第66話 アルマの叔父が怪しいが
アマリア様? というのは誰だ?
様をつけるのだからメイドの名前ではないはず。
アルマの別名か?
アルマって本名じゃなかったの!?
「どうして俺の愛に応えてくれなかったんだ。俺は、こんなにあなたを愛しているのに……」
この人の元婚約者か何かか?
アルマの様子から察するに、特定の恋人や婚約者がいるとは思えない。
それなら、ここではたらいてるメイドか?
それとも――
がしゃん、と何かの割れる音がしたぞっ。
「誰だっ!」
やばい、気づかれた!
私の後ろで白い壺を割ったのはユミス様かっ。
「やばい、逃げろ!」
「およ?」
眠そうなユミス様の尻を蹴飛ばして部屋を飛び出す。
「待て!」
アルマの叔父さんと言い争ってた……名前は忘れてしまったけど、ものすごい形相で追ってくる。
「あやつはなんであんなに怒っておるのじゃ?」
「振り返らないで早く逃げて!」
猫の俊敏な動きなら逃げるのは簡単――
「なんだ?」
別の臣下の男性が廊下のど真ん中にいきなり現れた!
「そいつらを早く捕まえろ!」
捕まるかっ。
右に跳んで四本の肢で壁に着地する。
瞬時に壁を蹴り、軽やかな三角跳びが極まった!
「うおっ、はぇっ!」
「ヴェン、さすがじゃ!」
階段の手すりを蹴って階段に着地する。
猫の身体は小鳥のように軽い。
「人間から逃げるのなんて簡単さ。さぁ、玄関から飛び出して――」
と思ったら表の扉が閉まってたんだっ。
「ぎゃんっ」
硬い扉に真正面から激突。
ずるずると顔を引きずって玄関の床まで落ちてしまった。
「ヴェンよ、大丈夫かっ」
倒れる私の身体をひょいとくわえてくれたのはユミス様だ。
「すみません」
「早く逃げねば奴らに捕まるぞよ」
目を覚まして、血相を変えて追ってくる男たちを見上げた。
「そこにいるぞっ」
「泥棒猫を捕まえろ!」
男たちの足元をすいすいと通り抜ける。
「くそっ」
「なんとすばしっこい奴らだっ」
逃げ道は裏の厨房だ!
「ヴェンよ、こっちじゃ!」
「はいっ」
通りがかったメイドの女性を三角跳びで越えて、アルマの屋敷から脱出した。
* * *
「思っていたよりも収穫がありましたね」
屋敷から離れて、野宿できそうな場所を探して火を焚いた。
「それは、よかったのう」
「今のままではアルマの父さんを殺害した人を特定することはできませんが、推測する手がかりは得られました」
怪しいのはアルマの父とケンカをしていたエクムントという叔父か。
「アルマの父さんが叔父のエクムント様とケンカしていた理由が気になりますね。領地や利権に関わるものであれば、アルマの父さんを殺害する立派な理由になる」
「そうじゃのう」
「アルマの父さんが利権を独占していたからエクムント様が切れたのか? それともエクムント様が越権行為でも犯したのか? これだけではまだ犯人を特定できないか」
もっと忍び込んで決定的な証拠を得なければ、犯人を追いつめることはできないぞ。
「しかし、エクムント様はそんなに悪い人に見えなかったんだよな」
見ず知らずの私たちにすぐ食事を用意してくれるような人だ。
「己の利権のために実の兄を手にかけるような人ではなさそうだけれども、ユミス様はどう思いますか?」
ゆらゆらと動く火を見つめているが、ユミス様から返事はない。
「ユミス様?」
幼女の姿に戻られたユミス様が私のとなりで寝息を立てていた。
「とっくに寝てる時間だもんな」
起こしてしまうのは気の毒か。
最後に追われたのは怖かった。
無断で侵入した私たちも悪いが、たかが二匹の猫のためにあんな形相で追ってくるのか。
「あの反抗的な臣下の名前は忘れてしまったな」
アルマの部屋に忍び込んで何をしていたのか。
「まさか、アルマの婚約者とかじゃないよな!?」
貴族の世界なら、領主の娘と臣下が結婚するのはあり得るぞ。
「いや、そんなはずはない。アルマに限って、あんな怖い男と婚約するなんてあるはずがないっ」
私も疲れたから寝よう。
ごろんと横になるが、腹から低い音が鳴って私を刺激した。
* * *
グーデンの宿に戻ったのは次の日の夕方だった。
「二人とも、おかえりなさい」
アルマがすぐに出迎えてくれたが、表情はあまり優れていなかった。
「遅くなってすまなかったの」
「こっちは特に異変はなかった?」
「うん。変わったことは何も」
アルマが用意してくれた夕食を済ませて、屋敷で得られた情報を包み隠さず話した。
「エクムントの叔父様が……」
「臣下やメイドの話によると、エクムント様がアルマの父さんを死なせてしまったのは間違いないようだった。理由まではわからないけど、土地や屋敷をめぐって対立してたんじゃないかな」
「うん」
うつむいているアルマは何を思っているのか。
「これだけだとまだ決定的な証拠にはならないんだけど、アルマもこの件で何か心当たりはある?」
「わからない。わたしは土地のこととか何も知らなかったから。でも、あの優しかった叔父様が、そんなことをするなんて……」
アルマは釈然としていないようだ。
「わたしは小さい頃から叔父様のお世話になってた。お父様は時に厳しい人だったから、小さかった頃は叔父様の方が好きだったかな。すごくお優しい人だったのに」
「アルマの前ではそうだったのかもしれないけど、土地や利権が絡んだからお父さんとケンカしたというのはあり得ない? 権力や財産がかかるとどんな人も性格は変わると思うんだけど」
「そうなのかな。でも、わたしには信じられない」
アルマのエクムント様に対する信頼は揺るぎないのか。
「ヴェンよ、アルマを言葉であまり追いつめるでない。一方的に責め立てるのはかわいそうじゃ」
ユミス様も私の考えには反対か。
「エクムント様が犯人だと思ったんですけどね」
「身近でずっと暮らしていたアルマが反対しているのじゃ。質の悪い噂話を信じ込むのは危険じゃと思うがのう」
「そうですね」
噂話を信じた私が間違っていたのか。
うつむいていたアルマがそっと顔を上げた。
「父は強い人だったけど、時に厳しくて従者たちの不興を買うことがあった。だから、誰かに恨まれていた……というのはあるのかもしれない」
「従者というのは臣下の人たちやメイドのこと?」
「うん。叔父様も含めて」
怨恨の線か。
「それはあり得るかもしれないけど、その線で考えるとあの屋敷にいた全員にアルマの父さんを死なせる動機があることになってしまう。それだと犯人を特定するのは難しくなってしまう」
「そう、なのかな」
「こればかりは神のわらわでも透視できぬから、答えがわからぬのう」
神の力をもってしても解決できない難題か。
いろんな情報を得ていたはずなのに振り出しに戻ってしまった。
アルマの叔父のエクムント様を犯人と断定するのは危ないが、アルマの父さんがどのような不興を買っていたのか、今のままでは推測できない。
もう一度、猫に扮して屋敷に忍び込むか――
「そういえばヴェンよ。『アマリア』と嘆いている男がおったな」
ユミス様が眠たそうに目をしょぼしょぼさせながら言った。
「アマリア? そんなこと言ってる人いましたか?」
「いたぞ。ほれ、わらわとヴェンが最後に追われたときじゃ」
ああ、あのときか。
「猫の私たちを悪魔の形相で追ってきた、あの臣下ですね」
「名前はなんといったかのう。ゲル……ググ? とか、そんな名前だったと思うが」
私も彼の名前は忘れてしまった。
アルマは目を見開いて明らかに動揺していた。
顔は青く、小さな口をわずかに開いてくちびるをふるわせていた。
「アルマ……?」
「アマリアは……わたしの母です」




