第84話 今回はイルカですか!?
私も靴を脱いで海に入り、イルカの姿に変化させてもらう。
視界がぐんと下がり青い水面が迫ってくる。
「当たり前ですけど、イルカになると視界がかなり変わりますね。慣れるかな」
「ヴェンもアルマも器用じゃから、すぐに慣れるじゃろ」
「わぁ……ほんとにイルカになっちゃった」
アルマのイルカの姿はユミス様とほとんど同じだ。
灰色っぽい上部の背中に、白い下部のお腹。
長い口が前に大きく突き出している。
丸い顔を水面できょろきょろと動かしている様子がおかしかった。
「ほんとにって、そなたがわらわに要求したのじゃろう?」
「はい。そうですけど……いざ変化させてもらえると違和感が凄まじいので……」
「姿形が変わると感覚もかなり変化するからの」
猫に変化したときと同じく普通に会話できる。
「ユミス様。この姿だと水中で呼吸できます?」
「いや、この姿では海の中で呼吸できぬな。魚の姿なら呼吸できるのじゃが」
「水中で呼吸できないのなら、どうやって水中を泳ぐんです?」
「人間と同じじゃよ。息を止めて海を潜り、息が切れそうになれば水面に出て息を整える。説明するのは面倒じゃから、わらわについてくるのじゃ」
イルカのユミス様が海の中に入ってしまった。
「わたしたちも行こう!」
空気を目いっぱい吸って海の中へ潜り込む。
海の中を旅してみたいと言ってみたものの、いざ海に入ると少し怖いかもしれない。
だが、おそるおそる目を開けてみると……暗闇の彼方に別世界が広がっていた。
ゆらゆらと動く青い世界。
海の中は縦にも横にも広くて、開放感がとてつもない。
小さな魚たちの群れが私たちの前を横切る。
彼らも海の中を縦に横にと無尽に遊泳していた。
『わらわについてこられてるかの?』
脳内にユミス様の声がひびく。
『はい。身体を上下に動かすだけで簡単に泳げます』
『そうじゃろう。イルカの泳ぐ速さは人間など比較対象にもならん。海を旅する探求者じゃな』
海を旅する探求者、か。
『私の知らない世界がまだたくさんあるということですね』
『ほほ。すべてを急いで知る必要はない。そなたの旅ははじまったばかりじゃ。ゆるやかに、気持ちの赴くままに知識を――』
『ふたりとも、ちょっと待ってー!』
遠くから聴こえてくるのはアルマの声か?
『アルマよ、どうかし――』
『わたし……そういえば泳げませんでした!』
なんだと!?
『そなたは今どこにおるのじゃ!?』
『溺れてない!?』
『う、うん。イルカの身体だから、溺れてはいないみたい』
泳げないのに海の中に入りたいとか言うな!
ユミス様と元にいた場所へ急いで引き返す。
元の浅瀬から少し進んだ海上にアルマの扮したイルカが浮いていた。
「アルマ、大丈夫か!?」
「う、うん。平気みたい」
「まったく、迂闊な……海ではぐれたら一生陸に帰って来れぬぞ」
「はい。すみません……」
とりあえずアルマが無事でよかった。
「それにしても、泳げないはずなのに随分と落ち着いてるな」
「うん。この身体だと水面まですぐに浮かんできちゃうから。じっとしてれば大丈夫かなって」
「さすがイルカの身体だな……」
カナヅチのアルマでも、この姿なら泳げるようになれるかな?
「とりあえず海の中に潜れる?」
「も、潜るの? ちょっと、怖いかも……」
「大丈夫。息を止めてれば溺れないから。この身体だと長時間無呼吸でも耐えられるみたいだし」
「そ、そうなの?」
イルカの姿で海を怖がってるアルマはかなり滑稽だ。
アルマが水面におそるおそる顔を埋める。
潜ることはできたけど、すぐに顔を上げてしまった。
「こんな感じ?」
「そう。それをもっと長くして、さらに海の中で目を開けるんだ。海の中で目を閉じてるでしょ」
「海の中で、目を開けるの? できるかな……」
農民だった頃に近所の子どもに遊泳を教えていたのを思い出すな。
アルマがまた海の中に潜って、すぐに顔を上げる。
それを何度か繰り返して、潜る時間が少しずつ長くなってきた。
「さっき少しだけ目を開けてみたけど、海の中すごくきれい!」
「そうだろ? 目を開けられればもう大丈夫さ」
「ほほ。ヴェンは教えるのがうまいの」
アルマといっしょに潜って、周りを少し潜水してみる。
『わぁ、すごい! これが海の中なの!?』
『そうさ! めちゃくちゃ広いだろ?』
『うん! こんな世界があったんだぁ』
イルカの身軽な身体なら、身体を適当に動かしているだけで遊泳できる。
それも高速に、空を飛ぶ鳥のような速さで海を縦横無尽に駆け抜けられる。
『準備運動が終わったようじゃの。では、気を取り直して沖までひと泳ぎするぞよ』
『はい!』
『これは気持ちいい!』
猫の身体もそうだが、動物の姿になれる利点は凄まじい。
この姿だったら隣の国まですぐに横断できてしまうだろう。
『やはり神の力は凄まじい』
『ほほ。神の力を人間のそれと比較してはならぬぞ』
ユミス様は自身が強い神ではないとおっしゃっていた。
それでも人間の私たちと比較にならないお力をもっておられる。
それなら、もっと強大な力をもつ神は?
――脆弱な貴様ごときが我に刃向かうつもりか?
――人間ごときが神に敵うか。
あの強大な力と相対したら、今度こそ勝てるのだろうか。
『ヴェンよ、遅いぞ。また考え事でもしておるのか?』
気づいたらユミス様とアルマが遠くの海を泳いでいた。
『すみません。すぐ追いつきます』
『せっかく海に入っておるのじゃから、頭を空っぽにして泳げばよかろう』
厄介なことをここで考えたところで解消できる訳ではない。
『今日はのんびり泳ごう。身も心もリフレッシュしてクエに臨もう!』
青い海はどこまでも果てしなく続いている。
こんなに広ければ、たとえ凶悪な神や魔王が現れてもなんとかなるんじゃないかと無責任に思った。
* * *
イルカの姿で気が済むまで泳いで、水面から出たら陽が暮れていた。
陸に上がった頃に陽が落ちて、砂浜で火を焚いた。
「ああ、楽しかった! あっという間に時間が過ぎてしまいました」
アルマの幼児のように笑う姿が見慣れてきた。
「気分転換にはちょうどよかったのう。それにしても、そなたが泳げないと聞いたときは気が動転しそうじゃったぞ」
「すみませんでした。わたし、屋敷からずっと出たことなかったので、運動らしいことをしてこなかったんです。バルタ先生に鍛えてもらったので、身体は強くなりましたけど、水に潜ったことがないのを忘れてました」
「強くなったと思い込んで、肝心なことを忘れてしまったのじゃな。危ないが、今回は仕方なかろう」
ユミス様が白猫の姿で寝そべっている。
「イルカの姿でもずっと泳いだら疲れるんですね」
「そうじゃな。身体能力は変化の力である程度補強されるが、体力は元の姿から大きく変わらないからの。優れた身体を手に入れたとしても過信は禁物じゃ」
ユミス様のお力も万能ではないということか。
「アルマも今日は寝るのじゃ。昼間も言ったが、わらわたちが一日急いだところで、人間の滅んだ街が元通りになる訳ではない」
「はい。だけど、いいのかな……」
「休むことも立派な生命活動じゃ。お主もヴェンもせかせかと動き過ぎじゃ」
私は充分に休んでると思うが……
「ユミス様、寝ちゃった」
「私たちも寝よう。明日のことは明日考えればいいさ」
「うん。わかった」
私もユミス様のように、ゆっくりと生活していこう。




