第137話 捕縛
奴の斬り上げた剣先が私の眉間をわずかにかすった。
「ヴェン!」
メネス様の杖が私を守ってくれたのか。
ディートリヒも私を仕留められると確信していたのだろう。
「なにっ」
予想が外れて思考が停止したわずかな隙があった。
「くらえ!」
最大限の魔力を込めてウィンドブラストを放った。
奴が直撃を受けて後方へと吹き飛ばされる。
ここで奴を仕留める!
続けて雷の魔法を唱える。
戦場の真ん中で倒れた奴に極大の雷を落とした。
「すごい!」
こんな魔法を放てば元勇者と言えども丸焦げになってしまうか。
わずかな後悔が逡巡したが、奴は丸焦げになっていなかった。
「魔法の鎧があいつの身体を護ったか」
死んではいないだろうが、奴は仰向けに倒れたままだった。
マルに振り返ると彼女が浅くうなずいた。
「あいつが気絶したから、さっさと捕まえちゃお!」
マルがアルマを促して、気絶する奴の下へと向かった。
* * *
ディートリヒは捕縛された。
堕落の邪神カルタもユミス様が倒してくれたようだ。
「悔しいのじゃ! なんで、お前みたいな下っ端に捕まえられねばならぬのじゃっ」
カルタもユミス様によって力を封じられて、ディートリヒのとなりの牢屋につながれている。
「下っ端はお主も同じであろう。ペルクナスがいなければ何もできぬお主に好き勝手言われとうないわ!」
ユミス様が胸を張って「がっはっはっは」と勝ち誇っている。
「おのれぇ……ザコ神のくせに……」
その憎たらしい姿をカルタは指をくわえて眺めることしかできないようだ。
「ユミス様の魔力ならカルタの力を丸ごと封じられるんですね」
「当然じゃ。わらわとて神じゃ。同等の力をもつ者であれば力を封じることができるのじゃ」
「要するにカルタとユミス様は同等だということですか」
「わらわの方が力は上じゃがな」
カルタが牢屋越しに汚い言葉を投げつけてきたけど、無視してとなりの牢屋の前へと移動する。
ディートリヒは手枷と足枷をしっかりとはめられた状態で座らされている。
目をつむり、一言も発さずに今の状態を受け入れているようであった。
「ヴェンたちもよく勇者を捕らえたの。骨が折れるほどの困難であったであろう」
「はい。ですが、ユミス様に教わった魔法が役に立ちました。あとはアルマとマルががんばってくれたお陰です」
アルマがすぐにかぶりを振る。
「ヴェンツェルとユミス様ふたりのお陰だよ。わたしたちだけじゃ何もできなかったもん」
「そんなことはない。アルマがしっかりとこいつの攻撃を受け止めてくれたから、私は魔法の詠唱に集中できたんだ。私ひとりじゃ何もできなかったさ」
「そうかな……」
ユミス様がまた笑った。
「ヴェンもアルマも真面目すぎじゃと言うておろう。がんばったんじゃから、自分の功績じゃと言ってしまえばよいのじゃ」
「私もアルマもユミス様みたいに図太くないんですよ」
「なぬっ。なら、わらわだけ自分の手柄を自慢するせこい神じゃと申すのか! ヴェンはやっぱり最近特にひどいのじゃ!」
ユミス様がまた要らない駄々をこねはじめた。
そのふざけた姿をカルタがちらりと見て、「けっ」と吐き捨てた。
「お前ら、わかってるんだろうな。わしらの後ろにだれがいるのか。このような辱めを受けさせて、ただで済むと思うなよ」
「ペルクナスのことを言ってるのか?」
「そうじゃ。兄様は今ごろ、かんかんに怒り狂っておるはずじゃ。お前らのように低俗な者どもでも兄様の怖さは知っておるじゃろう。明日にもこの一帯は兄様の特大の魔法で消滅じゃ!」
この脅しは軽々と無視できるものではない。
――が、
「お主は本当に、ペルクナスがおらぬと何もできないんじゃのう」
「うっ、うるさい! ザコ神っ」
ユミス様が嘆息混じりに一笑されて終わった。
「笑っている場合じゃないですよ。ペルクナスは本当にやってきますよ」
「わかっておる。じゃが、わらわやヴェンのできることは限られておる。奴が目の前に姿を現しても粛々と対処するしかなかろう」
ユミス様の言う通りなのだが……
「のんびり構えてて、いいのかな」
「わからないが、ユミス様の言う通りにするしかないだろう」
ペルクナスはディートリヒを越える強敵だが、力を合わせて撃退するしかないのか。
「マル……」
マルはディートリヒの前で立ちつくしている。
口を噤み、鉄格子ごしに見下ろす兄をどのような気持ちで捉えているのだろうか。
「あんたはどうしてあたしを捨てたんだ」
ディートリヒは答えない。
マルの声は聞こえているはずなのに顔すら上げようとしない。
「おいっ、答えろ!」
マルが鉄格子を揺らすが、それでも奴は顔を上げようとしなかった。
「あんたはあたしの兄貴だろ。言い逃れしようったって、そうはいかないよ」
「だから、きみなど知らないと言っているだろう」
「なんだって……!」
「マルっ」
アルマが堪らずにマルを抑えた。
「いい加減にしろ! あんたがあたしのろくでなし野郎だっていうのはわかってるんだよっ」
「マルっ、わかったから落ち着いて!」
「くそっ、離せよ!」
暴れるマルを兵やユミス様が抑えながら退室させていった。
地下の牢屋に残ったのは見張りの兵たちと私だけであった。
ディートリヒは戦場での暴れっぷりがまるで別人であったかのように静まり返っている。
「私も聞かせてもらうが、あなたはマルの兄なのか?」
ためしに聞いてみたが、答えないか。
「きみ、兄弟はいるの?」
「私か? いや。父と母の三人家族だったが、今はどちらも病気で死んでる」
「そう……」
マルには答えにくいが、赤の他人である私には話しやすいか。
「きみに話してもきっと理解されないだろうが、戦火で幼い妹を残されても何もできないんだ」
「あなたの故郷のアグスブルクは魔王によって滅ぼされたんだったな」
「そう。僕だって最初から魔王を倒そうと思ってた訳じゃない。当時の僕はただのひ弱な村人でしかなかった。だから、安全な場所に避難しなければならなかったんだ」
勇者なんてもてはやされる存在だったのに、最初から強かった訳じゃなかったのか?
「魔王に村が滅ぼされなければ、僕はきっと村で一生を終えていただろう。でも、成り行きでこうなってしまったんだ」
彼の告解のような言葉に対し、私は静かに耳をかたむけていた。




