232話:悪魔の使い魔
急にテレビが消えたような静寂から、波のように戻って来る風の音。
「なんだった? 今聞いた会話は…………」
本当のこと?
気づけば聞こえる声に集中して足が鈍っていた。
追い駆ける砂埃と距離が縮まってないことに腹が立つ。
「今はどうでもいいんだ…………だって、敵を追うことに関係ない」
僕は考えるのをやめて、砂埃を巻き上げる五台の馬車と距離を詰めた。
僕の接近に、一番後ろの馬車から色んなものが投げられる。
避けるのも面倒で角で振り払うと、上手く打ち返せた馬車から被弾と同時に悲鳴が上がった。
怖がるくらいなら逃げるのやめればいいのに。
「止めろ! あのユニコーンを止めるんだ!」
騒ぐのは人間?
巨大な鳥は僕の接近で上空へ移動し、黒い靄が馬車から湧き出す。
牙が鋭い犬や角の大きな山羊、豹や猛禽類もいる。
「あれは…………悪魔の使い魔?」
アルフの知識には、使い魔を貸し与える悪魔がいるとある。
たぶんあれは契約者の守りとなる存在だろう。
アシュトルと戦った時もそう言えば犬の悪魔を呼び出していた。
色んな動物がいるけど気配は同じで、上にいる巨大な鳥もそうだ。
「邪魔するなら関係ない」
次々に襲ってくる悪魔の使い魔に、僕は威圧で迎え撃つ。
感情のまま放った威圧で、半数くらいそのまま消えた。
諦めず襲ってくる悪魔の使い魔には角もしくは蹄で応戦する。
肉を貫く感触じゃないからたぶん精神体だ。
なのに爪をかけられると痛みにも似た感触があり、ひどい不快感が襲った。
「近づくな!」
腹立たしく怒りが募るばかりの攻撃、その上馬車に追いつけないことがさらに怒りを助長する。
ふと思いつく名前を呟くとアルフの知識が開いた。
「ライレフ」
その名前の悪魔は、召喚した相手に優秀な使い魔を提供するとある。
きっとこれらはアルフを襲った悪魔の使い魔だ。
となると、やっぱりあの馬車が怪しい。
「そこにいるの?」
浅黒い肌の壮年男に受肉した悪魔。
あれが敵で僕はあいつを倒さなきゃいけない。
目的がはっきりしたことで、僕は力を込めて一気に突っ込む。
けれど馬車を牽くのも悪魔の使い魔らしく、馬ではありえない動きで馬車を動かし、僕の攻撃を掠めるだけに抑えた。
「うわー!?」
「助けろ! 使い魔を!」
「あーもーうるせぇな!」
騒ぐ馬車の中に向かって、巨大な鳥の上の狩人が使い魔に指示を出す。
使い魔は僕を止める役と、乱暴な運転で放り出された人間を助ける役に別れた。
「…………いない」
馬車の荷台にかけられた布が上がり中を確かめた。
あのライレフという悪魔はこの馬車にはいない。
だったら狙いは他の四台だ。
「俺にだって準備が必要だっての!」
狩人が叫ぶと同時に行く手から高らかなラッパが響いた。
向かう先の道の両脇にある丘から何者かが現われる。
将軍のような恰好の騎馬が丘の上で金のラッパを吹き鳴らした。
その後ろからは整然と行進する軍団が馬車が通る道を開けた状態でこちらに向かってくる。
「あぁ、悪魔の軍団だ!」
「走れ! ユニコーンを殺せ!」
人間たちの騒ぐ声からすると、どうやら現れた悪魔の軍団も敵らしい。
でも僕は悪魔の軍団に用はない。
「少しは警戒してくれよ! なんで走り続けるんだよ!? 止まれ!」
狩人が上から勝手なことを言う。
軍団は従うように僕を止めようと矢を一斉に射かけて来た。
攻撃されたことで怒りと攻撃的な衝動が沸き起こり、瞬間ノイズが聞こえる。
まるでラジオの混線のようなその音に意識を向けると、また視界が暗転した。
頭を振って視界は回復したけど、次に聞こえたのはグライフの声だ。
(さて、そろそろ追うか)
(ご主人さま!? 一人で追うつもりですか!?)
ユウェルの悲鳴のような声に続いてアシュトルもグライフに忠告をする。
(勇猛さは知っているけど、さすがにそれは無謀ではない? 危険よ)
(危険がどうした。狩りをする時はいつでも危険が存在する。とは言え、ただ暴れるだけに固執したユニコーンなど、その内自滅する。さして危険もなかろう)
(ならばすぐに連れ戻せ。そのためなら少々の怪我くらい誰も文句は言わんだろう)
アーディの声にブラウウェルが驚きを隠しきれない様子で聞いた。
(つ、連れ戻せるのか? それに憤怒に染まったままなら連れ戻しても今度は森に犠牲者が出るだけじゃないのか?)
(湖に落とせ、グリフォン。それで正気づかなければそのまま湖に沈める)
アーディの言葉に息を呑む気配が生じて、次の瞬間反対の声が上がる。
(我が友は生きて食べてこそ価値があるんだ。いっそ好きなだけ暴れさせて正気に戻るのを待つべきだろう!)
珍しく感情を露わにしたコーニッシュの声。
ただし発言内容はいつもどおりだ。
(同じことを人間たちも考えるぞ。暴れ回って疲れたところを殺そうとな)
グライフは冷静に返す。
けれど僕は疲れる気がしない。
というか、グライフは僕の邪魔しに来るの?
だったらグライフも…………敵…………?
(だったら、私も行くわ!)
メディサの声が予想以上に近くで聞こえて、僕は少し前に何を考えていたのかを忘れた。
羽根の音が二つ立つと、スティナとエウリアも続ける。
(私たちならあなたと同じく飛べます。地形に左右されません)
(それに私たちなら最悪、石化して無傷のまま連れ帰ることもできるはずよ)
(足手纏いだ)
グライフは切り捨てるように言い放った。
(ただ羽根が生えただけで飛べると思い違うな。重い腕、縦に長い人間の体など飛行の邪魔でしかないわ)
(でも! あなただけに任せるわけにはいかないわ! あなたはフォーレンを食べるつもりで襲ったと言うじゃない!?)
(それがどうした? 人のままでもいられず、怪物の矜持もない貴様が何を知った気でいる)
(種族の違いは今問題ではありません。私たちは妖精王さまより恩を受けた身。その友人を害すと言うのならあなたを止めます)
(やれるものならやってみろ。風の読み方も念頭にない貴様らに俺が捕まるものか)
(飛び立つ前に重い石になっても同じことが言えるかしら?)
(俺を見る前に、その両の目が健在だと思うなよ)
ゴーゴンたちの心情を表すように、髪の蛇が空気を擦るような威嚇音を発する。
傲慢の化身のグライフは、全く相手にしないどころか煽るように返した。
(ちょっと待ちなさい。ここにいる者たちで言い争ってもなんの益もないわよ)
(悪魔が仲裁とは恐れ入る)
(人魚の、確かに悪魔は混乱と争いを好むけれどね、私も相手の思うとおりにことが進むのは面白くないの。あなたも、言い争いの時間が無駄だとわかっているでしょう。一人で行くと強弁する理由を仰い)
アシュトルがグライフに水を向ける。
(ふん、西からの侵入軍にダークエルフだけで対応できるかもわからぬ。妖精は羽虫の不在で統制などとれん)
妖精がどうしたって言うんだろう?
いや、確か森の妖精たちは混乱していたのを見た気がしなくもない。
(ここにいる者は少なくとも森の強者であり独自に判断のできる者だ。戦力として数えられる者を分散させるなど愚者の所業。…………何より、仔馬を連れて戻った時には陥落していたなど笑い話にもならん)
グライフなりに一人で行く理由はあったようだ。
ゴーゴンたちが羽根を畳む音がして、それ以上の言い合いは起こらなかった。
(…………連れ戻せなのよ)
呟くようなクローテリアの声が上がる。
(妖精王が死んでいようとも、まだあいつにはここですることがあるのよ)
何かが床を転がる音がする。
硬いけれど石よりも密で金属よりしなやかな響き。
これは角だと直感的に理解した。
(これを持ち帰って墓を作るって言ったのよ。だったらあいつは妖精王にも墓作るって言うのよ)
(ふん、仔馬が言いそうな馬鹿馬鹿しさだ)
グライフは鼻で笑いながら、羽根を広げるらしい音がした。
(良かろう。ただの獣になり果てていたなら食い殺してしまおうかと思ったが、一度は連れ帰ってやる)
グライフ飛び立つ音がしたと思ったら、音はそこで途切れてしまった。
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