230話:アルフの消失
「…………む?」
アシュトルの胸から手を引こうとしたライレフは異変を察したように声を漏らした。
ライレフの腕はアシュトルから抜けないようだ。
「何故、ぐ…………!?」
突然ライレフは苦痛の声を上げて空いている片手で首を押さえた。
見れば何処からか現われた蛇がライレフの首に深く噛みついている。
その蛇は僕も見たことがある。アシュトルの分身だ。
「蛇の執念を舐めるなよ」
空気の漏れるような音を交えて啖呵を切るアシュトル。
ライレフが引きはがそうとしても離れず、蛇は噛み付いたところから潜り込むように消えていく。
「うぐぅ…………!?」
「正面から戦うことには不慣れでも、搦め手はこちらの得意だ」
胸を貫かれていながら笑うアシュトルは、腕も上げられずライレフに持たれているような状態のまま。
ライレフが苦痛に呻いて宙に浮いていられなくなると、二人揃って瓦礫の散らばる床へと落ちた。
「かは!?」
次に苦悶の声を上げたのはアシュトルだった。
床に落ちた衝撃でライレフの腕が抜け、胸には真っ赤な大穴ができる。
けれどライレフもアシュトルを気にしている余裕はない。
自由になった両手で首を押さえた時には、すでに蛇の姿はなくなっていた。
代わりにライレフの首には蛇の刺青のような物が浮き上がっている。
「ぐ…………!? な、なるほど、常に吾の精神を削る呪いですか」
ライレフは自身が弱体化させられたことに気づくと、すぐさま爪を立てて自らの皮を剥ぐ。
それでも回復すれば首には蛇の模様が浮かび上がった。
「吾では解呪できませんね。やれやれ」
苦しそうなライレフはそれでも余裕ぶって肩を竦める。
アルフの周囲にはスプリガンが守りを固めていた。
僕がビーンセイズで手伝ってもらったスプリガンより大きく立派な装備で鉄壁にも思える。
「人間の浅知恵。そう思ったのですが、備えあれば患いなしとは良く言ったものです」
呟いたライレフは、それまでとは違う鋭い目をしてアルフに狙いをつける。
そして邪魔なスプリガンのただ中に飛び込んだ。
ライレフを睨むアルフが呟いた。
「…………戻ってくるな、フォーレン」
瞬間、視界が切れる。
「アルフ…………!?」
「びっくりしたのよ!」
また街道に視界が戻った僕はクローテリアの尻尾を握って走っていた。
「何かあったのよ?」
「…………急いで戻らなきゃ」
僕はすぐさまユニコーン姿に戻る。
「待つのよ!」
クローテリアは僕の鬣に噛みつく。
今はそんなこと気にしていられず、僕は走り出した。
「アルフの所に帰らなきゃ!」
言った途端鼻先に匂いが立つ。
プーカのパシリカから受け取った金の杯で飲み干した液体の香りだ。
導くように香って来る方向がある。
きっとそっちが帰るべき場所なんだ。
「早い、のひょ!?」
鬣を噛んだまま叫ぶクローテリアを気遣う余裕もなく、僕は速度を上げた。
重しのように後ろに惹かれるマントや剣が邪魔だ。
靴はユニコーンに戻った時に壊れたけど気にしてられない。
身に着けた物がまとわりつくようで、走りにくくて余計に焦る。
「…………見えた!」
可能な限り早く走り続けて、ようやく森が見えた。
瞬間、何かが千切れる。
命綱でも切れたような不安が僕を襲った。
「アルフ!」
反射的に叫ぶと、周りの妖精たちが反応する。
「まだ早くなるのよ!?」
僕の移動を助ける妖精たちの力に、クローテリアが泣くように叫んだ。
でも気にしていられない。
きっとアルフに何か悪いことが起きた。
その確信がある。
「アルフ答えて!」
呼びかけても返事はない。
どころか心の中で呼びかける感覚も見失う。
今までと違いすぎた。
いつもどこかで感じていたアルフの存在を感じられないんだ。
僕は駆り立てられるように森へと走り込む。
道標の香りを掻き消す、焦げた臭いが森の中を満たしていた。
「なんなのよ、これ…………?」
荒れた森にクローテリアは愕然と呟く。
悪魔同士が戦って、森は人間が入った比ではない惨状に陥っていた。
木々は焼けたり枯れたり、異常な成長をしていたり。
土や岩は砕け転がり、時には溶けていた。
妖精たちも恐慌状態で、森中から泣いたり怒ったりする叫びが聞こえる。
「妖精王さま! 妖精王さま!」
迷子の子供のように泣き叫ぶ妖精にも足を止めず、時には木を薙ぎ倒して走った。
行きついた先には高く土を盛った石垣。
建物全てを失くして石垣だけ残った日本の城跡のように高く厚い。
「何処行くのよ!? そっちは壁なのよ!」
気にせず突っ込む僕にクローテリアが鬣を引っ張る。
僕は石に足をかけて駆けあがり、折り重なる石垣を踏破していった。
一番高い場所には作りかけの居館が建っている。
壊れたベランダ、あれだ。
窓桟を足場に、僕はそこにも駆け上がった。
「アルフ!」
飛び込むと、荒れ果てた玉座の間にはメディサたちが立ち尽くしている。
「…………あ、フォーレン」
ゴーゴンたちは泣いていた。
コボルトやシルフ、ボリスも悄然としている。
「わわ、なのよ!」
僕は人化して邪魔なマントや背嚢、剣、母角を落としながら玉座の間の奥へと進んだ。
目はアルフの視界に映らなかった物を捉えている。
鈍色の卵だ。
玉座を置く場所にそんな金属の巨大な塊が現われていた。
「なんなのよ、これ? 嫌な感じがするのよ」
鈍色の卵を見たクローテリアは警戒して近寄ろうとはしなかった。
すると答えが返る。
「わからん。だが、襲って来た悪魔が何やら封印の類を妖精王へと放ったように見えた」
答えたペオルは体に穴が空いたままだ。
足元には意識がないらしいアシュトルが横たわっている。
よく見ればゴーゴンや妖精たちも傷だらけだ。
姿の見えないスプリガンがどうなったか、聞くまでもない気がした。
「この金属の中に妖精王がいるのよ? 悪魔は何処に行ったのよ?」
状況が飲み込めないクローテリアが質問を投げかけると、スティナとエウリアが涙を拭いながら答える。
「妖精王さまは、終わりだと言って、悪魔の軍団を消し逃亡を…………」
「ダークエルフが総出で追いかけているけれど、妖精王さまは…………」
玉座の階段に足をかけてもなんの反応もない。
金属の卵はただあるだけ。
湧き上がる感情を持て余して、僕はその場で足を踏む。
いつの間にかユニコーン化していた僕の蹄で、階段が音を立てて砕けた。
「…………ふざけるな」
「あ、あぁ、目が…………」
吐き捨ててベランダへ向かう僕に、メディサが何か言いかけたようだ。
でも僕は気にせず飛び出した。
僕を抑えつけるものはもう何もない。
そう確信できるくらい今まで感じたこともない身軽さがある。
そしてそれが寂しくて、とても、腹立たしかった。
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次回:森の外の罠




