103話:魔王とゴーゴン
「魔王も取り残されたケルベロスを捕まえようとしましたが無理でしたね」
ケルベロスを眺めるメディサの声に、冥府は神の権能の外だという知識が頭に浮かぶ。
地上に介入しないし介入を許さない独自の世界で、森を支配するアルフも洞窟の奥には手が出せないんだとか。
すると黒い鱗の小さなドラゴンは得意げに顎を上げる。
「ふふん、怪物を強いるのは無理なのよ」
「ケルベロスがいなくなった途端、元気だね」
「フォーレン、あなたは魔王についてどれほどのことを知っていますか?」
メディサは月を睨むように眉を顰めて聞いて来た。
「だいたいのことはアルフに聞いたと思うけど」
「魔王が、使徒であることも?」
「うん、知ってる。ダイヤで魔王復活させようとしていたブラオンって流浪の民は、同じ使徒なのに妖精は裏切ったって怒ってたよ」
メディサたちは嘆きと怒りを、月光に照らされた白い顔に浮かべた。
「そこまで信じ切れていたら、何か違ったのでしょうか? いえ、今を悔いているのではないのです」
「神の罰から逃れようと、私たちは罪を重ねてしまったことが、今となっては嘆かわしいばかり」
「願うことは悪ではないと、妖精王は仰ってくださった。それでも敵わず怨みを買っただけとは」
ゴーゴンたちはそれぞれ過去を思って呟く。
傷ついた顔を見ていると、正直、魔王に与した加害者側なんだろうけど、可哀想だと思えた。
「人は私たちを恐ろしい者と呼びました。そしてそれが私の怪物としての名になり、魔王の下でそのとおりの存在となったのです」
「ゴーゴンって呼ばれるのは嫌?」
「これは自業自得の神罰です。もう人間だった頃の記憶は曖昧だけれど、覚えているのは神に逆らった者の末路として、醜い怪物の姿をさらし生きるよう命じられたことのみ」
妖精と違って、元人間のメディサは忘れるということがあるらしい。
「だからこそ、妖精王さまには感謝しています。五百年前、妖精王さまに出会わなかったら、私は…………」
「フォーレン、妖精王さまは私たちの恩人なのです。妖精王さまは暗踞の森に向かう途中、はぐれた妹を保護してくださった。そして妖精たちの力を借りて怪物のまま戻れなくなった私たちも見つけてくださっている」
「怪物としての性を鎮めるための処置として、私たちは暗踞の森で百年の封印を受けました。自力で正気に戻ることができたかは怪しいですね」
五百年前、魔王の下で戦いの日々を送ったことで、スティナとエウリアは正気を失ってしまったそうだ。
「人魚に追い出せと言われても、庇ってくださった…………」
「人魚ってアーディ? そんなに仲悪いの?」
「実は、姉たちを封印するために冥府の穴周辺の地形を変えてしまったせいで、溜まるばかりだった毒が人魚の住む湖に流れ込んでしまったのです」
スティナとエウリアが目覚めるまでの百年の間に、変えた地形に沿って毒の流れが固定化してしまったらしい。
以前メディサから毒が流れるのは地形を変えたからとは聞いていたけど、二人のためだったんだ。
うーん、これはどっちが悪いとか言えないなぁ。当事者同士だから僕が首を突っ込むのも違う気がする。
それでも仲良くなれる方法があったらいいなと、思わずにはいられなかった。
しんみりした空気に、僕は思ったことを呟く。
「五百年でそういうことは忘れてるといいね」
「忘れる…………?」
「人間って忘れるものでしょう? ほら、妖精王との約束も忘れて森に侵入するくらいだしさ。メディサたちが魔王に与してたとか、もう忘れててもおかしくないんじゃない?」
僕の言葉にゴーゴンたちは顔を見合わせ、一拍置いて笑い出した。
「なるほど、時は流れているということなのね」
エウリアが自嘲ぎみに言うと、スティナは口元に手を添えて微笑む。
「私たちには遠いことだけれど、ね」
そんなゴーゴンたちを見て、ドラゴンは尻尾を振る。
「精神性は人間のままなのよ。生まれながらの怪物であるドラゴンとは違うのよ」
「君とは違うでしょ。メディサたちと違って、怪物かさえも怪しいし」
「怪物なのよ! あたしは怪物のドラゴンなのよ!」
ドラゴンは抗議するとけど、未だに怪物としての名前を教えてくれないんだよね。
「メディサたちは魔王についてどう思う? 復活を願う人もいるけど。もし魔王が復活したらさ、森を出て行っちゃう?」
僕の思いつきの話題に、ゴーゴンたちは真剣な顔になって話し合う。
「治世は悪くなかったですね。魔王には先進性がありました」
「ただワンマンで良い目的のためなら欺瞞も厭わない姿勢はちょっと」
「自分が正しいと思っているから、復活しても同じ過ちを繰り返すでしょうね」
お、おう…………。
思ったより酷評だけど、一定の肯定をしていると思っていいのかな?
「ブラオンは崇拝してるっぽかったけど、メディサたちはそうじゃないの?」
「魔王は自信家でしたから、寄る辺のない流浪の民は縋りたいのでしょう」
「今が不満な人間なら、あの完璧主義の神経質も信仰の対象かと」
「所詮は偶像化。本人を知れば離反する者も出る。それこそ、五百年前のように」
わお、辛辣。
ただ、流浪の民の信仰に嫌悪はないみたいだ。
けど賛同もしない。
「つまり魔王復活にゴーゴンが与することはない、ってこと?」
「信仰を目的とした行いであるなら否定はしません」
「ただダイヤのことは別ですよ。えぇ、それはもちろん」
「森を狙うなら、いつでも石のオブジェにしてさしあげるわ」
「あ、うん。森を守る気持ちとか、アルフへの恩とかわかってるから、変なオブジェ増やすのはやめてね」
水路の辺りに組まれた石化人間のオブジェ、あれ、正直怖いんだよね。
人間たちも一度確認しただけで、その後は怖がって近寄らないし。
「けど、メディサたちと僕は同じだね。アルフに助けられて、森の暮らし気に入ってる」
「ふふ、そうだと思いました」
メディサと微笑み合うと、スティナとエウリアが悪戯な笑みを浮かべた。
「フォーレンはメディサがお気に入りかしら? 拾った羽根を部屋に飾っていますね?」
「うん、すごく綺麗だから…………あ! 体の一部勝手に拾って飾るのって失礼かな!?」
「いえいえ。お連れのグリフォンも、競って自らの大きな羽根を飾るようフォーレンに押しつけていたでしょう?」
部屋掃除してもらってるの知ってたけど、そんなところも見られてたんだ。
「僕の部屋他に飾るものもないし、綺麗だから置いておいていい?」
「は、はい…………」
あれ、やっぱり失礼なことだった? メディサ赤くなっちゃったよ?
「良かったじゃない、メディサ。他者より優位に立ちたがるグリフォンが、優位に立ちたいと思われる対象になるなんて」
エウリアがからかうと、スティナは善意的に頷く。
「ケルベロスの所の草むしりも、フォーレンに手伝ってもらって助かってるのですよ。今度お礼をしようとメディサが言い出して」
「お礼なんていいよ」
「い、いえ! ぜひ、お礼をさせてください!」
「シュティフィーが食べ物に興味があると言っていたから食べ物がいいんじゃない?」
「あら、お部屋に飾るものがないと言うのだから壁掛けはどうかしら?」
「フォーレン、このとおり私たちではお礼の品が決まらないのです」
「えー?」
僕がそうメディサに迫られる中、ケルベロスが草原を荒し回ってから戻って来る。
「ワンワン、バウバウ、アソボ」
「僕と? まぁ、いいけど」
呼ばれて石の上から飛び降りる僕の肩にはドラゴンがそのままだった。
「ぎゃーなのよ!」
「遊ぶって、何するの?」
「オイカケッコ、オイカケル、ワンワン」
「わかった。僕が逃げるんだね」
「ワンワン、バウバウ、タベル」
「…………え?」
「アソブ、タベル、オイシソウ」
「ちょっと! 涎垂らして尻尾振らないで! 目、目! なんか光ってるんだけど!?」
ケルベロスの三対の眼光に晒され、ドラゴンが大きく震えた。
「こいつら本気なのよ!」
「遊びじゃないの!?」
僕は叫んで逃げ出した。途端に大喜びでケルベロスが追いかけてくる。
走る僕の鬣にドラゴンはしがみつく。その背後でケルベロスの牙が空中を噛んだ。
「ししし、し、尻尾食われたのよー!?」
「まだついてるよ! ケルベロス、落ち着い、うわー!」
今度は僕に爪かけようとした!
地面抉れたんだけど!?
月光の中、命がけの追い駆けっこを強制された僕は、最終的に三つの舌を角で刺して止めることになった。
「はぁ、はぁ、はぁ…………。今度やったら一つしかない尻尾、切り飛ばすからね」
「キュゥン、ワフ、イヒャイ」
犬の躾けって難しい。
そう実感した夜だった。
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