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229話:アシュトルの敗北

 何かで顔を打たれた。

 瞬間、僕は今まで見ていた光景とは全く違う景色の中に引き戻される。


「どうしたのよ!?」

「あ、れ…………?」


 ここはエイアーナの街道。

 目の前に浮かぶクローテリアは黒い鱗に覆われた尻尾をブンブン振っていた。


「僕、何してた?」

「知らないのよ! 何言っても反応しなくなったのよ! なのにずっと道なりに歩いてたなのよ!」


 どうやら夢遊病のように動く姿がクローテリアには恐ろしく映ったらしい。


 辺りを見てもおかしなことはない。

 けれど内側に気持ちを向けると確かな危機感が湧き上がっていた。


「…………森が、襲われてる」

「本当なのよ? 妖精王から何か言われたのよ?」

「ううん。たぶんアルフは突然のことで僕と視覚を共有したまま対処に当たってる。僕は今、アルフが見ているものを見ていたんだと思う」


 人間の侵入者だと思われた相手は受肉した悪魔で、森に悪魔の軍団を呼び出した。

 対抗するアルフはアシュトルを呼んでさらに悪魔の軍団を呼び出し、死の猟兵と呼ばれる妖精の兵団も参戦させている。


 けれどペオルは倒された。

 アシュトルも相手の悪魔を見た途端、分が悪い様子を見せていた。


「…………戻ろう」

「まずい状況なのよ?」

「強い悪魔が来てるみたいなんだ」


 僕は来た道を足早に戻り始めた。


「クローテリア、周辺の地形わかるんだよね? アルフは作りかけの城のほうに行ったんだ。ここから一番近い行き方教えて」

「わかったのよ。そのまま真っ直ぐ東なのよ。…………たぶん城には守りの魔法を土台に埋め込んで築いてたから、館より防御が硬いのよ。だから妖精王は移動したのよ」


 教えてもらってちょっとほっとした。

 作りかけで大丈夫かなと思ったけど、ちゃんとそれでも館より守れるから移ったらしい。


「僕またアルフの視界を見るね」

「だったらあたしの尻尾掴むのよ。引っ張ってやるなのよ」


 僕は手でクローテリアの硬い鱗に覆われた尻尾を握る。

 駆け足で進む一定のリズムを掴んで、僕は意識を内側に集中した。


 思いつきでやったけど上手くいったようだ。

 視界が切り替わってアルフのいる作りかけの玉座が見える。


「コボルトたちはこっちに来ようとしてる奴らを止めろ。スヴァルトとロミーが悪魔の軍団突破しようとしてやがるから無理をしないよう言え」

「妖精王さまはどうなさるおつもりですか?」


 笑顔のガウナは天邪鬼だから、実際は不安の表情だと声でわかる。


「僕たちも力になれますよ?」

「いや、ここには守りの備えがある。それより状況をわからずに突っ込んでくる奴らのほうが危ない」


 心配そうなラスバブに笑みを見せて、アルフはさらに続けた。


「俺の護衛にはスプリガンを呼ぶ。行け」


 妖精を護衛する妖精スプリガンなら、コボルトよりも守りに適している。

 ガウナとラスバブは頷いて消えた。


「…………待たせたな」

「いえいえ、突然の不躾な訪問は承知しておりますので」


 流浪の民のような姿の悪魔はにこやかにアルフの采配を見守っていた。


「名乗っちゃくれないのか?」

「おや、これは失礼。吾はライレフと申します。新たなる妖精王アルベリヒさまでお間違いはございませんか?」

「あぁ、そういうことか。争いの悪魔を呼び出すとはやられたな。この五百年何処にも召喚されなかったのか?」


 アルフの知識にあるライレフは、邪悪と罪を愛する悪魔だとある。

 争いを広めることを良しとしており、魔王時代には自身も戦場に立って泥沼の戦いを演出することもしていたとか。


「アシュトル、どうだ?」

「はっきり言っておこう。位階こそ私が上だが、戦争では武闘派の侯が優位だ」

「えぇ、抱える軍団も私のほうが多いですから。倍ほどですが」


 戦力差がえぐい。

 それをわかっていてライレフと名乗った悪魔はさらに嘲弄するように言った。


「もちろん、大公が抱える将軍方を呼び寄せられるなら軍団の差はひっくり返りますが?」


 ライレフは楽しそうに首を傾げる。

 まるでアシュトルが配下を呼び出すのを待っているようにも見える姿に、アルフはライレフの意図を察して顔を顰めた。


「おいおい、この森を荒野に変える気か?」

「えぇ、そうできれば喜ばしいことですね。吾は契約に忠実ですが、何より争いが燎原の火となり広がるさまを見るのがこの上なく好きなもので」


 負けが確実となっても争いを肥大化させたいという邪悪な悪魔の享楽。

 アルフがやられたと言ったのは、どうもこのライレフが性格的に争わずには退いてくれないと知っていたからのようだ。


 アシュトルが視線を向けると、アルフは首を横に振る。


「おや、将軍方をお呼びにならない?」


 ライレフは心底残念そうであると同時に、目には変わらず戦意が光っていた。


「なんの準備もなく悪魔の軍団増やすなんて、相応の犠牲が必要だからな。そんなことさせられるか」

「悪魔の軍団に突っ込んでくる勇猛な者たちがいるようですが?」

「そいつらを生贄に悪魔増やせって? 馬鹿言うな。呼んだとしても争いを広めるためにお前が無茶苦茶するのは目に見えてんだよ。だったら、お前一人をどうにかして終わらせてやる」


 アルフが魔法を発動させると城全体に光が波及する。


「俺の城だ。勝手ができると思うなよ」


 瞬間、ライレフの魔力が大きく減る。

 代わりにアシュトルへと魔力が流れ込んだ。


「妖精王、倒壊もやむなしだ」

「しょうがない。また建て直すさ」


 アシュトルは片手を振り上げ、深紅の氷柱を顕現させるとライレフに突き立てる。

 巻き込まれて床は割れ、壁は傷つき、柱を飾る彫刻にひびが入った。


 ライレフは何処からか長剣を取り出しており、深紅の氷柱を切り裂く。

 攻撃を防ぐ一振りで、城の壁には穴が開くほどの風圧を生み出した。

 アシュトルは地力の差がわかっているようで、遠距離攻撃に専念する。

 それをライレフは詰めようと動き回り、瞬く間に玉座の間は瓦礫が散らばった。


「お前もやり返せよ」


 アルフが魔法に光る手を向けると、倒れていたペオルが目を開く。


「では遠慮なく」


 大きな腕をいっぱいに開くペオルは、血に濡れた口を開く。


「我が口の深きを見よ」


 唱えてすぐは何も起きない。

 けれどライレフがアシュトルの攻撃を避けるため着地すると、床が割れてライレフに噛みつくように挟み込んだ。

 割れ目からは悪臭のする何かが溢れ出し、ライレフの体を爛れさせ始める。


「あぁ、受肉するとこういった攻撃が通じるようになるのでしたね。久しく忘れていました」

「本体が精神の悪魔にはあまり効かないこともわかっているがな」


 ペオルは自嘲するけれど、動けなくなっているライレフにアシュトルが追撃を見舞った。

 たまらず裂け目を叩き割って抜け出すライレフの爛れた皮膚は、あまり効いていないらしくすぐに治っていく。


 精神に及ぶ攻撃でなければ効かないのだろう。

 なのに戦闘能力はライレフのほうが上。


「欲に素直なあなたが無駄なことをするものですね、大公。妖精王への義理立てはもういいのでは?」


 笑う余裕のあるライレフは、アルフの周囲にを固めるスプリガンの守備隊を横目にそんなことを言う。

 バフをかける魔法を使ってるアルフに目も向けず、アシュトルはライレフを睨んだ。


「私はここのところ、負け続けなのだ」

「おや、あなたが?」


 ライレフが変なところで興味を示した。

 目の前で邪魔をするアシュトル自体に、あまり興味がない現れのようだ。

 アシュトルもわかっていて顔を顰める。


「任された上、引き受けたからには退けるものか」


 アシュトルが攻勢を強める滞空戦。

 下で足をつけば拘束しようと待機するペオルがいる。


 アルフの目を通した僕には激しい戦闘に見えた。

 なのにライレフから余裕は消えない。


「あなたは将軍たちの上に君臨し全体を見ながら命令を出すべき方。このようなことをしても、あまり面白くはありませんね」


 冷淡なライレフの呟きは、アシュトルの後ろからかけられた。

 いつの間にかライレフはアシュトルの背後を取っていたのだ。


「大公!?」


 ペオルの警告も遅く、アシュトルは剣を持たないライレフの腕で胸を貫かれる。


 動きの止まったライレフにペオルは巨体で跳びかかった。

 けれど蹴り飛ばされてまた血反吐を撒くだけ。

 アシュトルは胸を貫く腕を見下ろしたまま動かない。


 グライフでさえ押された悪魔は、あっけなく負けた。


毎日更新

次回:アルフの消失

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