第83話 馬の旅と青い海
その日のうちに馬や食事などの旅支度を整えて、翌日の早朝に街を発った。
「これから悪霊が跋扈する廃墟へ向かうと考えると、気が重いですね……」
「案ずるでない。悪霊など光の魔法を使えば簡単に浄化できる」
ユミス様は今日もアルマの乗る馬に同乗している。
「あっ、そっか」
「奴らは邪瘴によって侵されてしまった魂じゃ。元は浮かばれぬ魂なのじゃから、奴らから邪瘴さえ取り除いてしまえばよいのじゃ」
「そう考えると簡単に除霊できそうですね!」
私は光の魔法が使えないから出番はなさそうだ。
「ヴェンももうじき光の魔法を覚えた方がよさそうじゃの」
「そうですね。光の魔法を覚えるか。それとも火の魔法にするか。迷います」
「わらわは火の魔法が使えぬから、教えることはできぬぞ。自力で習得するのか?」
「初級魔法ならギルドで学べますけどね。そう考えたらユミス様に光の上級魔法を習った方がいいかもしれませんね」
グーデンの東はのどかな農園が広がる。
小麦農場に、トマトのような野菜を育てている農場。
赤やピンクのバラが一面に広がる農園もあった。
「お花きれいですねー! ああ、いい香りがするっ」
「なかなかきれいじゃのう。ユリの花じゃないのが残念じゃが」
「ユリ? ユミス様ってユリの花が好きなんですか?」
「おほほほ」
アルマはユミス様とユリの関係を知らないか。
「ユリはユミス様のシンボルなんだよ」
「え、そうなの?」
「ユミス様に祈りを捧げるときはユリの花か、ユリを象ったシンボルに祈るしきたりなんだよ」
「そうなんだ。知らなかった」
ユミス様が口に手を当てて笑った。
「ヴェンは最近、わらわに祈ってくれてないがの」
「こんな近くにご本人がいますからね。金が好きで散財が趣味だというのも発覚しちゃったし」
「きっ、金が好きなのではない! キラキラ光るものが好きなんじゃっ。ヴェンがっ、好きなものを買っていいと言ったから、わらわはそれに甘えて、その……」
制限をかけないから際限なく金を使うと言ってるんだな。
「なら次回からプレゼントは五千リブラまでにしましょうね」
「がーん! 五千、リブラじゃ……少ないっ」
「キラキラ光るものなら五千リブラでも買えますよ」
「うう……っ。ヴェンのいじわる……」
アルマが苦笑していた。
* * *
東へ延々と続く街道を駆け抜けていく。
二日ほどかけていくつかの関所を越えると、視界の彼方に青い水平線が見えてきた。
「あの向こうに広がるのって海!?」
「そうさ! グーデンの東は海につながってたんだなぁ」
ギルドで渡された地図にも海としっかり書かれている。
「海を眺めるのはわらわの神殿を発って以来じゃの」
「そうですね。あのときは何ヶ月も飽きるくらい眺めてたから、なんの感慨も沸きませんでしたけどね」
「ユミス様の神殿ってどこかの海にあるの?」
アルマにユミス神殿を案内できてなかったな。
「そうだよ。正反対の北西の山の向こうに建ってるんだよ」
「わらわの神殿は今ごろ、草が生えて足の踏み場もないあり様じゃろうな」
いずれユミス神殿に戻らないといけないか。
「ユミス様の神殿ってどんなところなんだろう。見てみたいなぁ」
「海のそばにひっそりと建てられた、なんの変哲もない社じゃよ。アルマがわざわざ足を運ぶ必要はないじゃろう」
「そうですか。わたしも神殿のお手入れしたかったです」
せっかくだから海を眺めに行こうか。
「ヴェンよ、わらわたちが急いだところで、悪霊たちに侵食された廃墟が元通りになる訳ではない。少しばかり海で休んでいかぬか?」
「そうですね。私もちょうど同じことを考えていました」
街道から逸れて海辺に寄り道する。
ここの海も砂浜が広がる海岸のようだ。
「この向こうがずっと水たまりなの!? すごいっ」
下馬して手綱を近くの木に結びつける。
アルマが珍しく子どものようにはしゃいでる。
「水たまりって……もしかして、アルマって海を一度も見たことがない?」
「うん。冒険者になるまで、ずっと屋敷の敷地内にいたから」
深窓の令嬢だったら、そんな生活を送るのが普通か。
「じゃあ、なんで海を知ってるの?」
「本で読んだり、あとはお父様から教わったりしてたから。青くてすんごく広いっていうのは知ってたけど、こんなに広いんだね!」
アルマが靴を脱いで海へ駆けていく。
「きゃっ、冷たい!」
素足を海につけて……楽しそうだなぁ。
「アルマが珍しく子どものように楽しんでおるの」
「よっぽど海が珍しかったんでしょうね」
「わらわたちも久しぶりに水浴びしてくるかの」
ユミス様も駆けて海に勢いよくジャンプする。
水面にぶつかる瞬間に別の姿に変化して……イルカみたいな姿になった?
「わっ、ユミス様! お魚にも変化できちゃうんですか!?」
「おほほほ。当たり前じゃ。わらわの変化は神の世界でも随一じゃ。どのような姿にだって成れるぞよ」
前から思ってたけど、ユミス様の変化の力は反則級だ。
「魚にもなれるということは、鳥とかにも変化できちゃいそうですね」
「そうじゃな。鳥でも馬でも、なんでも変幻自在じゃ!」
それだったら簡単に空飛べるじゃん……
「鳥に変化できるんだったら教えてくださいよ。なんでわざわざ森をさまよったりしないといけないんですか」
「森を……? そのようなことが過去にあったかの? よく覚えておらんわ」
イルカのユミス様が丸いお顔を水面から出して笑っているように見えた。
「ユミス神殿を発ったときに、がっつりさまよいましたよ。もう一年近く前の出来事ですけど」
「ヴェンは細かいことをいちいち記憶しておるのう。もうちょっと大らかにしていた方が楽になれるというのに」
私はどうせ細かい男ですよ。
アルマがじっとユミス様を物欲しそうに眺めている。
「ユミス様、ひとつだけお聞きしたいんですけど、わたしとヴェンツェルもそのお姿に変化させることができるんですか?」
「む、なんじゃ? 唐突に。猫に変化させられるのじゃから、当然この姿にも変化させられるが」
「そうなんですね! いや、その、海の中を潜ってみたいなと、ちょっと思いまして」
アルマの口から大胆だけどものすごい妙案が出た!
「いい! それっ」
「でしょ! 絶対楽しいって」
「なな……!? 二人して急に、どうしたのじゃっ」
海の中の世界。
魚たちが暮らす水中の別世界。
「こんなに興味深い事案は初めてかもしれない。アルマ、ナイス提案!」
「でしょ! ああっ、どんな世界か見てみたいなぁ」
「海の中になど潜ってもさほど楽しいとは思えんがのう……」
イルカのユミス様が一匹だけ所在なげに浮いていた。




