196話:怒りの赤
獣人とエフェンデルラントの戦争は終わった。
収穫を始めたことで再侵攻はなしと獣人側も軍備を解き始めている。
アルフは血の穢れの浄化や森の各所の連絡でこのところ忙しい。
自分で動き回るなんて珍しいことをしている。
僕が手伝うと言っても片手を振って言われるんだ。
「こっちはいいからいいから」
妖精の守護者だからって色々面倒なことを僕に回してたのに。
もしかしてアルフなりの気遣いなのかな?
何かすることがあったほうが気は紛れるんだけど。
僕はそんなことを考えながら、森の中を回って仔馬の館に戻る。
玄関に続く広間に入ると、人化して水槽の水を掬った。
すると上から爪の音が鳴る。
「なんだ、また花か」
「グライフ」
二階吹き抜けの廊下から、目立つ傷のあるグリフォンが僕を見下ろしていた。
階段を使わず降りてくるグライフは、なんだか顔が不服そうだ。
鳥の顔だけど、目なんかにはよく感情が映っている。
そう思っていたら、尖った嘴でつんつんされた。
うーん、手加減はしてくれてるんだろうけど元から尖った嘴だから痛いものは痛い。
「聞いたぞ貴様。獣人の所で流浪の民に攻撃をされた時、目の色が変わったそうではないか」
「え、そうなの?」
「何故言わん…………と言うつもりだったが、無自覚だったか」
呆れるグライフを見ながら、僕は自分の目を水鏡で確かめる。
揺れる水面に映るのは十代半ばくらいの美少女顔。
うーん、たぶん青いんじゃないかな?
っていうか僕、実は成長してる?
そう言えば人化した時身長高くなってるかも。
なんてやってたら、二階から別の羽根の音が近づいて来た。
クローテリアも階段を使わず降りてくると、僕を挟んでグライフとは反対側に着地した。
「火の玉の妖精に聞いたのよ」
「ボリス? そうか、あの時ボリス近くにいたんだっけ」
アルフと一緒に獣人の国に現れたけど解毒の水を避けて森に消えてたような。
そして気づいたら砲台型の爆発を吸収して庇ってくれたんだ。
そう言えば助けてもらったのにお礼言ってないや。
「助けてくれたボリスとシュティフィーにお礼言わなきゃ。っていうかここ数日見てないけど、ボリス何処にいるの?」
「腑抜けておるな、仔馬。あれは傷物の館の地下だ」
「こっちにしかいないから見ないなのよ」
僕が行かないから会わないだけだと両隣から指摘された。
でも確かに僕はこのところ仔馬の館から動いてない。
摘んで来た花の葉っぱを落としながら、僕は目が赤くなっただろう時のことを思い出す。
メディサが致命傷を負ったと認識した途端、頭に血が上って抑えられなくなったんだ。
メディサの命を奪った呪いの矢は、メディサの死体と一緒に消えてしまっている。
強力すぎて一度使うと消滅する類の呪いの道具だったとアルフは言っていた。
「あれが憤怒っていうやつなら、僕はもう二度と感じたくないよ」
「そうなのよ。無害なままでいいのよ」
クローテリアは力強く頷く。
けれど反対側ではグライフが尻尾を不機嫌に打ちつけていた。
「変な奴には変わりないけど、ちゃんとユニコーンだったのよ」
「そうみたいだね。目の色変わらない特殊個体じゃなかったって今知ったよ」
以前ランシェリスに言われたことがある。
あの時は僕自身答えがわからなかったけど、そうじゃなかったって今度会ったら言おう。
「もう二度と怒るような状況になりたくないな。自分でも何するかわからないんだもん」
「つまらぬことを言うな。本能を御してみせよ」
「その上で再戦しろって? やだよ」
はっきりと首を横に振った僕は、思いついてグライフを見つめる。
「グライフ、周りを攻撃しないでね」
お願いすると、グライフに羽根で叩かれた。
「そのような手段、俺の流儀に合わぬわ」
「あぁ、そう言えばアルフが僕の背中にいてもグライフは狙わなかったね」
狙う時にはちゃんとアルフが喧嘩を売った時で、特に何もしてないアルフを狙ったのは、飛竜のロベロだ。
でもグライフは容赦ないところがあるから心配ではある。
僕の知り合いでもグライフに敵対すれば殺す可能性は確かにあった。
「僕と戦う以外の理由でもやめてほしいんだけど?」
「ならば貴様が止めてみせろ、仔馬」
やっぱりそう言うよね。けど嫌だよ。
そんな期待した目で僕を見ないで。
「僕はグライフも殺したくないんだよ」
気持ちを伝えたら、クローテリアのほうが反応した。
「甘っ甘なのよ! こんな百害あって一利なしのグリフォンに何言ってるのよ!?」
強気に言っておいて、僕を盾にして隠れないでよ。
今はグライフも不機嫌じゃないから大丈夫だよ。
「って、あれ? 怒らないの?」
「ふん…………」
「なんなのよ?」
クローテリアも予想外の反応に顔を覗かせる。
グライフはわからない顔の僕を見直して、羽根を広げた。
「なんの疑問もなく俺を殺せる気でいるとは、いい度胸だ」
「あ…………」
「悪くない。その気概忘れるな」
「え、えー?」
グライフ的にはいいらしい。
なんで?
これが幻象種としての矜持とか?
やっぱり僕にはわからないなぁ。
「…………さてと」
花の処理が終わった僕は濡れた手を拭く。
出しておいた花瓶に水を入れて花を生ければ準備はOKだ。
「飽きぬな、仔馬」
「そういう約束だからね」
「いつまで続ける気だ?」
「…………メディサが戻るまで」
「ケルベロスの世話までもが約束か?」
ケルベロスも今は僕が散歩に連れて行っているのを、ついてこないグライフも知っているようだ。
「そう長くはかからないって言われてるから」
「どうであろうな。未だ姿を見ておらん」
グライフは言いながら仔馬の館の奥を見通す。
執務室の庭に面した窓からは館の奥まで見渡すことができる。
列柱の庭の向こうに、広い半円の階段上のベンチがある談話室。
その両脇にある翼室の一つは今、封鎖されていた。
「約束通り戻って来たんだ。…………だったら僕も待つよ」
メディサは戻って来た。
ある日戻ったとゴーゴンたちが告げて、翼室の一つを封鎖したんだ。
「怪物のくせに軟弱なのよ」
「元が人間だったから、怪物の体には慣れが必要なんだって」
怪物として復活すると、体の経験が初期化されるらしい。
そのせいでメディサは体が思うように動かせないでいるそうだ。
羽根が重くて立ち上がれない。
牙が邪魔で喋ることもままならない。
石化の魔眼を暴走させる危険もあって、メディサのために翼室を封鎖している。
「スティナとエウリアが言うには、早く動けるようになろうと頑張ってるって」
一番問題なのは目らしい。
魔封じの眼帯も慣れが必要なのに、体が真新しくなるから慣れも何もなくなるそうだ。
慣れないとひどく酔うとも言っていた。
体調が悪くなると頭の蛇が本能的に攻撃を仕掛けることもあるとか。
それで僕たちに傷を負わせるとメディサが嘆くことになる。
だから近づかないでほしいと言われていた。
「怪物もグライフみたいにやる気でどうにかなればいいのにね」
「ふん、紛い物の命と一緒にするな」
「傲慢の化身はいずれ自業自得で身を亡ぼすなのよ」
聞こえないよう呟くクローテリアだけど、グライフの耳を舐めちゃいけないよ。
絶対あの顔聞こえてるって。
また僕に隠れたから見えないだろうけど、すっごいクローテリア見てるからね?
「僕、花瓶を置いてくるね」
二人はついてこない。
僕の姿が見える範囲なのでクローテリアも残るようだ。
喧嘩するなら止めようかな。
あ、でも空中戦されると僕手が出せないなぁ。
そんなこと思って遠ざかると、背後でとぎれとぎれの声が聞こえた。
どうやらクローテリアはグライフと話をしているらしい。
珍しいこともあるものだ。
仲良くやってくれるといいけど。
「…………馬鹿なのよ」
「怪物なりの…………」
「…………そんなんじゃないのよ」
なんの話をしてるかわからないけど、グライフに好戦的な様子はないようだ。
「まるで死すために…………」
「…………少しだけ、羨ましいのよ」
列柱廊に風が吹き抜ける。
聞こえたと思ったクローテリアの声は掻き消えた。
風は乾いていて、何処からか飛んで来た赤い葉っぱが庭園に舞う。
できれば花の咲く内にメディサには戻ってほしかったなと、僕は小さな花を集めた花瓶を見下ろした。
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