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第138話 兄の思い

「村が襲われて、親は魔物たちによって殺された。次に殺されるのは僕たちだった」


 魔王に滅ぼされた村に行ったことがあるが、村は酷い有様であった。


「僕は必死になって逃げた。足手まといのマルグリットの腕を引っ張りながらね。他の奴らが犠牲になったから、僕たちはかろうじて生き永らえた。だが、それは運や偶然がかさなっただけの結果でしかない」


「だからマルを見捨てたというのか」


「さっきも聞いただろう? きみに兄弟はいるかって。戦火で幼い妹を残されても困るだけなんだ。僕だってしんどいのに、親がいないとすぐ泣く。腹が減ったとすぐ泣く。なぜか淋しいからとすぐ泣く。こんなのが近くにいて、心が休まると思うかい?」


 私に弟や妹はいないが……


「あなたの言い分はある程度理解したが、それでもマルを見捨てる決断には賛同できないな」


「そうかい」


「私なら、自分より弟や妹に幸せになってほしい。幼い兄弟は確かに足手まといかもしれない。だが、かけがえのない存在を見捨てることなんてできない。仮に私が命を落とすことになったとしても、悔いは何も残らないさ」


 私の雄弁に対して笑い声を立てる者がいた。


「己が代わりに死んでも悔いは残らないじゃと? くくくっ、バカめ。なんとも安いきれいごとじゃ。それは正気で申しておるのか? ユミスの下僕よ」


 カルタか。


 手枷と足枷をはめられているというのに、器用にも床で笑い転げている。


「カルタ、行儀悪いよ」


「バカめっ。これが笑わずにいられるかっ。『代わりに死んでも悔いは残らない!』ぐははははっ! バカ丸出しじゃっ」


 邪神を名乗る幼女がだらしない姿をさらしている。


 神というのは、こんなに浅はかな存在だったのか。


「あなたは浅はかな存在だな」


 つぶやくように言ったが、相手の耳に届いていたようだ。


「なんじゃと」


「あなたにはきっと大事な存在がひとりもいないのだろう。自分の命を差し出しても助けたくなる存在というのが人間界にはいるんだ」


 カルタがあからさまに不機嫌な顔を向けてきた。


「人間風情が神に説教する気か? わしの何百分の一しか生きておらぬというのに、傲慢がすぎるぞ」


「すみませんね。私も神という存在をもっと知的で崇高な存在だと思っていたものですから。あなたのように浅はかな神がいると知って、非常に驚いてしまいました」


 カルタの頭の沸点へと一気に達したのか、醜い罵倒を浴びせてくる。


 一方のディートリヒはひと言も発さない。


 また目をつむり、深い何かを思案しているように思えた。


「貴様の顔、しっかりと覚えたぞ。兄様にしかと言いつけてやるからの。覚悟しておけ――」


「覚悟するのはお主じゃ!」


 カルタが急に不思議な光を受けて飛び上がった。


「うぎゃああぁ!」


 これはユミス様が唱えた浄化の魔法?


「わらわのいない隙に何をするかと思えば……わらわの大事なヴェンに汚い言葉を浴びせるでない!」


 地上フロアから戻ってきたユミス様が猫の姿になって私の肩に乗っかった。


「おかえりなさい。マルは落ちつきましたか?」


「うむ。まだ興奮しておるようじゃが、アルマや他の男たちにまかせておる」


 それなら問題ないか。


「ヴェンよ、こんな女の言葉に惑わされるでない。己にとってかけがえのない者を命懸けで守るのは最大の美徳じゃ。父上も母上もお主の考えに賛同しておる」


「ありがとうございます。どんなことがあっても私は大切な人を守ろうと思います」


「うむ。それでこそヴェンじゃ」


 ユミス様が私に頬ずりした。


「勇者よ。お主も過去に大変な苦労を経験したのであろうが、たったひとりの身内であるマルを見捨てるというのは誤った判断じゃ」


「そうかい」


「血を分けた者は失えば二度と返ってこない。お主もマルと離れて本心では寂しかったのではないか?」


 ディートリヒは答えない。


 また顔を上げないが、反論する様子もうかがえなかった。


「お主もマルを実の妹であると認め、刃をあまり向けようとしなかった。お主の心が真に冷めていて、マルをどうでもよいと思っておるのなら、マルにも構わずに刃を向けておったのではないか?」


 ユミス様がおっしゃる通り、ディートリヒが主に刃を向けていたのは私とアルマだった。


「それはあなたの偏った見方だよ。僕はあの女のことをなんとも思っていない」


「そうか。残念じゃな」


 ユミス様が元の幼女の姿に戻った。


「ヴェンよ、この者たちに他に聞くことはないか?」


「いえ、他にはもうないです」


 ディートリヒが勇者になった経緯なんかも聞いてみたいけど、この状況で話してもらえるとは思えない。


「そうか。では後のことは他の者にまかせてしまってよいのではないか? ずっと働き詰めだったであろう」


「そうですね。ウシンシュ様の救出もまだ終わっていませんから、少し休ませてもらいましょう」



  * * *



 私たちはテレザさんに別れを告げて、国境の東へと歩を進めていった。


「騎士団の方々にディートリヒさんをまかせちゃって、大丈夫だったのかな」


 アルマが国境の関所へ振り返るが、マルは意に介さない。


「ほっとけばいいんだよ。あんなやつ。どうせもう何もできやしないんだから」


「そうだけど……マルはまだ怒ってるの?」


「怒ってなんかいないよ」


 その荒い口調は充分に怒ってると思うが。


 ユミス様も苦笑されて、


「マルよ、落ち着くのじゃ。あやつにもそれなりの事情があったのじゃ。相手を責めてばかりいたら問題は何も解決せぬ」


 諭すように声をかけたが、マルにはあまり届いていないようだ。


「あんなろくでなし、今さら許せないね」


「そうか……」


「やっと捕まえたのに、あたしになんも話さないし。目も合わそうとしないしさ」


 奴はマルを見捨てた負い目を感じてるんだろうな。


「だから、あんな奴のことはもう海の底にでも沈めておいて、囚われた神様をさっさと助けに行こ!」


 マルがアルマの肩を抱いて右拳を上げた。


「ウシンシュ様は黒十字団のアジトにいる。アグスブルクの山腹にディートリヒが拠点としているアジトがあるようで、そこにウシンシュ様がおられるらしい」


「そうだけど、その情報ってディートリヒさんが言ってたことなんだよね。大丈夫なのかな」


 もちろん罠である可能性があるが……


「罠だったとしても大丈夫さ! あたしらがあんなザコどもに負ける訳ないもん。もう面倒だからさ、あいつらのアジトを片っ端からつぶしちゃおうよ!」


 マルがかなり自棄やけになってる。


「そ、そうだね……」


「アルマもヴェンも強いんだから何も気にしないでいいでしょ! さあ、神様救出の旅、出発ーっ」


 テレザさんに書いてもらった地図をバッグにしまう。


 大いなる目標を達成する日が近づいているか。


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