第56話 火のバフスキルの習得
バルタ先生の門戸を叩いた当初、槍の初級スキルをレベル十まで習得する契約だったのだが、上級スキルまでアルマに習得させてくれるようだ。
契約期間も二ヶ月くらいの想定だったのに、それが伸びに伸びて四カ月目に差しかかっていた。
「アルマよ。今日からしばらくランスを取るのを封印してもらう」
今日も朝からバルタ先生の庵を尋ねたが、開口一番にこんなことを言われた。
「えっ、どうしてですか。今日も実戦の練習をさせてもらえないのですか」
「そういう訳ではない。ランスマスターになるために、ひとつの別のアプローチが必要になるのだ」
別のアプローチ?
「アルマよ。我々戦士は魔法を一切使わず、己の肉体と手にする得物だけで戦ってると思うか?」
「はい。戦士を支えるのは高い技術……すなわちスキルと強い肉体。あと鍛え上げられた精神力だと思ってるんですが、違うのですか?」
「ふはははは! お前は勉強熱心だな。そして、俺の指導を一言一句逃さずにしっかりと聞いてくれている。師としてこんなに喜ばしいことはないが、お前にひとつ、まだ明確に指導していないものがあるのだ」
それが魔法なのか?
「一流の戦士は実戦において、魔法で己の肉体を一時的に高めているのだ。だから重たい両手剣やポールアクスも時に片手で素早く扱えるのだ。お前の父も、そうやって重たいランスを扱っていたはずだ」
「そうなのですね。知りませんでした」
「ははは。知らないことを恥ずかしがる必要はない。無知は罪ではない。知らなければ、ひとつずつ確実に覚えていけばよいのだ」
要するにバフを活用しろということなのか。
「魔法は武術と違って種類が豊富だ。魔法の中には腕の力を高めたり、傷を治すスキルがあるのだ。ランスマスターがよく好むのは火の魔法のパワーアップと、光の魔法のヒールライトだな」
ヒールライトはユミス様がよく使われる魔法だ。
「そこの坊主ならそれらの魔法を使えるだろうが、仲間の魔法に頼ってばかりいるとお前が戦場で孤立したときに立ち行かなくなる。そのために今日からしばらく魔法の講義の時間を取らせてもらう」
「わかりました。お願いします!」
とか言いながら午前中はしっかりと筋トレの時間に充てられて、魔法の講義は午後から行われるようだ。
「では初級の魔法スキルについて勉強していこう。今日おぼえてもらうのは火魔法のパワーアップだ。魔法の使い方はわかるか?」
「い、いいえっ」
「ふむ。まずはそこからか。魔法は身体の中にある魔力を感じながら決まった呪文を唱えることで発動できるんだ。火の精霊を呼び出して、呪文によって精霊に力を使わせるんだ。わかったな?」
「は、はいっ」
論理的な説明は先生の言う通りだが、頭でわかっていても習得できないのが魔法だ。
「いきなり説明されてもピンとこないか。坊主、お前はパワーアップを使えるか?」
「私ですか? 私は水と風の専門なので、火魔法と光魔法は使えませんよ」
「なに、そうだったのか。お前なら使えると思ってたがな。ではしょうがない。俺が見本を見せよう」
火の魔法もそろそろ覚えないとなぁ。
「……万物に宿りし火と熱を操る者たちよ、我の血と肉を躍らせて悪を断つ力を与えよ、パワーアップ!」
バルタ先生の身体がかすかに赤く光る。
炎のように熱が放射されているのを感じた。
「ふむ。成功だ。この腕の中から沸き起こる力を最大限に高めて――」
バルタ先生が後ろに跳んで地面を砕いた。
「こうして一気に悪を蹴散らすのだっ」
初級のパワーアップはさしたる効果はないと思うが、先生は細かい土が飛び散るほどの威力を披露してくれた。
「さぁ、アルマ。やってみろ」
「はいっ」
アルマが緊張しながら立ち上がった。
「……万物に宿りし、火を……扱う者よ、わ、わたしに……力を与えよ、パワーアップ!」
魔法の名前をか細い声で叫んだけど、変化は何もなかった。
「これで、うまくいったのでしょうか?」
「いや、これは失敗だ。まず呪文が間違っているな。パワーアップの呪文は『万物に宿りし火と熱を操る者たちよ、我の血と肉を躍らせて悪を断つ力を与えよ』だ」
これはかなり苦戦しそうだ。
「万物に宿りし、火と熱を……扱う者たちよ、わ、わたしの――」
「『扱う者たち』ではない。『操る者たち』だ」
「はっ、はい。万物に宿りし、火と熱を……操る者、たちよ。わ、わたしの血と、それと――」
「そんなにおどおどしていたら精霊は使役できん。あと、『わたしの血』ではなく『我の血と肉を躍らせて』だ」
私も冒険者になり立ての頃は呪文が覚えられなくて苦戦したっけ。
魔法の指導の邪魔にならないように、私は違う場所で魔法の勉強をしよう。
「そういえばユミス様はどこに行ったんだ?」
いつも私にまとわりついてるんだけど、今日は先に帰っちゃったのかな――
「だーれだっ」
視界が突然真っ暗になったが、
「やめてくださいよ」
「誰じゃと聞いておろう。さっさと答えんか!」
「その口調からしてユミス様しか該当しないでしょう?」
視界が開けてユミス様が抱きついてきそうだったので、さっと身を翻した。
「ヴェンはつまらん男じゃな。ちょっとくらい、わらわの遊びに付き合ってくれても罰は当たらんというのに」
「つまらない男で悪かったですね。いなかったから、先に宿へ帰られてたんだと思ってましたよ」
「それでもよかったんじゃがな。ヴェンととびきりの遊びを思いついたゆえ、お主が席を立つのを虎視眈々とうかがっておったのじゃ」
あんな下らないことのために虎視眈々と待たないでください。
「アルマの修練は順調かの?」
「いえ。今日から魔法の習得をはじめましたが、魔法を初めて習うので苦戦してるみたいです」
魔法を習得できずに諦めてしまう人も多いから、彼女が心配だ。
「最初はそうじゃろう。何事も最初からすぐに習得できたら苦労はせぬ」
「そうですね。アルマがやり遂げてくれるのを祈りましょう」
その後もアルマは何度も呪文を唱えたようだが、結局魔法は発動しなかったようだ。
陽が落ちて、帰路につくアルマはかなりしょんぼりとしていた。
「今日はうまくできなかったけど、コツはつかんできただろ。明日にはできるようになるよ」
「そうなのかな。あんまり自信はないなぁ」
なんとか諦めずに続けてほしいが。
「ヴェンツェルもユミス様も簡単に魔法を使ってたけど、魔法を使うのってこんなに難しいんだね」
「魔法は身体を動かすのと違うからのう。魔力の流れや精霊たちの動きが感じとれぬと習得は難しいかもしれぬのう」
「魔力の流れと、精霊たちの動き……ですか」
「左様。どちらも人間たちは目に見えぬものであるゆえ、そなたは頭で思い描くしかない。この辺りのコツがつかめれば習得に近づけると思うんじゃがな」
ユミス様は魔力の流れや精霊たちの動きが見えるのか。
「わかりました。がんばってみます」
「ほほ。魔法の指導ならばヴェンでもできるからの。ヴェンから教わればよい」
「私がアルマに指導するんですか?」
さらりと難題を持ち込まれたぞ。
「そうじゃ。人に教えるのも良い勉学になるぞ」
「ヴェンツェル、お願いします」
アルマにお願いされたら断れないな。




