218話:夜の聖堂
他視点入り
「あの、ランシェリスさま」
「ブランカ、少し整理する時間が必要よ」
見習いになったばかりのシアナスが、私に声をかけようとした従者のブランカを嗜める。
気遣いに成長を感じるけれど、喜ぶ余裕が今の私にはない。
「…………どうしてそうなった?」
戻った従者二人への問いではない。
持ってきた報告があまりにも私の埒外すぎる。いや、人間に推し量れる類の話ではない気さえしてくる。
聞いていた他の姫騎士は天を仰いだり壁に額つけていたりさまざまに衝撃を受け流そうとしているようだった。
「子供の成長って早いのね」
「ローズ…………現実逃避をしたい気持ちはわかるが」
「冗談よ」
正直その冗談は笑えない上にただの事実だ。
フォーレンと別れて数カ月、その間にエルフの国で陰謀を潰し、エフェンデルラントで戦争を終わらせたらしい。
報告書も読んだ。
もうエルフから聞いたエルフの国でも顛末だけでお腹いっぱいだ。
そこにエフェンデルラントと獣人の戦争の顛末がまだ続くとなれば吐き気さえ催す錯覚を覚える。
「何処から突っ込めばいいのかしら? 私としてはその館のお風呂に興味があるわね」
ローズは全く無害なところを話題にする。
いや、よく考えればそれをすぐに作れる技術と人手が森にはあるということだ。
妖精王はやはり侮れない存在だと認識を強めるべきか。
「シアナス、エフェンデルラントは妖精王の介入になんと?」
「私たちが滞在している時には何も。ですが争いを再開することはないと妖精王方は見ていました」
「そうでしょうね。傭兵の国は普段出稼ぎ。今の時期収穫のために出稼ぎが戻る。それなのに戦争に駆り出し続ければ国内で不満が溜まるわ」
一度引けば再出撃は無理だと言うローズに私も同じ意見だ。
「問題は、フォーレンか」
「シアナス、本当にあのユニコーンさんの目が赤くなったの?」
「私たちは見ておりません。ですが、妖精王方はとても気を使っておいででした」
「妖精たちには見た子たちがいて、完全に赤くはなっていなかったそうです」
ブランカたちの下へ戻った時には、フォーレンの瞳は青に戻っていたそうだ。
切っ掛けはメディサというゴーゴンの死だと言う。
「ふ、なんともフォーレンらしい」
「笑いごとじゃないわよ、ランシェリス」
わかっている。
ユニコーンの恐ろしいところは憤怒の化身と呼ばれる性状。
その片鱗が確かにフォーレンにはあったのだ。
そしてそのフォーレンが今、ビーンセイズにいる。
「何もないと思うほうがおかしいな」
誰も異論はない。
シアナスも私たちにビーンセイズ入りを進言していた。
けれど現状は難しい。
「こちらはシィグダム王国の侵攻があった。そして今の国王を簒奪者として弾劾の声明が出された」
出したのはシィグダム王国に与した街だけれど、実際はシィグダム王国の宣戦布告に等しい。
対応を間違えれば即開戦の危うい状況だ。
「けれどね、シィグダムについたはずの街のほうで意見が割れてるのよ。戦争をしたいわけじゃないってね」
遺体回収で私たちは三度行き来をした。
対応した者の中からエイアーナへの仲立ちを依頼する者があり、内情に触れることができている。
「こちらでも戦争ですか?」
ブランカが悲しげに呟いた。
「本当に戦争をしたがっているかはわからないんだ。シィグダム王国は大道という東との道を持っているお蔭で安定している。戦争となれば商人が避けるものだから、ただの脅しという線もある」
南のドワーフの国から入る物品も商人を介してシィグダム王国を通る。
何より大道で繋がるアイベルクスとは繋がりが深いので、そちらが国として通商の邪魔になる戦争に反対するだろう。
「政略的な脅しということでしょうか?」
「私もそう思うわ、シアナス。特に第三者の私たちがこの国にいるとわかっていてやってるんだから、可能性は高いでしょうね」
「どういうことですか?」
「ブランカ、エイアーナに力はない。そんな中で第三勢力となりうる私たちに泣きつくのは目に見えているんだ。つまり、シィグダムは私たちが介入して落としどころを作ると思っている可能性が高い」
面倒なことだ。
私たちは騎士団であって政治屋じゃないのに。
「ランシェリス、私は一度ジッテルライヒに帰るのも手だと思うわ」
「ローズ? 今私たちがエイアーナから離れれば本当に侵略が始まるかもしれない」
「私たちの仕事はこんなことじゃないでしょ?」
私の懸念にローズは真っ直ぐ言葉をぶつけた。
言われて、私はこの国に固執してしまっている自分に気づかされた。
いつまでも世話は焼けないしするべきじゃない。
けれど弱り切ったこの国を見捨てるのは違うと考え、今はさらに深みに足を踏み入れそうになっている。
それはローズもわかっているはず。
ならば何か手立てを思いついたのか?
「…………ヴァーンジーン司祭においでいただくか?」
「あの良く回る口でヘイリンペリアムを泳いでいた方だもの。シィグダムの我儘も上手く宥めてくれるのではない?」
そこまでヴァーンジーン司祭も万能ではない。
ただ周りに優秀な人物と伝手を作っている。
誰か紹介してくれる可能性はある。
そうだ。これは私たちの仕事ではない。
だったらこうしたことを仕事にしている適切な者こそ必要なのだ。
「よし、誤報の件もある。一度ジッテルライヒに使者を出そう。シアナス、ブランカ。戻ってすぐで悪いがまた森へ行ってくれ」
「ジッテルライヒではなく?」
「私たちに割ける人手はない。なら、一番にフォーレンの情報が入るだろう妖精王の下にいてほしい」
ビーンセイズの夜、僕は領主の館がある街の教会にいた。
修道士なんかが寝泊まりするから広いらしく、宿代わりにヴァーンジーンが提供してくれたのだ。
一緒の魔学生たちを起こさず、僕は部屋を出る。
すると教会の聖堂に灯りがあるのを見た。
聖堂の扉を開けると、祭壇の前で膝を突いて祈るヴァーンジーンがいる。
「神さまっているの?」
「さて、寡聞にしてお会いしたことがありませんので」
あ、怒らないんだ。
熱心に祈っているようだったのに動揺もないなんて、まるで神さまを信じていないようにさえ見える。
「こんな夜中にどうしました?」
「あれ? 僕のこと待っててくれたんだと思ったけど?」
「ふふ、幻象種とは本当に一年もせず大人になるものなのですね」
やっぱり知ってるんだ。
ランシェリスから聞いてたのかな。
「君はビーンセイズを乱れさせたいの? 今回のことで教会も信用を失うよ」
ヴァーンジーンが暴いた悪事は聖騎士の汚職であり、犯罪だ。
王都での騒ぎは王家や王都の教会だけの罪という空気だったのに、それがこっちでも罪を犯していたならビーンセイズ全ての教会に疑いの目が向くことになる。
まぁ、実際老王の指示でやってたんだから教会とはずぶずぶだったんだろうけど。
「…………あなたはわかっていて私の提案に乗ったのですか?」
「ううん。地下牢から出て君を見て気づいたよ。あ、巻き込まれたなって」
僕の言葉にヴァーンジーンは笑う。
今までの物静かな大人の笑顔ではなく、悪戯がばれた子供のような笑みだった。
「子供たちの義憤と好奇心なら、僕がいなくてもあそこに突っ込んでいたと思うけど?」
「えぇ。最悪死んでも大々的に捜索の手を打てますから、私としてはどちらでも良かった」
偽悪的に言うヴァーンジーンだけど、助けられるだろうタイミングで兵を連れて来ていた。
きっと聖騎士が戻ったのもヴァーンジーンが仕組んだことで、危険にさらしても命だけは助けられるよう手を打とうとしてたんだろう。
「そうか、君はそういう人か」
僕の呟きにヴァーンジーンは興味深そうな目を向ける。
「ランシェリスは正道を行くために嘘や誤魔化しをするけど、君は自分のやるべきことのために正道を嘘や誤魔化しで曲げるんだなって」
ヴァーンジーンは変わらず笑ってる。
「邪魔をしないなら僕はいいけどね。魔学生たちは君を慕っているみたいだ。悲しませることはしないでほしいな」
「…………賢く理性的、それでありながら情を知る。あなたのその瞳が赤く染まるとは信じがたいですね」
やっぱりユニコーンって知ってるんじゃないか。
けれど態度変えないなんて、すっごい動じない人なんだな。
「君は神さまがいるとしたら何を祈るの?」
だからこそ、僕はただの興味で聞いてみる。
するとヴァーンジーンは真面目な顔で祈るように目を閉じるだけ。
まるで答えは神さまだけが知っていればいいとでも言ってるような気がした。
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