186話:悪魔の保身
他視点入り
私のいる天幕の中では慌ただしく準備をが進んでいる。
「ヴェラットさま、こちらでよろしいでしょうか?」
「えぇ、すぐに取り掛かれるようにあちらの天幕に運んでおいてちょうだい」
流浪の民と呼ばれる同朋が私に見せたのは、祭壇にかけるための豪華な刺繍が施された布。
悪魔を召喚する祭壇を飾るには申し分のない物だった。
私は今、東の大地を離れたトラウエンに代わって悪魔召喚の準備をしている。
「ヴェラットさま、その…………族長からまだかと…………」
別の同朋がせっかちな族長の伝言を持って来た。
失敗続きで焦るのはわかるけれど、今私を急かしたところで計画の進行がかわるわけじゃないのに。
獣人に見せかけて子供を殺し、エフェンデルラントを焚きつけた。
上手く事が運べば、エフェンデルラントが森の中に人間の支配域を作り、ダイヤ奪還への足掛かりにできる。
失敗しても戦争を泥沼化させて悪魔を召喚するための地盤を作る。
そんな計画だからこそ、焦っても良い結果になんて繋がりはしない。
「ここで時間を使わずにどうすると言うのかしら」
「ヴェ、ヴェラットさま…………」
「聞かなかったことにしてちょうだい。確かにコカトリスを投入できなかったことで進捗に遅れは出ています」
「は、はい。あの、それは族長に?」
「いいえ、伝えなくてよろしい。よくご存じですから」
私の言葉に同朋は胸を撫で下ろす。
誰も族長の八つ当たりに遭いたくはないのだ。
本当はコカトリスを森に誘導する手はずであり、コカトリスを使って多くの死を招くはずだった。
可能ならば森の勢力を弱めたかったけれど、上手くいかず族長は荒れている。
コカトリスはエフェンデルラントに放した途端、何者かに倒された。
エフェンデルラントの同朋を使って死体を調査すると、目は潰され毒は無害化され、体中に獣の爪痕が残されていたと言う。
「エフェンデルラントの同朋による調べの結果、コカトリスを倒したのは森のグリフォンとユニコーンである可能性があることをお伝えして」
「やはり、凶獣どもは共闘を?」
「そう考えるべきでしょう。どちらも揃ってエフェンデルラントで目撃されているのですから」
ただおかしな点もある。
グリフォンにはコカトリスと戦ったと思われる傷があったけれど、ユニコーンにはない。
そしてグリフォンに追い駆けられていたという状況を思えば、本当にただの協力関係かは疑問だ。
「ただ断言は避けて欲しいの。まだ調査の余地があるわ。族長には、すでに獣人の国周辺でユニコーンを捕捉したこと、祭壇の準備は予定どおりであること、順次つつがなくと続けてお伝えして」
「かしこまりました」
同朋が出て行く姿を見送って、私は思わず繰り言が漏れた。
「まさか素材も取れないなんて」
きっと妖精王に連なるあの幻象種たちが持って行ったのだろう。
森には妖精の鍛冶屋があると聞く。
道具を使うダークエルフもいるのだから、妖精王の命令で回収したかもしれない。
「そう考えるとやはり配下に?」
思考が逸れる。
今は目の前の悪魔召喚に注力しなければ。
呼び出すのはブラオンが召喚に成功したというアシュトルに劣らない大悪魔。
少しでも機嫌を損ねればこちらの命が危ない相手だ。
「失敗するわけにはいかない」
私の声に周囲で作業を進めていた同朋も黙る。
「手を止めないで」
「は、はい!」
私は一度深呼吸をして心を落ち着けた。
ここで失敗は許されない。
この戦争で悪魔を二体召喚する予定だ。
そのためにはもっと血を、憎悪を。
そうしなければ私が贄にされるのだから。
「…………少し出ます。作業は続けて」
鎮まらない焦燥を悟られないように、私は準備中の天幕から出た。
いっそ荒れたいのは私のほうだ。
悪魔召の喚には生贄を捧げるのは定石で、生贄に適するのは数と質の違いがあった。
戦争で数を揃えるなら、生贄となるのは人間でも獣人でもいい。
けれどこれが揃えられなかったら、質を確保する生贄として私が犠牲になる。
「トラウエン…………」
今はいない片割れが悪魔召喚を行うことになっている。
悪魔召喚を成功させるため、族長は質で賄える私を選んだ。
私たちの絆がどれほど深いかも知らないくせに、身内を捧げるという形式的な質を重んじて。
私たちは頷くしかなかった。
流浪の民などと呼ばれる一族に生まれて、族を離れては生きられない。そんな碌でもない世界に置いて行けない。
トラウエンを一人になんてさせられない。一人になんてなりたくない。
「それでも情はある、あなたよりも…………」
風に乗って族長の荒れる声が聞こえる。
離れるように歩く私には、一族への情はあった。
ただ悲願という熱量がないだけ。
正直、一族の悲願なんてどうでもいい。私は生きたい。
トラウエンと一緒に生きていたいだけなのに。
瞬間、流星が駆けるように考えが閃く。
私は反射的に族長の声を振り返っていた。
「生贄の、質…………」
悪魔的な閃きだ。
あまりの考えに手が震える。
これは明確な罪だ。
やれば言い訳は効かない。けれど、これ以上の妙案はない。
「ふ、ふふ…………」
私は踵を返して元の天幕に戻る。
妙案を実行するか否か。どちらにしても、今は急いで悪魔召喚の準備を整えなければならなかった。
僕は今、悪魔に捕まってます。
「この熟成チーズの塩味の中にある旨味が!」
「待って、もご!? むぐ、突っ込まな、うぐ!?」
僕はコーニッシュに後ろから捕まってチーズを口に突っ込まれてる。
お願いだから飲み込むのを待って!
後ろから捕まったせいで角も使えないし、細身でも悪魔だから力が強くて逃げ出せない。
「ふむ、思ったより早く戻ったな」
「なぁに? あの百年放っておいたチーズ?」
ペオルとアシュトルは笑ってチーズ責めを受ける僕を見ている。
まだ悪魔の大魔堂にいたところ、食材調達に出ていたコーニッシュが戻って来た。
僕に気づいたコーニッシュは、一度何処かに消えたと思ったら、チーズ持って戻って来ると、背後から襲いかかって来た。
まさかこんなことになるなんて思わなかったから避けなかったのが悔やまれる。
「フォーレン、私といいことするなら助けてあげるわよぉ?」
「やめておけ、アシュトル」
アシュトルの誘惑を止めてくれるペオルだけど、見てるだけなんだよね。
「お前がチーズを詰められるだけだ」
え、悪魔相手にもコーニッシュこんなことするの?
「嫌よねぇ。私たち食べないのに、手ごろな相手いないとお構いなしなんだから」
「ならば何故、このユニコーンを誘惑する」
「ほら、今妖精王さまの所に人間やエルフいるでしょ? コーニッシュはあっちに回そうかと思って」
「なるほど、それも手だな」
なるほどじゃないよ!
これ、僕が耐えないと姫騎士やブラウウェルが犠牲になるの!?
「コーニッシュ、もご、料理、うぶ、してから、出して!」
「もちろんだ、友よ!」
ようやく放してくれたコーニッシュは、嬉々として何処かへ走り去っていく。
「けほ…………あれ何処に行ってるの?」
「部屋があるって言ったでしょ?」
「試練とは別に各自の部屋もある。もちろんあ奴は調理場を持っている」
「あれ? もしかしてコーニッシュの試練って料理絡み?」
「もちろんよぉ。全ての料理を食べ終わらなきゃいけないんだけど、だいたいみんな食べ終わる前に死ぬわね」
「え?」
「限界まで食べてもまだ食べたくなる料理ばかりで、最終的に自身の吐しゃ物に溺れて死ぬ」
「うわ…………」
それっていっそ料理に対する冒涜じゃない?
あ、コーニッシュ悪魔だったから冒涜的でいいのか。
「うーん、ちょっと後でコーニッシュとは話し合ってみる」
「あれだけのことされて、そう言えるフォーレンの前向きさ好きよ」
「さすが妖精王につき合うだけはある」
ここで引き合いに出されるアルフって。
「ともかく、僕は一度帰るね。悪魔召喚のことも話し合わなきゃ」
「ねぇ、フォーレン。ちょっと気になっていたのだけど、どうしてあなたは人間と獣人の戦争に関わろうとするの?」
「だって悪魔が召喚されたら危ないし」
「そうではない。幻象種であるお主が、何故妖精王を案じ、人間の被害さえ軽減させようというのだ?」
「それは…………」
理由付けなんていくらでも出てくるし、最終的に僕が嫌だって感情論になる。
でもそうじゃない。
アシュトルとペオルが聞いたのは、幻象種としての僕の在り方だった。
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