第133話 ディートリヒとマルセル
「ちょっと待って!」
私とディートリヒに割って入ってきたのはマルだ。
「マル、どうした。危ないぞ」
「ヴェン、ごめんよ。今、あたしが会話したいのは、そこのお兄さんさ」
そうか。この男はマルの実兄かもしれないのか。
「なんだい、きみは」
「あなた、『マルセル』って偽名を使ってたんだってね。その名前、本当に偽名なの?」
「唐突におかしなことを言う人だな。きみもこの男の連れかい? きみには関係のない……」
言いながらディートリヒの表情がこわばる。
「その髪の色……自前なのかい?」
「そうだよ。珍しいでしょ。あなたと同じ髪の色だよ」
「そうだね。この国で長く旅を続けていたが、僕と同じ髪の人は今まで見たことがなかった」
「ついでに顔も似てない? あたしたち」
「そうかな。それはちょっとわからないな。鏡が近くにないから」
鏡ならユミス様が魔法で具現化できるが……上空で絶賛戦闘中だ。
「あなたの名前、本当はマルセルなんじゃない?」
「おかしいことを言わないでほしいな。僕の本名はディートリヒだよ」
「わかった。じゃあ、あなたの生まれ故郷を教えてほしいな。どの辺なのかな」
ディートリヒが明らか困惑……いや嫌悪感をあらわにしている。
マルを守護するべくそっと移動するが、マルが右手を出して私を止めた。
「……リーズ」
ディートリヒが嫌そうに小声でつぶやいた。
マルの迷いのない表情がより強くなったような気がした。
「リーズって昔のアグスブルクの村でしょ? リンゴの木が近くにあるだけの、他にはなんにもない田舎の村。十年以上も前に魔王に滅ぼされちゃったんだけど――」
「お前は何者だっ」
ディートリヒが急に攻撃を……やめろ!
「きゃっ!」
「お前はなぜそんなことを知ってるっ。僕の昔の仲間だって知らないことを……!」
ディートリヒが怒り闇の魔法を何度も放ってくる。
かたい地面を抉る攻撃だが、怒りで狙いが定まらないのか、私もマルもなんとか攻撃をかわせている。
「あたしはマルだよ。マルグリット・ヘルトリング。あんたの実の妹だよ!」
「僕に妹などいない!」
ディートリヒの鋭い攻撃をマルがよけて、奴に接近していく!
「今まで、どこをほっつき歩いてたんだ、このバカ兄貴!」
マルの炎をまとった拳がディートリヒのアゴを砕いた。
「あのディートリヒを……!」
「マル、すごい!」
アルマとテレザさんも無事だったか。
「あんたのことはヴェンや太陽神殿のフリーゼさんから聞いたよ。なんか、あたしの兄貴かもなぁって思ってたんだけど……なんだよ、この最悪な再会。超胸くそ悪いっつーの」
ディートリヒの前に立つマルが肩で息をしている。
生き別れた兄とこんなかたちで再会なんてしたくないよな。
ディートリヒが左の頬をおさえながら立ち上がった。
「何度も言ってるが、僕はきみなんて知らない。八つ当たりはやめてほしいな」
「八つ当たりなもんか! あんたはリーズで生まれたあたしの兄、マルセル・ヘルトリングっ。ディーなんとかっていうすかした名前の方が偽名だろ!」
ディートリヒという名前の方が偽名?
そんなことが……あるのか?
「ち。邪魔な女がいる。今日はいったん引いてやる」
ディートリヒがレビテーションの魔法を唱えたのか、急に上空まで消えてしまった。
「逃げるな、バカ兄貴!」
マルは叫んだが、奴の耳には届かなかった。
* * *
ディートリヒの名が偽名で、マルセルというのが奴の本名。
そんなことが現実的にあり得るのだろうか。
「皆、此度の戦いに全力を尽くしてくれて感謝する。無念にも亡くなってしまった者には哀悼を捧ぐ他ない。次の戦いに備えて、しばし休息を取るのだ」
西の砦に引き上げてテレザさんが兵たちを慰労する。
ディートリヒの凄まじい攻撃を見せつけられて戦々恐々とする者が多かった。
「悔しいのじゃ! あの女、いつもせこい攻撃ばかり繰り出しおって……っ」
ユミス様は雲の上で激しく戦っていたのに、傷はおろか衣服ひとつ乱れていない。
「カルタとものすごい戦いを繰り広げてたみたいですね」
「すごくなどないわ。今回こそあの女の息の根を止めてやろうと思っておったのじゃが、見逃してしもうたわ。わらわの失態じゃ」
「いや、別に殺さなくてもいいと思うんですが」
カルタとの因縁はかなり深いようだ。
アルマは騎士団の方々とともにテレザさんの話を聞いている。
マルの姿がないな。
「マルはどこに行った?」
ディートリヒと会話していたことといい、気になることが山ほどある。
広い砦を隅々まで探す。
たくさんある部屋を端から確認するが、マルはどの部屋にもいない。
「マルはどこに行ったんだ?」
ディートリヒに立ち向かっていったあの様子から、敵前逃亡したとは考えにくい。
二階と三階にもいなそうだから、
「仕方ないから外を探してみるか」
砦はぶ厚い城壁で四方を守られている。
城壁の内側を隈なく探して、階段を上って城壁の上でやっとマルを発見した。
「こんなところにいたのか」
遠くの戦場を眺めていたであろうマルが慌てて振り返った。
「あたしを探してたの?」
「ああ。いろいろ心配だったからな」
マルは一瞬だけ気落ちした様子を見せたが、すぐに大声で笑って、
「あたしのどこを心配する必要があるのさ! けがなんてどこも負ってないでしょ?」
何も気に留めていないと言いたげだが、無理するなよ。
「なんで、あいつが自分の兄貴だとわかったんだ?」
マルがまた少しうつむく。
「マルセルさんと会ったことは前に話したが、そいつがディートリヒと同一だなんて、マルはすぐに気づけないだろ」
マルは答えない。
「もしかして、私がフリーゼさんと話していたことを聞いていたのか?」
太陽神殿を発ってからマルの様子がおかしかったのは気になっていたが……。
「ごめんよ。あなたを探してるときに、聞いちゃったんだよ」
「そうだったのか。やっぱり……」
「だって、あたしの兄貴かもしれない人のことをこっそり話してたんだから、気になるじゃん! ヴェンこそ、どうして教えてくれなかったのさっ」
隠すつもりはなかったのだが、言いづらいとは思っていた。
「すまなかった。奴がもしディートリヒだとしたら、きみを大いに困惑させることになる。だから言えなかったんだよ」
「そのくらいで、あたしが逃げるとでも思ったのかい? 見くびられたもんだね。あたしはそんなに弱くないよ」
マルの瞳の力は少しも衰えていなかった。




