第35話 モットル男爵の館へ
ユミス様が宿で待ってるから、早く帰って明日からの日程について話をしなければ――
「待ちなさいよ」
ギルドハウスから出ると声をかけられた。
振り返ると、リーゼロッテがギルドハウスの壁に寄りかかりながら腕組みしていた。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「あんたねぇ……」
しばらく顔を合わせていなかったが、ずいぶんとお怒りのようだ。
「何が狙いなのよ」
「何が、と言いますと?」
「しらばっくれるんじゃないわよ。モリ……じゃなかった。ディートとクリスの後をついて、何が狙いなのよ」
こいつら、たまに「モリ」と謎の言い間違いをするな。
「何がって、お金稼ぎ以外の理由があるんですか?」
「お金稼ぎですって!? あんた、金には困ってないって前に言ってたでしょ」
そういえば、そんなことをどこかで言った気がする。
「あんな良い宿に住んでるんだから、金になんか困ってないでしょうが」
「はぁ。生活にはさほど困っていませんが、もっと金がほしいと思うのは普通ではないですか?」
平然と言い返すとリーゼロッテが言葉をつまらせた。
「そ、そうかもしれないけど……」
「あなたがたも生活にはさほど困っているようには見えませんがね。風俗なりギャンブルなりと遊ぶ金には困っているようですが」
この女も高級バッグや服ばかり買い漁っているのは知っている。
「いいから目的を教えなさいよ!」
「私も遊ぶ金がほしいんですよ。あなたたちみたいにね」
「なんですって!」
「モットル男爵にね、会いに行きたいんですよ。あの方から呼ばれてるので」
この女にはそれとなく教えてやってもいいだろう。
「モットル男爵ですって!?」
「そうですよ。ご存じでしたか?」
「知ってるって……いうほどでもないけど」
私は若返ってから男爵のことをディートリヒから聞いたが、それをこの女は知らない。
「ユミには苦労をかさねさせてますから、たまには遊ばせてやりたいだけです。それでは」
リーゼロッテを適当にあしらって宿に戻った。
「おお、ヴェンよ。帰ってきおったか」
玄関の扉を開けると、いつも通り元気なユミス様がふよふよと近づいてきた。
「ただいま戻りました。休暇の件、うまくいきましたよ」
「ほう、そうか。では、『本当に叶えたかったこと』というのをやるつもりなのじゃな?」
モットル男爵が管理している村へ行き、魔物たちを一掃する。
そして勇者どもの資金源を断つ。
「はい。顔も年齢も変わってしまった私が奴らを攻撃すれば、私が罪に問われます。ですが奴らが利用している魔物たちを討伐すれば、奴らは資金源を断たれることになります。金に目がない奴らにとって、これほど嫌らしい復讐はないでしょう」
「そうかもしれぬが、奴らに気づかれるのではないか? それは平気なのか?」
「もちろんです。むしろ気づかれてほしいくらいです。奴らが逆上すれば、素直に返り討ちにできますからね」
リーゼロッテをそそのかしておいたから、勇者どももいずれ思い知らされるだろう。
完璧な計画であるはずなのにユミス様のお顔はすぐれなかった。
「何か気に入らないところがありますか」
「いや、そうではないのじゃが……やはり気が進まぬ」
なぜですかっ。
「神として、そなたの復讐を助長するのが果たして良いのか。わらわにはわからぬのじゃ」
そんなことを、今さら……
「ユミス様と約束した通り、復讐するのは一度だけです。それに、奴らに苦しめられている人は大勢いるんですから、放っておく訳にもいかないでしょう?」
「そうではあるのじゃが……」
「私はこの決定を覆す気はありません。たとえユミス様が反対されても、私は必ず奴らに復讐します」
静かに言い切って私は勉強部屋に引きこもった。
* * *
モットル男爵の居場所は前もってディートリヒから聞き出していた。
乗合馬車だと時間がかかるので、山奥まで歩いて向かう。
一日目は歩きづくめだったが、二日目の朝には目的地にたどり着いた。
「ここです。やっと着きました」
麦畑が広がる一帯の真ん中に一筋の道が伸びている。
赤い屋根と白い壁が特徴的な館が男爵の住処だ。
「なかなか遠かったのう」
「足が疲れてますが、もう少しの辛抱です」
「ほほ。わらわは浮いてたからさほど疲れてないがの」
魔法で浮いた方が疲れないのかな。
「疲れはわらわの魔法でも消せぬ。ヴェンの疲れがとれるまで待つのじゃ」
男爵の館は豪奢だが、よく見ると屋根や壁にたくさんの亀裂が走っている。
麦畑も枯れている穂が多かった。
「あれが貴族の屋敷か。貴族というのはヴェンよりも裕福な者たちであろう?」
「はい。私たち平民から税を取って豊かな暮らしをしています」
「そうか。じゃが、その割にはあそこに住む者は裕福ではなさそうじゃのう」
鉄柵の門の前に置かれた呼び鈴を鳴らしてみるが、館は静まり返ったままだ。
「誰も来ないのう」
「留守なんですかね。一年前に訪れたときはメイドの方がすぐに応対してくれたんですけど」
男爵が留守なのは想定してないぞ。
呼び鈴をしつこく鳴らすと玄関の扉が開いてくれた。
「誰だねっ、この忙しいときに!」
出てきたのは男爵本人?
頭の白髪がかなり目立ちますが……
「誰だね、きみは」
「初めまして。私はヴェンツェル・フリードハイムといいます。となりの者は妹のユミです」
「ユミじゃぞ。冴えない男爵よ」
私はユミス様の口を封じた。
「見たところ冒険者か旅人のようだが、私になんの用だ」
「この地方の魔物が活発で近隣の村が被害を受けていると、グーデンの冒険者ギルドで聞きましたので訪問して参りました」
「グーデンの冒険者ギルドだと? そんなところに討伐の依頼なんて出してないぞ」
なかなか目ざとい方だ。
「あなたの召使いか配下の方が依頼を出したのではないですか? そんなことより、魔物の被害に困っているのではないですか?」
迷惑がっていた男爵の顔つきが変わった。
「お前には、関係ないだろう」
「そうですが、無償で魔物の討伐を引き受けると言ったら、どうしますか?」
この男ならきっと門前払いはしないだろう。
「お前……何が狙いだ」
「狙いですか? あなた様を騙す算段などありませんよ」
「嘘をつくな。見ず知らずの者がいきなり押しかけて、ただで魔物を討伐するだと? そんな虫のいい話がある訳ないだろ!」
この人は割と理性的な方だ。
「ディートリヒ」
男爵の顔がまた変わる。
「私も奴らの被害者です。あなたも同じなんでしょう?」
「なな、なんのことだっ。私は知らん!」
「嘘をついても無駄です。あなたは魔物を討伐するために多額の出費をしてるでしょう。その原因になっているのが、勇者ディートリヒとその仲間のクリストフ。リーゼロッテ」
全員の名前を告げたら男爵が観念したようであった。
「お前はなぜ、そこまで知っている……」
「だから言ったでしょう? 奴らの被害者であると。これは私の復讐なのです。奴らへの復讐のために、あなた様の力をお貸しいただきたいのです」
ここまで言えば、男爵も断りはしないだろう。
男爵はしばらく唸り、私を恨めしそうに見つめていた。
「わかった。入れ。だが、少しでも妙な真似をしたら剣で斬り殺すからな」




