第39話 勇者の正体
「やめるのじゃ!」
ユミス様の怒声が突然、背後から聞こえた。
「この辺りで、もうやめるのじゃ。そなたの復讐は充分に達成されたであろう」
私は魔力を送るのを止めた。
「ユミス様、何をおっしゃられているのですか。こんな汚らわしい者どもをかばうおつもりですか? 気でも狂われたのですか」
「気が狂っているのはそなたじゃ! わらわはそなたの復讐を許可したが、その者たちの命を奪うことまでは許可しておらん。いいから、あの雲に魔力を送るのをやめるのじゃ」
こんなところで邪魔が入るとは。しかも身内から。
「わらわは変化と生まれ変わりを司る運命の神。非業の死を遂げたそなたを生き返らせ、人生をやり直す機会を与えたように、その愚か者どもにもやり直す機会を与えるのがわらわの役割じゃ」
「やり直す? こんなクズどもにそのような機会を与える必要なんてないでしょう。愚か者にはさっさと裁きを下して、身の程をわからせてやればよいのです」
神というのは面倒で融通が利かない者たちだ――
「馬鹿者がっ。それが傲慢じゃと何故気付かぬ。己が今、どのような顔で道を踏み外そうとしているのか、とくと見るのじゃ!」
そう言ってユミス様が唱えたのは鏡をつくり出す光の魔法。
金の装飾がつけられた楕円形の美しい鏡に、悪魔の形相の男が映し出されていた。
これが、私……なのか?
目はつり上がり、金の髪も不自然に逆立っている。
白い肌が黒い何かに浸食されて、血色の悪い状態に変わり果てていた。
「わかったじゃろう。お主にこうなってほしくなかったから、わらわは終始、お主の復讐を反対しておったのじゃ。心優しいお主に、悪魔の心を乗り移らせたくない。いや、むしろお主のように純粋な心をもつ者ほど道を踏み外しやすい。そういう者たちを幾人も見てきたから、終始お主が心配じゃったのじゃ」
そう、だったのか……
「お主は勇者の素養をもつ、勇敢で心優しい者じゃ。わらわの父も母もお主の素養を見抜いて祝福を与えておる。じゃから、頼む。悪魔に成り果てるのだけはやめてくれ」
私はバカだ。
小さいことに心を囚われて大局を見誤っていた。
「すみませんでした、ユミス様。私が間違っていました」
「うむ。気づいてくれれば、それでよいのじゃ――」
ユミス様を後ろから縛り付ける者がいた。
「あーっはっはっは。いい子ちゃんどもがっ、ふざけた猿芝居してんじゃないわよ!」
リーゼロッテか。あられもない姿になっているというのに、なんとも愚かな。
「ユミスだって? そんなやつ知らないわよっ。おら、ヴェン。こいつを殺されたくなかったら、そこで跪けよ」
「リ、リーゼっ。ナーイス!」
こいつらは本当に救えない奴らだ。
「おら、なにぼうっと突っ立ってるんだよ。さっさとそこに頭をつけろよ。お前の可愛い、たった一人の身内なんだろ?」
「ひ、卑怯だぞ!」
男爵様が果敢に声を上げてくれたが、女には届かなかった。
「卑怯? だから何? 卑怯なことしたら甘いスイーツが食えなくなるわけ? バッカじゃねぇの」
「お前たちはっ、悪事ばかりはたらいていたのに命を救われたんだぞ! それを仇で返すとは……」
「はん! 救うってなんだよ。なんでお前らがあたしらの上にいんだよ。その前提がそもそも間違ってるんだろうがっ!」
面倒だから後はユミス様におまかせしよう。
「おい、女」
「あん? なんだよガキ」
「お主……この前教えてやったというのに、まだ神の力を思い知っておらんと見えるな。この痴れ者がっ!」
ユミス様が一喝した瞬間、巨大な水の柱へと変貌し――
「ぎゃあぁぁぁっ!」
女はあっさりと麦畑の向こうへと吹き飛ばされた。
「あわ、あわ、あわわ……っ」
「どどど、ど、どうなってるんだよぉ!」
これは魔法じゃない?
ユミス様がみずから水の柱へと変化しているのか。
「愚か者どもがっ。勘違いするなよ。ヴェンにそなたらを殺させないのと、そなたらに罰を与えるのは別の話じゃ!」
ユミス様は女神として、この者たちに罰を与えるおつもりだったのか。
「そなたらは多くの善良なる者や貧しい者たちを騙し、己の欲望を満たすためだけに利用してきた。その悪事を神が許すとでもお思いかっ。そなたらはこれから一生をかけて、そこの貴族や貧しい者たちから借りたものを返し続けるのじゃ」
「ひ……そ、そんな……」
「だいたい、勇者を名乗るそなたは勇者ではなかろう。何ゆえ、勇者を名乗っておるか」
「そ、それは……」
私も、男爵様もきっと固唾を呑んでいたことだろう。
「いや、もー、何言ってんだよ。やだなー。俺様は勇者だって――」
「神を謀れると思っているのか!」
「ひぃっ!」
裁きの雷が男の前に落ちて、男も麦畑の向こうへ吹き飛ばされた。
これで終わりかなと思っていたら、男が不思議な力で呼び戻されていた。
「ヴェンと男爵の前で、正直に告白するのじゃ」
「お、お……っ。俺は……俺、は……」
「早くするのじゃ!」
「俺っ、は、勇者じゃ、ありません!」
な……っ。
「俺はっ、モ、モ……モーリッツといいますっ。魔王なんて見たこともありません!」
そんな……
私がずっと追っていたのは、いったい誰だったんだ。
「やはり、そうであったか」
水の柱が消えて、元の幼女の姿のユミス様が現れた。
「お主と会ったときから、ずっと奇妙に思っておったのじゃ。要するに勇者の名を利用しておったのじゃな」
「は、はいっ。すす、すみません!」
「まったく、救いようのない……これではお主のために死んでいった者たちが浮かばれぬ」
私もその一人だ。
とてつもない虚無感が胸を支配して、立っていることすら辛いが、両足をしっかりと踏みしめなければいけないんだ。
「男爵よ、そういうことじゃ。この愚か者に奪われた時を取り戻すことはできぬが、この者にしっかりと償わせることで手を打ってほしい」
「はっ、はい」
「あと、すまぬがそなたの麦畑も荒らしてしまったようじゃ。わらわの母に相談して畑を直してもらうゆえ、しばらくこのまま辛抱してくれ」
「はい。神のご意思に従います」
男爵様がヒザをついてユミス様に忠義を示していた。
「ヴェンも、先ほどの決定でよいな?」
「はい。すべてが明るみになったので溜飲は下がっております」
「ふふ。嘘を申すでない。そなたの胸はまだ重苦しい思いに押しつぶされておるじゃろうが、耐えるのじゃ。それも勇者となる者の定めじゃ。憎き者を暴力で排除することだけが答えではない。皆が真の意味で満足する道はもっと違うところにあるのじゃ」
やっぱりユミス様は神だ。私ではかなわない。
ユミス様が首を動かした先に、逃げようとする愚か者どもの背中があった。
「そこの偽者ども、待て!」
「ひっ!」
「そなたらはここに残り、やっていくことがあるじゃろう。なぜ街へ帰ろうとする?」
「い、いやぁ……しょ、しょ、正直に、話したので……もう、終わったのかなって」
偽者のぎりぎり真横に怒りの雷が落ちた。
「ひぃっ!」
「ふざけるな! そこの大きい方と女はここに残って男爵を手伝うのじゃ」
「そ、そんなぁ……」
「言うておくが、逃げたり手を抜けば本当にその命を落とすことになるぞ。神はいつでもお前たちを見ているからな」
神の厳正な処罰が下された。
偽者だけは目を大きく見開いて、私やユミス様をきょろきょろと見ていた。
「おお、お、俺は……?」
「ヴェンよ。この者の処罰はそなたにまかせよう。そなたと男爵はちょうど、手をこまねいていたのではないか?」
「はい。その通りです」
おどおどする偽者の前に立った。
「お前らが『山登り』と称す場所に案内するのだ。魔物たちの首魁、炎の悪魔アイムの居所にな」




