぇ。あなた、何者?」
「うーん、妖精の守護者って称号を貰ってるとだけ伝えておくよ。詮索はしないでほしいかな」
「…………予言者の言っていた尊貴な者はあなたね。少し、お話をしていいかしら?」
人魚の誘いを断る理由はないけど、周りは人だらけだ。
その上乾燥が苦手な人魚と長話はしないほうがいい気がする。
「僕はドワーフの国へ行くつもりなんだけど、君はこのままランゲルラントを離れていいの? ジッテルライヒ周辺に暮らしてるんでしょ? しかもこんな日の当たる所で話なんて」
「これくらいの距離なんでもないわ。そうね、少し静かな所で話したいから、仲間を呼ばせてもらいましょう」
誰か客が呼んだらしく、諍いは何処だと言いながら船員がくる。
その間に増えた人魚の姿を見ると、船員は船長を呼びに戻っていった。
人間たちは珍しい人魚を見ようとさらに集まり、騒がしくなる。
ミアたちも人魚と話したそうにそわそわしてた。
「見世物になってるけどいいの?」
呼んだ人魚の仲間は甲板に乗り上がると、そのまま水魔法でプールを作って人間たちに愛想を振りまく。
「この辺りの人間なら無体はしないもの。船に関わる人間も海上で私たちを敵に回す愚かさは知っているわ」
そう言うのは最初に乗り込んできた人魚でヴィーディアと名乗る。
周辺では有名な人魚らしく、やって来た船長もヴィーディアが話したいと言うと、甲板の船員以外は行っちゃいけない場所に案内してくれた。
僕たちの周りには人を寄せないよう配慮もしてくれて、ここからなら目を引いてくれてる人魚たちの安否も確認できる。
「それでは単刀直入に言わせてもらうわ。私が聞きたいのは妖精の狂乱の原因よ。海の予言者が海上を通る尊貴な者が答えを知っていると言ったの」
「あぁ、それか。実は、人間が妖精王に攻撃をして、うーん、死にかけたって言ったらいいのかな? ともかく危なかったせいで妖精たちが慌てたんだ」
「妖精王を? 本当に人間って度し難いわね。どうせ妖精王がいなくなるとどうなるかも知らずに欲に走ったんでしょう」
他の人間がいないからか、ヴィーディアは辛辣に言い捨てる。
「人間が悪魔を使ってたから守りを破られて大変だったんだ」
「また魔王のようなことをする人間が現われたのかしら? その悪魔はどうしたの?」
「逃げられた。他にいた悪魔は倒して召喚し直したよ。大体の情報は引き出したけど、全部は喋ってないって」
そうアシュトルが言っていた。
けどアルフを封印した悪魔のライレフが流浪の民に召喚されたことは確からしい。
「…………そう言えば最近人間たちの国で立て続けに騒ぎがあったわね。もしかして、シィグダムが森を?」
「あ、わかる? アイベルクスっていう森の東の国と連携して軍を進めてたんだけど、どっちも今は軍を退いてる。森に人間は入れないようになってるから、その内人の間でも噂になるんじゃないかな」
「そう、妖精王は無事なのね? 正直また妖精が暴れるのはごめんよ」
「そうならないようにするつもりだけど、まだ人間のほうが諦めてないからなぁ」
魔王石を狙う流浪の民があの失敗で諦めるとは思えない。
守りは固めてるけど必ずまた魔王石を求めて攻めてくるのは確かな未来だ。
魔王石を集めてるのも狙われる危険が高まることだけど、アルフ助けるためには必要だった。
「シィグダムの裏にいるのが流浪の民なんだ」
「あぁ、あの魔王信奉者の? あなたよくそんな面倒なことに関わってるわね。私たちは予言に従い今後争いに巻き込まれないよう深くへ潜るわ。森の同朋にも忠告をしてもらえる?」
「うん、わかった。ケンタウロスの賢者も予言で山が動くって言ってたから備えはしてると思うけど」
「山が? それは初耳だわ。厄災が去るのを待てというのがこちらの予言だけれど」
「山の怪物がいなくなったらしいよ」
「それも初耳ね。…………やっぱり潜るだけじゃ不安だわ。少し調べるための戦士を選抜しましょう」
「気をつけてね。悪魔がいるから海中も安全とは言えないかもしれないし」
「…………あなた、本当になんなのかしら? 陸の幻想種なのでしょうけど、こんなに警戒心のない種いたかしら?」
やっぱりばれてる。
アーディより優しげな声だけど言葉に棘があるから、きっと僕のことを話したら怒るタイプだ。
ここは詮索しないでいてもらうため、僕はヴィーディアから視線を逸らした。
「…………聞いちゃった」
離れてるのに人間より耳のいいエルフ先生が、僕たちの話が聞こえて壁にそんなことを呟いてる。
「少しだけ憐れに思えて来たのよ」
他人ごとでクローテリアがそんなことを言っているのが見えた。
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