258話:人魚のありがたみ
他視点入り
私は爪をインクに染めるランシェリスを見て溜め息を吐いた。
「そんなに急いでも他が追いつかないわよ」
「だが、ローズ。これは大変なことだ。すでにアイベルクスがシィグダム王国のようになっているかもしれない」
「それでその報告書を急いで仕上げたからって、アイベルクスで起きているかもしれない惨劇を止めることはできないし、エイアーナに戻る日数も変わらないわ」
シィグダム王国でのユニコーンが引き起こした虐殺に私たちは幸か不幸か居合わせてしまった。
関わったからには無視はできない。
そして調べてみればシィグダム王国が妖精王の住む森への侵攻を目論んでいたことがわかった。
私が直接乗り込んでシィグダム軍の総指令を脅し賺して聞き出したことだ。
さらに面倒なことにシィグダム国王は悪魔を使っていたという。
「頑張っているところ悪いけれどね、続報よ、ランシェリス」
「何!?」
しかも今書いてる報告の書き直し必至の内容だ。
私の表情で察しても、ランシェリスは臆せず聞く姿勢を取った。
「悪魔が戦闘したらしき場所の特定は簡単だと報告はしていたわね」
「あぁ、軍団規模の悪魔いたのではないかと思われる穢れか」
「周辺の住人に目撃情報を求めていたでしょう? 証言者の中に一人、妖精を見ることのできる青年がいたの」
その青年は昼前に妖精たちが恐慌状態に陥ったと言った。
そして昼頃には悪妖精ばかりが闘争心を剥きだしにして走っていたそうだ。
悪妖精たちが向かった先は、私が確認した軍団規模の悪魔がいたであろう方向だった。
「妖精の、恐慌? 妖精王に異変があったためか?」
「そう考えるのが自然でしょうね。そして妖精が恐慌状態に陥るほどの異変があったために、あのユニコーンさんも凶行に走った、と」
ランシェリスは私の冗談がお気に召さなかったようだ。
まぁ、無理もない。
シィグダムの真意を問い質しに来たつもりが聞くべき者はすでに亡くなっていた。
その上城に集まっていた首脳陣もろとも死んでいるので、この国は今大変な混乱状態だ。
世継ぎさえもたぶん死んでいる中、舵取りをすべき人間がいないのだから笑えない。
「そうなると時系列が知りたいな」
「たぶん軍が動いたのが先よ。シィグダム軍が立ち寄った町や村の証言を元にすると、ユニコーンさんが現われる前日には軍が森の近くで密かに陣を作成していたわ」
そんなことはランシェリスもわかっているのが表情で読める。
要は妖精の守護者であるあのユニコーンさんが惨劇を行った理由付けが欲しいのだろう。
魔物と言って討伐命令を取るのは簡単だ。
けれどあの乙女に靡かない冷静な猛獣をどう倒せと言うのか。
体力的な問題や装備の問題、人数の問題があった中とは言え、私たちはすでに負けている。
たとえ今万全の状態で討伐に向かっても、倒せるとは思えない。
「ランシェリス、いっそ国のことは国の者に任せるべきよ」
「ローズ、しかしこの国の者たちは今」
「それはエイアーナも同じだったはずよ。一国でも手に余るのに二国に手を伸ばすのは一緒に崖下へ転落していくだけの愚策でしかないわ」
厳しく現実を突きつけると、ランシェリスは目を閉じて葛藤する。
ここで感情のままに噛み付いてこないのがランシェリスのお上品なところだ。
それとも本人も内心ではわかっているのかもしれない。
助けたいと思う善意や善行を、果たすべきだという使命感だけで動ける世界ではないと。
「ま、あなたは諦めないんでしょうけど」
「ローズ」
「優先順位を決めるべきよ、ランシェリス。皮肉なことに近隣の強国が揺らいだお蔭でエイアーナは静穏を保てるわ」
「…………確かに。ビーンセイズは次の王を決めるため国内に目が向いている。シィグダム王国から南は同盟関係だ。すぐさま戦端が開くことはない」
「首脳陣は丸々いなくなってしまったけれど、軍は健在。すぐさま攻め落とされる危険はないでしょうね」
ランシェリスは考えるように黙るけれど、決意で目が光るようだった。
「よし。エイアーナに戻る。そしてまずはブランカとシアナスを呼び戻して森の様子を聞こう。アイベルクスの情勢を聞ける者を捜さなければ」
「えぇ、ここから大道を通るのは危険すぎるわ。森に近づくなら森の住人を味方につけるべきね」
ランシェリスは書きかけの報告書を未練もなく破棄する。
一つの目標を見据えたランシェリスは強い。
それはいつも隣にいる私が一番知っている。
だから私は道筋を示すだけでいい。
「戻るためにまずは何をしましょうか?」
「王都自体は無傷だ。捜せば実務者は生き残っている。できれば王室を管理していた者がいればいいが」
「血筋を調べるのね。仮の頭を立てれば名目上は実務者たちも動ける、か。そう言えば、王位の継承者には魔王石が必要だと騒いでいる貴族がいるけれど」
「そんなもの、攻め込んだ森の者が戦利品として押収したと言うほかあるまい」
「欲しいなら自分で取り返せって? ランシェリス、それあなたならできるんじゃない?」
「正気に戻っていることと、フォーレンがあの魔王石を必要としていないなら可能だろうな。会えたら聞いてみよう」
冗談を本気にされてしまった。
まぁ、手に入れてもランシェリスならヴァーンジーン司祭を通じてヘイリンペリアムに送るだろう。
そうなった時、あのすまし顔の司祭がどんな表情を浮かべるのか見てみたい気はする。
「次に他国からの使者には一度お帰り願おう」
「あら、いいの?」
「皆、シィグダム王国の商業路を使う者たちだ。使えない今いても意味がない」
いっそ邪魔だから追い払おうと言うのだろう。
「ただし、アイベルクスの使者があれば」
「大道を通ってくるかしら? シィグダムの軍の中で森に入っていた者はアイベルクス軍の侵攻を確認したと言っていたわ」
「どうやって連絡を取るかは、アイベルクスの商館の者にでも聞こう」
この国の王都には通商のための外交窓口として商館が置いてある。
今まで事の次第を正しても代表者は逃げ回っていた。
どうやらランシェリスはそこに乗り込むつもりらしい。
いつもの調子が出てきたようだ。
「これすごいね」
「人間の欲のほうがすごいのよ」
魔法学園にやって来た夜、僕は魔法学園の寄宿舎に泊めてもらえることになった。
枕元のランプで照らしてるのはアーディから貰った人魚の鱗だ。
「あのエルフ先生に警戒され過ぎてて追い出されるかと思ったのに」
「その鱗を取り出して交渉したら簡単だったのよ」
暗踞の森は妖精王の森。
つまり魔法的な力場なんだとか。
そこに住む人魚の鱗は魔法の触媒として優秀らしいということを始めて知った。
「先生たちに取り囲まれた時には困ったなぁ。角刺さりそうで」
「魔学生より身長高かったからなのよ」
うん、そう。
上からくるから額から伸びる角を避けるためにすごく挙動不審になってしまった。
旅立つ前にアーディが新たに鱗くれた。
ビーンセイズで売る約束があると言ったけど、拝み倒されて教師に一人二枚ずつ売ってしまっている。
ビーンセイズの冒険者組合にはガルーダの素材売ったしいいかな?
「あたしの鱗のほうがすごいのよ。でも毟られるのはごめん被るなのよ」
だったら張り合うようなこと言わなきゃいいのに。
「鱗のお蔭で泊まって行けって言ってもらえたし。良かったでいいでしょ」
「いいのよ? 男扱いされてないのよ」
「う…………お蔭で一人部屋だからいいじゃないか」
泊まるとなって僕の性別が問題になった。
問答無用で女子寮に入れられそうになったから、必死の抵抗と訴えで男とは理解してもらえたけど。
問題は僕を見た男子寮の魔学生の反応だ。
この顔のせいで断固拒否の男子学生が発生した。
寝てられないんだって。
「健全な教育の場で間違いが起きてはって言われたけど…………」
「馬鹿が性欲に負けて夜這いでもしようものなら今度はこの寮が血の海なのよ」
「ねぇ、クローテリアは僕をなんだと思ってるの?」
「猛獣の自覚がないから教えてあげてるのよ」
善意には聞こえないなぁ。
「ともかく、ここで一人部屋になれたんだからさっそく抜け出すよ。ちゃんと場所わかってる?」
人魚の鱗を直して聞くと、クローテリアは簡易ベットの上でふんぞり返る。
「当たり前なのよ。この場所から地下に入る道もわかってるのよ」
「そんなことわかるの?」
「あたしを誰だと思ってるのよ。地中に住まう怪物なのよ!」
あー、モグラみたいな?
まぁ、なんでもいいしクローテリアの能力でわかるならいいか。
僕たちの目的は魔王石カーネリアン。
それはこの副都の地下に隠されている。
「ここの地下に広大な古い街が埋まってるのよ」
「広大なんだ。古いっていつくらい?」
「五百年じゃきかないのよ。魔王以前だとしたら二千年近く前になるのよ」
「そんなところよく見つけたね」
「この街は古い街の屋根を基礎にして造られてるのよ。地下室からちょっと掘れば屋根に行きつくのよ」
うーん、本当に地中に住むクローテリアだからこその発言だ。
たぶん普通は地下室をちょっと掘る人いないと思うよ。
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