第36話 魔物どもに真の天罰を
男爵の館はかなり散らかっているようであった。
玄関も廊下も隅に埃がたまり、毛屑がそこかしこに落ちている。
「こちらにメイドや召使いはいないのですか」
「ふん。いたけど解雇したのだ。余裕がなくなってしまったのでな」
それほど経済的に困窮しているのか。
「お前たちに出す茶などないぞ」
「おかまいなく。話をしたらすぐに出ていきます」
短く返答すると、男爵は気味が悪そうな顔をした。
玄関に近いこの応接室はディートリヒが商談で使っていた場所か。
革のソファは豪華だが、破れている場所がかなり目立つ。
「本当に金は取らないんだな」
「はい」
短く返答しても男爵は疑惑の目を和らげてくれない。
「それほど不安なのでしたら誓約書でも認めましょうか? グーデンのギルドに間を取り持ってもらってもかまいませんが」
「あ、いや、わかった。あなたの言葉を信じよう」
「だいぶ奴らに苦しめられてるんでしょう?」
男爵がテーブルに肘をついて頭を抱えた。
「苦しめられてる、なんていうものじゃない。私どころか民だって食に困っているのだ。彼らから金を取らなければ、魔物を追い払えないのだから」
「魔物は特別な訓練を受けた者でなければ倒せません。勇者どもはそこに付け込んで、あなた方から金を巻き上げているのですが、その仕組みこそ奴らによってつくられたものだとしたら、あなたはどうしますか?」
男爵が愕然と顔を上げた。
「仕組み? 奴らにつくられた……? どういう意味だ」
「言葉の通りの意味ですよ。勇者どもは魔物たちと結託していたのです。勇者どもが魔物どもを利用する代わりに、魔物どもにこの地の居住を許可する。六年前に魔王が死んで、魔物たちは棲み家をなくしましたからね」
本当に、嫌な仕組みだ。
「なんだそれは! あいつらが魔物たちと結託していただとっ。そんなことができるわけないだろう!」
「それが、できるんですよ。どのような話し合いをしたのかまではわかりませんがね」
「そんな……。ではなんだ。魔物どもが村を襲ってたのは勇者どもの指示だったということなのか!?」
「はい。その通りです」
「そんなばかなっ。そんなことが、あるはずはない!」
男爵がテーブルを何度も叩いていた。
ディンケ村の村長も、他の村の人たちも残酷な事実を受け入れられずに苦しんでいた。
「悪い者たちに弄ばれて、かわいそうな者よ」
ユミス様も胸を痛めておられた。
「……いや、あなたの言う通りかもしれない」
しばらくうつむいていた男爵がつぶやいた。
「ずっと疑問に思っていたのだ。あいつらが魔物を討伐しているのに、魔物の数が一向に減らないのだ。そういうものだと奴らは口にしていたが、やはり、そうではなかったのだ」
「スライムのように短い期間で増殖を繰り返す魔物はいます。ですが、これは例外です。魔物たちは人間や獣より生命力が高いでしょうが、彼らも不死身ではありません。命を奪えば死滅するし、討伐を繰り返せば数を減らしていきます」
当たり前の理屈だが、かつて魔王を倒した者に否定されれば、真実は違うところにあると思い込んでしまうものかもしれない。
「あなたは、魔物を討伐できるのか」
「できます。すでにいくつもの村や集落を救っています」
男爵が急に起き上がって私の手をつかんだ。
「この通りだっ、頼む! 私たちを救ってくれっ」
「もちろんです。そのために私は来たんですから」
「この屋敷だったら好きに使ってくれてかまわない。多少、散らかっているだろうが……好きな部屋を使ってくれ」
勇者どももこの館を拠点にしていた。
「助かります。ではお言葉に甘えて部屋を一つお借りします」
ユミス様がとなりで消沈しておられた。
* * *
ここ数日でよく被害を受けている村を教えてもらい、ユミス様と現地に直行した。
「うわぁ!」
「た、たすけてくれぇ!」
到着するなり村人たちの叫び声がそこかしこに響いていた。
「ヴェン、早くも魔物たちが暴れてるようじゃぞ!」
「はい。わかっていますっ」
「奴らへ報復したい気持ちもわかるが、最優先は弱い者たちの救済じゃぞ」
あばら家が建ち並ぶ貧村で村人たちが逃げまわっている。
彼らを追って村に入り込んでいるのは、炎をまとった犬たちであった。
「ヘルハウンドか。あの炎をまとった悪魔の眷属か」
炎の属性であれば、水の魔法と相性がいい。
ウォーターガンを唱えて近くにいた魔物を吹き飛ばす。
魔物は私の攻撃をある種の「合図」と勘違いしたのか、火を灯した尻尾を向けて逃げ出していく。
「今日はいつもと違うぞ!」
続けてアイスニードルを唱えて魔物を串刺しにする。
魔物は複数本の氷の針に刺し貫かれて絶命した。
「す、すげぇ」
他所で暴れている魔物たちも氷の餌食にしていく。
フリージンググレイヴという対象を氷漬けにする上級魔法は初めて使うが、炎の魔物によく効くようだ。
「今日のヴェンは、いつにも増して魔力が冴え渡っておるな」
ユミス様は半ば呆れているようであった。
「こっちも、助けてくだせぇ!」
ヘルハウンドたちはかなりの数であるが、さほど脅威ではない。
村と民たちの防御をユミス様にお願いすれば、被害をほぼ完全に防げる。
魔物たちは私を仲間だと勘違いしているためか、本気で襲ってこない。
「あの愚か者どもと結託しているお前たちも同罪だ。一匹残らず討伐させてもらうぞ」
氷の魔法をこんなに使うのは初めてかもしれない。
「こういう日に限って、どうして勇者様が来てくださらないんだっ」
「でも、このお方も強いわよっ」
混乱していた村人たちも、魔物が倒されていく様子を眺めて落ちつきを取り戻していったようだ。
「っていうか、あの人の方が強くね?」
「勇者様って正直、戦い方が雑だったよね」
勇者どもはまともに戦っていなかったからな。
「ヴェンよ。魔物はあらかた討伐できたのではないか?」
「そうですね」
最後の一匹に止めを刺すと、後ろから歓声が上がった。
「すげぇ!」
「ありがとうございます!」
「どこの誰だか知らねぇが、なんてお方だっ」
「これぞ神の奇跡!」
これで、この村にも変化が訪れるだろう。
「理由はともあれ、ヴェンは良いことをしておるのじゃから、それを止めるべきではないな」
ユミス様の顔にも笑みがかすかに戻られていた。




