第132話 勇者の闇落ちの理由
「ヴェンよ、妄言にたぶらかされるでない!」
ユミス様の鋭い叱咤が飛んだ。
「そやつの言う通り、神は気に入った人間を選ぶ。じゃが、それは選んだ人間に特定の素質があるからではない。ましてや選民的な思想などではない。単に相性がいいだけじゃ!」
ユミス様がカルタの攻撃を受けてしまった。
「ユミス様!」
「案ずるでない。ちゃんとマジックシールドでガードしておったわ」
ユミス様を黄金の気配が包み込んでいる。
異国風の長い袖や裾をなびかせるカルタが地上に降りた。
「けっ。相変わらず、憎たらしいほどの防御性能だわ」
「わらわたち善神はお主らと違い、攻撃よりも防御の方が得意なんじゃ。悠久の時を貪っていたせいで記憶の一部を失ったのか?」
「だまれっ、クソザコちび助!」
カルタが放った闇の矢をユミス様が光の魔法でかき消した。
「ちびはお主もじゃろ!」
「お前の方がちびじゃ!」
厳かな神の戦いなのに汚い言葉が飛び交っている。
「あれがきみを導いている神か。大したことはなさそうだな」
ディートリヒのぼそっとつぶやいたひと言が癇に障った。
「今のお前を導いてる奴だって、口の汚いしょうもない奴だろ」
「ふ。そんなことはないさ」
カルタの方がユミス様の数倍は品がないと思うが。
「ていうか、あんなちゃっちい邪神に堕落させられるなよ。あんたは魔王を倒した有名人なんだろ?」
「ん? きみは何を勘違いしてるのかな。僕は僕の意思に従って行動している。カルタはおもしろがってついてきているだけさ」
そういうパターンもあるのか?
「本当か? 元勇者の体面を守るために嘘ついてない?」
「嘘なんてついてないさ。やだなぁ」
ディートリヒが肩をすくめた。
「別にどっちでもいいけどな」
「酷いな。もう少し僕に興味をもってくれてもいいじゃない?」
この男が勇者ディートリヒ。
闇の力を使う凶悪な男ではあるけれど、謎の愛嬌というか親しみやすさがある。
魔王や魔物と違って人間そのものだからか?
「ヴェンツェルさん。敵とのんびり会話するのは止めていただきたい」
私の後ろに王国軍の兵士が整列している。
列の真ん中にテレザさんの姿があった。
アルマも彼女を守るように妖精銀の盾を構えている。
「勇者ディートリヒ。いや、今は闇に落ちた黒十字団の統領ディートリヒ! 王国に仇なす貴様をわたしたちは決して許さない。貴様がまだ少しでも良心の呵責に悩んでいるというのならば、武器をそこに捨てて即刻投降するのだ!」
テレザさんの壮烈な言葉がひびく。
だが、ディートリヒは腹を抱えて笑うだけだった。
「良心の呵責? それは何? どのあたりが良心で、どの辺りが悪心だというんだい?」
「ほざけ。自分の胸に手を当ててよく考えろ」
「おかしいな。僕には何一つとして恥じる点はないし、悪いこともしていない。あ、王国の支配者に逆らうことを悪心だというのなら、それは偏ったものの見方だ」
この男は騎士団の屈強な兵に囲まれているというのに、顔色ひとつ変えていない。
「貴様の戯れ言に付き合う気はない。投降する気がないのであれば、ここで貴様の命と首をもらい受ける!」
テレザさんの指示に呼応して兵たちが一斉にロングスピアを突き刺してきた。
「戯れ言に惑わされているのはどちらか、地の底でよく考えるんだな」
ディートリヒが私の横を通り抜ける。
高速で駆けて黄金の剣を振う。
「やめろ!」
奴が剣を振り下ろすたびに闇がぶ厚い壁となって兵を押しつぶす。
「ザコどもが。僕の名と力を忘れたのか? ザラストラにすら遠く及ばないお前たちに僕を倒せる訳ないだろ」
ディートリヒめっ。
「はっはっはっは!」
奴の黒い刃がテレザさんの細首に迫る――!
「させない!」
アルマが盾で奴の攻撃を受け止めた。
「おや。きみも、どこかで会ったな」
「あなたがどのような名声を得た人であろうとも、わたしは許さないっ。善良な人たちを傷つけるあなたを許すことができない!」
アルマが盾で奴を押し返した。
「ふ。お前も騎士団の犬か。素養はありそうだが、残念だよ」
奴が剣を高速で振う。
アルマは盾で防いでいたが、やがて弾き飛ばされてしまった。
「アルマ!」
「くくく……死ねっ」
ディートリヒが長剣を掲げて飛び――させるか!
「吹っ飛べ!」
上級のウィンドブラストを奴の無防備な背中に放つ。
奴を戦場の向こうまで吹き飛ばすことに成功した。
「アルマ、大丈夫か!?」
彼女はテレザさんとともに転倒していたが、命に別状はなさそうだ。
「ヴェンツェル……ありがとう」
手を差し出してアルマを起こす。
「すまない。邪魔をしてしまったかな」
「ううん。倒れたまま攻撃を食らったら危な――」
奴の高笑いが聞こえてくる!
「まさかっ」
「奴は不死身か!」
ディートリヒが悪魔のように戦場の彼方から急接近してくる。
「させるかっ」
アクアボールで奴の動きを牽制するが……止められない!
「しね!」
メネス様からいただいた霊木を杖を構えてアクアガードを唱える。
水のぶ厚い壁を形成したが、奴の放った闇の魔法を打ち消すことができなかった。
アルマたちとともに弾き飛ばされるが、空中でなんとか態勢を整えて地面に着地した。
「僕を後ろから攻撃してくれるとは、やってくれるね。きみは僕のいい同志になれると思ってたんだがね」
なんという力だ。
闇の力が強いのか。
それとも奴の魔力がすさまじく高いのか。
ユミス様から教わった上級魔法をもってしても奴を止めることができない。
「お前の同志になんてなるか。犯罪に手を染める気はない」
「おや、それは残念だな。きみには素養を感じていたんだがね」
犯罪者になる素養でもあるというのか?
「犯罪というのは法を犯した者が行う行為だ。法をこの国がつくっているというのであれば、僕は犯罪者と呼ばれてしまうだろう。しかし、この一方的な決めつけこそ傲慢な行為だと思わないか?」
また訳のわからないことを言ってきたな。
「奴らに従わなければ僕は犯罪者と呼ばれてしまうのだ。愚劣な者が僕を裁くなんて、おかしいと思わないか?」
「王国だって領民を守るために法を整えているんだろ。その法に抵触すれば犯罪者になるのは当たり前なのではないか?」
「僕が言いたいのは、法を整える者たちが間違っているということさ」
この男は徹底して王国と敵対したいんだな。
「あんな奴らにどうして僕が従わなければならない? ザラストラを倒したのはこの僕だ。奴らは後ろで指をくわえていただけだ。それなのに僕は奴らよりも位が下なのだ。このような屈辱を僕は認められないよ。奴らを倒して僕が王になる。それで世界は安泰さ」
「それが暴れている理由だったんだな」
「暴れているとは心外だな。僕は本気だよ。弱い者を排除して強い者が頂点に立つ。世界の正しい在り方を世に示すんだよ」
この男はたしかに純粋な男だ。
――純粋な心をもつ者ほど道を踏み外しやすい。
ユミス様から以前に言われたが脳裏によみがえっていた。




