140話:毒杯を呷る
スヴァルトがエルフ王に酒を捧げることで服従を示す儀式が始まる。
部下が上司にお酌する感覚と同じなのかな?
「いつもこれで謁見は終わるのよ」
「終わったらどうするの? そのまま解散?」
「スヴァルトが森に帰るだけだけど、今回はどうかしら?」
「流浪の民が暗躍以外に何かあるの?」
「いつもはスヴァルトの報告に対して解答を用意して正式な謁見に望むのよ。けれど今回は解答を用意してないから」
「あ、僕たちが急かしたせい?」
「えぇ、後で解答を与えるためにもう一度謁見をするか、非公式な謁見をするかね」
どうやらこれが終わってもすぐには帰れないようだ。
まぁあ、それはいい。今回駄目でもまた流浪の民の尻尾を掴む方法を考えよう。
そのために滞在が伸びるのも問題にならない。
特に期限を区切って来てるわけでもないし。
「…………ねぇ、お酒なみなみ入ってるけど、エルフ王はあれを一気に飲むの?」
「さすがにそれはしないわ。一口飲んでブラウウェルに渡すのよ」
僕はシルフィードのツェツィーリアと大広間を観察する。
ブラウウェルから杯を受け取ったエルフ王は、一度掲げるように杯を上げて一口だけ飲んだ。
「あら? ずいぶん半端な一口ね」
ツェツィーリアはすぐに口を離したエルフ王の動きに違和感を覚えたようだ。
かと思ったらエルフ王は杯をもう一度傾けて飲み直す。
「飲み損ねたのかな?」
「わからないわ。ゴミでも入っていたのかしら? お酒って扱いが悪いと沈殿物が入るって聞いたことがあるわ」
僕たちが話し合ってる内に、杯がブラウウェルに渡される。
そしてエルフ王がスヴァルトに何か言おうと口を開いた瞬間、苦しげに顔を顰めた。
スヴァルトも異変に気づいて、跪いていた場所から腰を浮かせる。
多くのエルフが見守る中、エルフ王は声も出せずに喉を押さえて倒れてしまった。
「陛下!? どうなさったのです!」
周囲のエルフも驚いてエルフ王を囲む。大広間には悲鳴染みた声が響いた。
スヴァルトも駆けつけようとした時、ブラウウェルが立ちはだかる。
「近寄るな、汚らわしいダークエルフ! 陛下に何を飲ませた!」
「何を言っている!?」
「貴様の酒でこうなったのだろう!」
「違う!」
ブラウウェルと言い争うスヴァルトに、エルフたちの疑いの目が集まり出していた。
「衛兵! 陛下に害なすこのダークエルフを捕らえろ!」
「は!」
ブラウウェルの声に兵が動く。
スヴァルトは迷いながらも抵抗の構えを見せた。
ついさっき妙技と言える弓の腕を見せつけたスヴァルトに、兵も警戒してすぐには距離を詰めない。けれど見る間に包囲は形作られる。
「そんな、スヴァルトがやったの? あの人を…………!?」
「ツェツィーリア落ち着いて。お酒を用意したのはエルフでしょ」
「あ…………ご、ごめんなさい。でも、だったら、エルフが、王を? そんなぁ…………」
「誰かが仕組んだんだよ。スヴァルトを陥れるために」
僕は大広間の中で怪しい動きをする者がいないか目を走らせた。
「毒など盛っていない! それよりも陛下の容体を!」
「うるさい! 大人しく捕まれ!」
「最初から怪しいと思っていたんだ!」
「ダークエルフなど信用できるか!」
怒りに興奮するエルフたちは、スヴァルトの声を聞かない。
「おかしい。僕が失礼なことを言った時より感情的になってる? エルフ同士だとこんなもの?」
「いいえ、誰か興奮状態を作る力を持つ者が紛れているかも知れないわ」
「そんなことできるの?」
「えぇ、私も美を求める女性に強く顕示欲を促す力があるもの。それに王が倒れたという異常事態に隙を作ってしまったんだと思うの」
「エルフも感情を操る力ってある?」
「いいえ。できる幻象種はいるけどエルフは違うわ。それにこういうことは精神体が得意とするところよ」
精神体って妖精と悪魔だよね。…………コーニッシュが、なわけないか。
となるとそんな能力を持ってそうなのは。
僕は一人この場に紛れ込んだダムピールを見る。
ヴァシリッサは倒れたエルフ王や、兵に囲まれたスヴァルトを遠巻きに見てるだけ。
顔を伏せてるから怯えているようにも見えるけど、雰囲気からして慌ててはいない。
亡命先の国王がいきなり倒れてこの反応は怪しいんじゃないかな?
「陛下! 気をしっかりお持ちください! 息を、息をしてください!」
切迫した声が大広間に響いた。
玉座でエルフ王は横向きにされている。
どうやら毒を吐かせようとしてるみたいだけど、痙攣していて難しいようだ。
「陛下!」
スヴァルトもエルフ王を心配して声をかけるけど、兵に囲まれていて近づけない。
そして何故かブラウウェルは驚いたような顔をしてエルフ王を振り返っていた。
「ど、どうして…………?」
呟くブラウウェルは転がる杯を見る。
零れた酒が床に広がっていた。
スヴァルトを責めた時に、ブラウウェルが投げ捨てたはずだけど。
そんな騒ぎの中、突然大広間の大きな扉が開いた。
医師が駆けつけたことを期待したエルフの視線の先には、背中に翼を生やしたグライフが立っていた。
えー?
「外で待っててって言ったのに」
後ろには止めきれなかったらしいユウェルがおろおろと大広間を見回している。
「これはなんの騒ぎだ? …………ふむ、なるほど茶番か」
まるで王者のようにグライフは堂々と大広間の真ん中を歩いて状況を観察した。
「ツェツィーリア、あのヴァシリッサって人見張っててくれる?」
「妖精王さまの友、あの人を助けてくれる?」
「もちろん」
エルフ王を心配するツェツィーリアは、僕の返事に頷いてヴァシリッサの見張りを請け負ってくれた。
グライフの姿に引け腰のヴァシリッサは、柱の陰に隠れようとするようだ。
下では毒杯のことを聞き出したグライフが傲慢に言い放っていた。
「ふん、そんなことでこの醜態か。長く生きて経験を積んだであろう者たちがなんと無様なことか」
「そ、そんなことだと! 粗暴なグリフォンが偉そうに!」
反発するブラウウェルを無視して、グライフは顎を上げる。
「仔馬! 出て来い!」
「はいはい」
僕は予想していた呼びかけに応じて、上から降りた。
落下中に元の大きさに戻って、グライフの目の前に着地する。
「見ていたのだろう。何故すぐに解毒しない?」
「すごく痙攣してるし、僕の角を口に突っ込んでも危ないでしょ。吐かせるために水持ってくるのを待ってたんだ」
さすがにケルベロスの舌を貫ける角を突っ込むと、ちょっとの痙攣で喉を突きそうだ。
死にそうな相手を助けようとして止めを刺す真似はしたくなかった。
「ふん、悠長な。水が必要ならばそこにあろう」
「え、何処? って、グライフ?」
グライフは玉座にずかずか上がると、玉座の横の花瓶を掴む。
一抱えもありそうな花瓶を片手で持ち上げるグライフの力強さに、エルフの兵も止めるべきか迷いを見せた。
そして美しく活けられた白い花を無造作に捨てると、グライフは花瓶を僕に向けてくる。
嫌な予感する…………。
けどちらっと見たエルフ王の顔色がヤバいことになってた。
僕の迷いを見て、グライフは不機嫌そうに催促してくる。
「早くしろ」
「うーん、これも人助けってことで許してもらいたいな」
仕方なく、僕は花瓶に角を入れて水に浸す。
途端にグライフは躊躇なく動いた。
「邪魔だ。退け、エルフども」
言いながら、グライフは問答無用で花瓶の水をぶちまけた。
「あぁ、本当にやったよ…………」
解毒のために水飲ませるから、花瓶の水はどうかと思ったけど。さらにその上の横暴さで水浴びせかけるなんて。
あまりの暴挙に周りも止められない。
エルフ王を囲んでいたエルフたちも水浸しで茫然としていた。
「な、な…………!?」
「邪魔だと言ったはずだ」
指弾しながら言葉に詰まるブラウウェルに素っ気なく答えて、グライフはさらにエルフ王に近づく。
「う…………、私は…………?」
「陛下!」
そんな声が聞こえた途端、グライフはエルフ王の顔の上で花瓶を逆さにした。
残ってた水全てがエルフ王の顔面に叩きつけられる。
「ごふ…………!?」
「ふむ、こんなものか」
花瓶を適当に放り出すと、グライフは僕の方に戻って来た。
「今明らかに…………やっぱりいいや。それよりグライフ、どうしてエルフ王を助けたの?」
グライフは基本的に意味もなく手は貸さない。
咳き込んでしまったエルフ王にも聞こえたみたいで目を向けて来た。
どうやらちゃんと花瓶の水を飲んで解毒はできたらしい。
「面白い話が聞けたからな。ここで死ぬのは惜しかろう。労せず解決できる要素は揃っているのだ。少々の行動くらいしてやっても良いと思ったまでよ」
「あ、エルフ王相手でも上からなんだね」
さすが傲慢の化身。
となると水をぶちまけたことの非をグライフに言ってもしょうがない。
エルフ王には後で謝っておこう。助けるためだったんですって。
けど謝罪は後だ。今はスヴァルトのほうが問題だっだ。
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