第87話 あの踊り子の姐さんはマルグリットさん
グーデンに戻ってクエスト完了の報告を済ませた。
多額の報酬を受け取ってギルドハウスの大きな扉を開けた。
「じゃあ、今度こそお別れだな」
サブマスのライツさんが外まで見送りに来てくれた。
「はい。お世話になりました」
「よせやい。今生の別れという訳じゃないんだ。この街に戻ってきたときに、ふらりと会いに来てくれればいいさ」
「そうですね」
ライツさんと握手を交わす。
「こちらの方こそ、難しいクエをいくつも解決してくれて、とても助かった。もっと難しいクエを用意して待ってるぜ!」
「そうしたら、またがっぽりと稼がせてもらいます!」
これで思い残すことはない。
新しい土地に向けて動き出そう。
「ライツさん。いい人だったね」
「頼りない男であったが、人間にしてはマシな方であったかの」
あとは宿を引き払うだけか。
「そういえば妖精銀のランスはもうできたのかな?」
「それ、ずっと気になってた! 今から見に行ってきていい!?」
「ああ、いいよ。宿の方は私が先に片づけておくから」
アルマはランスの代金を受け取ると子どものように飛び出していく。
「待て! わらわもピンク色の銀とやらが見てみたいぞっ」
ユミス様も白い小鳥に変化してアルマの後を追っていった。
「はは。二人とも元気だなぁ」
気持ちが少し沈んでいるのは私だけなのだろうか。
闇の神ペルクナスや邪瘴を思い浮かべると落ち着いていられない。
――魔物たちの力が強くなっておるのは、強大な力が生まれる前触れじゃ。
――強烈な邪瘴を吸い取った魔物たちが急激に力を強めてしまう。
「今まで知らなかった世界の裏側を教えられて、頭が錯乱しているのか」
凶悪な魔王が生まれて、エルネの街のように人間の住処が滅ぼされている現実を目の当たりにした。
邪瘴と魔王、そして人間たちの危機へとつながる事実は軽く見すごせるものではない。
「とはいえ、人間たちが何千もの古い時代から生き抜いていることもまた事実だ」
歴代の魔王がペルクナスによって生み出されてきても、そのたびに人間の先祖たちは団結して魔王と魔物たちを退いてきたのだ。
「だからユミス様は心配するなと言っているのか」
私が悲観的になっても世界の在り方が変わるわけではない。
「どうにもならないことをうじうじ考えるのはやめるか――」
宿の近くの繁華街で騒ぎが起こってるぞ。
「おい、ねえちゃん。一晩だけでいいからよ、付き合ってくれよ」
「そうそう。ずっと付き合えだなんて、俺たちは言ってねぇんだからよ」
不良どもに女性が絡まれているのか?
人垣を掻き分けると、柄の悪い四人の男がひとりの女性を取り囲んでいた。
「うひょー、見れば見るほどべっぴんだなぁ」
「あんたが踊ってるのを見て、一目惚れしちまったんだよ」
「体つきも、たまんねぇ」
あの褐色の肌の女性は、西門のそばで見かけた踊り子じゃないか。
「あはは。あたしを見て惚れちゃったんだ。それじゃあ、断りにくいね」
あの人は今日も胸と腰をわずかに隠すだけの衣服しか身につけてないけど……あんまり怖がってないな。
「お!? じゃあ、これから一緒に遊んでくれんのか?」
「うーん、どうしようかなぁ」
「じらすんじゃねぇよ! ほら、さっさとこっちに――」
手前にいる巨漢が女性に手を伸ばした瞬間、不自然に後ろへ吹き飛ばされたぞ!
「なんてね。あんたらみたいな下衆に遊ばれる訳ないでしょ!」
繁華街の乱闘がはじまってしまった。
男たちは声を荒げて褐色肌の女性につかみかかろうとするが……あの女の人強くない!?
「はっ!」
正面から襲いかかってきた男の頬を右手でぶん殴り、後ろから近づいてくる男を素早い足払いでいなしている。
「あたしをそんじょそこらの女と一緒にするんじゃないよ!」
力強いが、妖艶な見た目と踊り子の華麗さが合わさって不思議と乱暴さが感じられない。
「すげぇ! あの女っ」
「やっちまえ!」
踊り子や世界を旅する一座に所属する人は、冒険者のように護身術を会得している人がいると聞いたことがあるけど……こんなに強いの!?
「へん、でかい図体のわりに大したことないね。力づくじゃないと女を口説けないのかい?」
「く、くそ……」
アルマとユミス様も強い女性だけど、二人とはまた違った強さをもっている人だ。
「すげえぜねえちゃん!」
「かっこいい!」
まわりの観客がすっかり興奮して、踊り子の姉さんも喜々とはしゃいでいる。
「みんな見てくれたの!? わぁ、投げ銭まで。嬉しい!」
なんか、陽気というか……呑気な人だな。
「あのやろぉ……ぶっ殺してやるっ」
最初に殴り飛ばされた男がダガーをにぎりしめている。
まずい。あの踊り子さんは観客と話し込んでいて、こちらに気づかない。
「しねっ!」
仕方ない。アクアボールであの男を吹き飛ばそう。
「おぶっ」
私の手よりわずかに大きい水の玉によって、男が場外まで飛ばされた。
「まだ元気な人がいたの!?」
踊り子さんのきれいな肌を守り通すことはできたか。
「さっきの男は気絶したから大丈夫。それより、あなた強いね」
踊り子さんは私と目が合うと、すぐに急接近して……近い!
「ありがとう! きみが助けてくれたのねっ」
近くで見るとものすごいきれいだ。
目鼻立ちが整っているが、アルマと印象が異なっている理由は日に焼けた肌のせいか。
女性らしい丸い体つきだが、腕や腹筋はよく見ると引き締まっている。
魅惑的な胸につい視線が落ちてしまうのを必死で我慢する。
「助太刀不要だと思ったけど、あいつが後ろでダガーをにぎってたからさ」
「うそっ、そうだったの? 気づかなかった。ありがとう!」
陽気な第一印象に違わない快活な人だ。
「おっ、あの兄ちゃんはグリフォン兄ちゃんじゃねえか!」
「いやいや、この前、巨人どもを倒したって話題になってたぜ!」
巨人……はサイクロプスのことか。
「この街の冒険者も強い奴らばっかりだなぁ」
「今の冒険者はレベルが高いぜ!」
観衆がすっかり盛り上がって、引くに引けない状況になってしまった。
「きみ、若いのに強いんだね! 名前はなんていうの?」
「ヴェンツェルです。あなたは?」
「ヴェンツェルか。かっこいい名前だねっ。あたしはマルグリット。マルって呼んでね!」
マルグリットさんか。しっかりと記憶しておこう。
「あたしは今日ヒマだからさ。これからお茶でもどうだい!?」
えっ、お茶……?
「きみに助けられたからね。あたしがおごるよ!」
この人は陽気な見た目以上に積極的だっ。
「あ、はは。そっか。じゃあ、しょうがないな。断るのも悪いから、ちょっとだけ――」
「それなら、わらわとアルマも同行させてもらおうかの」
鋭い針……いや、研ぎ澄まされた剣が私の背中に突き刺さっ……いや、貫いた。
「あ……と、アルマも一緒か。ずいぶんと早いお帰りで」
「ヴェンツェルが一人で困ってると思ったんだけど、そうでもなかったみたいだね」
アルマが両手にそれぞれ持っているのは妖精銀のランスと盾か。
そんなことを呑気に観察している場合ではない。
「ヴェンはまったく寸分の隙も与えられん男よの」
「女性と仲良くなるの、うまいんだから」
いやぁ。困った。
踊り子のマルグリットさんは私の手をにぎりしめたまま、きょとんとしていた。




