第16話 魔物と勇者の関係
旅人らしき男は全身をふるわせているだけで、その場から立ち去ろうとしなかった。
「見たところお怪我はないようだが、大丈夫ですか」
男はかぶっていた帽子がなくなっていることも気づかずに身体をふるわせている。
「あの、腰でも抜けてしまったんですか」
「あんたら……なにもんなんだよ」
「何者? 旅の者ですが?」
ふよふよと浮遊するユミス様が私たちに追いついた。
「ヴェンよ、いかがしたかの?」
「私はなんともありませんが、この方がどうやら腰を抜かしてしまったようなのです」
三十代くらいの見た目で、大した邪気は感じない。
この近辺で暮らす農民か?
「先ほどの襲撃で腰を抜かしたのか? やれやれ、しょうがないのう」
ユミス様が光の魔法を唱えて、男の全身を淡い光で包んだ。
「あ、治った……」
「腰をあまり酷使してはいかぬぞ。こしっと折れてしまうからの」
「ユミス様。無理にダジャレにつなげようとしないでください」
男の手を引いて起き上がらせた。
「ユ、ユミス……?」
「申し遅れました。私は旅人のヴェンツェル。ここにいるのは妹のユミです」
「ユミじゃぞ。弓使いの者よ」
「は、はあ……」
別の村がこの近くにあるかもしれない。
「俺はハイノだ。そこの村で暮らしてる」
「村人? 旅人ではないのですか?」
「はは。山菜を採りに来たついでに前の村の様子を見に来てたんだ。あそこは俺たちが前に住んでた村なんだ」
あの放棄された村の住人だったのか!
「あの村はどうして放棄されたのですか」
「それもあんたらに説明したいが……場所を変えてもいいかな。ここにいるとまたフライトラップどもに襲われちまうから」
フライトラップというのがあの魔物の名か。
ハイノさんに従って森を抜けて、小高い丘に伸びた道を下っていく。
海が眺められる高所に小屋のような家が軒をつらねていた。
「着いたぜ。村長に言ってくるから、ここでちょっと待っててくれ!」
ハイノさんを見送って村の様子を眺める。
ここは「ラフラ」という名前の村のようだ。
なんということもない貧村だ。
奥の広場で遊んでいる子どもたちの貧しい服装を見れば、中下層の農民であることはすぐにわかる。
「あまり豊かではなさそうじゃのう」
「王国のどこの村もこんなもんですよ」
私の故郷もこの村と大して変わらなかったな。
戻ってきたハイノさんに案内されて村長に挨拶する。
村長の家は広場のさらに奥にあるようだが、村民たちの家とそれほど差は感じられなかった。
「ようこそおいでくださいました、旅の方。私が村長のロルフです」
村長のロルフは五十代くらいの、白髪が混じったハゲ頭の男性だった。
「初めまして。私はヴェンツェルと申します。ここにいるのが妹のユミです」
「ユミじゃぞ。弓好きの村長とやら」
「は、はあ……」
いや、だから無理にダジャレにつなげないでって言ってるのに。
「ハイノから先ほど伺いましたが、とてつもない魔法であのフライトラップを駆除されたようで、ぜひともお話したいと思っていました」
「フライトラップというのが、あの巨大な食虫植物の名前のようですね。森の中にあった村と、あの魔物が何か関係しているようですが」
「ご明察の通りです。あそこは我々が以前に住んでいた村。ですが、突然変異によって巨大化したフライトラップのせいであそこに住めなくなってしまったのです」
私たちにフライトラップの駆除を依頼したいんだろうな。
ユミス様が「こほん」と小さく咳払いをした。
「あのフライトラップというのは、元は小さな草であろう。本来はあのように動きもせぬし、自分よりもはるかに大きな獣や人間たちなど食さぬはず。一体、何があったと申すのじゃ」
「この付近の森では元々フライトラップ以外の魔物や、畑を荒らす害獣が棲息していたのです。我々はあなた様のように魔物を倒す力などもっていませんから、魔物や害獣たちをどうにかして追い払わないといけなかったのですが……そこで、とある方が村に立ち寄られたのです」
「とある方じゃと?」
「勇者ディートリヒ様です」
村長の突然の宣告に、私の心臓が飛び出しそうになった。
「勇者じゃと? 勇者とフライトラップにどんな関係があると申すのじゃ」
「その……言いにくいのですが、勇者様がフライトラップを狂暴化させてしまったのです」
私の嫌な予感が的中してしまった。
「どういう意味じゃ。答えがまったく出てこんぞ!」
「落ち着いてくださいっ。仔細はこうです。私たちが魔物や害獣たちの被害に困っているので、フライトラップを巨大化させてやつらに魔物や害獣たちを食わせようと、勇者様方がおっしゃったのです」
あいつら……凶悪な生物を生み出すことまでしていたのか。
「私も詳しいことは存じ上げませんが、街の錬金術師がつくったという劇薬を森のフライトラップに撒いて、やつらが誕生したのです」
「なんと向こう見ずな……そのようなことをすれば森の生態系がくずれ、森は一瞬にして枯れてしまうぞ」
「はい……フライトラップのはたらきで魔物や害獣たちはいなくなりましたが、今度は私たちが襲われる始末で……ああ! あんな話、信じるんじゃなかったっ」
あの悪党どもは、こんな辺境でも貧しい人たちを苦しめていたのか。
「森は姉上が精霊たちと手を取り合って守っている、大切な場所。それを下らん薬で破壊するとは、許せんの」
「森の女神メネス様ですね。メネス様は今の状態をご存じないのでしょうか?」
「そうかもしれぬ。姉上はわらわと違って守るものが多いからのう」
神様も忙しいんだな。
村長は私たちの会話を聞いて目を白黒させていた。
「メネス……? あの、さっきから一体、何を……」
「気にしないでください。こちらの話です。フライトラップの駆除、お受けいたしましょう」
「ほ、本当ですか!? ありがとうございますっ」
村長がハイノさんと手を取り合って喜んだ。
「はっ。し、しかし、私たちはその、とても貧しい身でして、旅人様にお支払いできる金などすぐに用意できません」
「金銭のことなら気にしないでください。何日か住まわせていただく住居と少しの食事さえご用意してもらえれば、それでけっこうです」
「へ……? そんなもんで、よろしいんですか?」
あの悪党どもは、きっと法外な報酬を要求してきたんだろうな。
「私も元は貧しい農民です。お金をもたれない方に高額を請求する気などありません」
「わらわも姉上に恩を売っておく必要があるからの。ついでにあのフライトラップどもを静めてやるとしよう」
くすくすと笑うユミス様を、村長とハイノさんは茫然と眺めていた。




