第131話 勇者ディートリヒと対決!
国境に近い平野で戦いが繰り広げられていた。
「怯むな、戦え!」
黒十字団はまた凶悪な魔物を従えている。
三つの首をつなげた魔獣が口から炎を吐き、戦場を火の海に変えようとしていた。
「ヴェンツェル!」
「まかせとけ!」
火を消すのは水だ。
大量の水を広範囲に放出すれば、消火とともに多勢の敵を押し流してくれるはずだ。
「食らえっ」
戦場で暴れる敵に両手を向ける。
フラッシュフラッドの魔法を唱えて大量の水を一斉に発生させる。
「な、なん……っ」
鉄砲水のような流れが、黒い衣服と胸当てをつけた兵たちと魔獣を押し流す。
燃え上がっていた炎も根元から消火させることに成功したか。
「ヴェン、やるぅ!」
「消火作業ならまかせておけっ」
フラッシュフラッドは魔力の消費が大きい。
だが、やむを得ないか。
「敵の中に強力な魔道師がいるようだな」
上空にも敵の気配があるぞ。
灰色の空にたたずんでいる二つの影。
左のユミス様と同様の小さな影は邪神カルタだ。
もう片方の長身の男は……だれだっ。
「カルタめ。やはり生きておったか」
ユミス様が幼女の姿へ戻られる。
「ヴェンツェル、あの人が、もしかして……」
黒十字団の黒い外套と甲冑に身を包んだ男は、今日もピンクブロンドのめずらしい髪をなびかせていた。
上空から神のように私たちを見下ろして、カルタに何かを話している。
奴が黄金の剣を抜いた。
「来るぞ!」
男が剣を構えて隼のように急降下してくる。
「はーっ、はっはっは!」
地面に近づくと宙で剣を振り……なんだこの攻撃はっ。
「よけるのじゃ!」
闇の波動が岩盤のように落下する。
闇が広大な戦場を押しつぶして……前線の兵たちが一撃で倒されてしまった。
「モレンできみたちに負けたのは、小賢しい魔道師を引き連れていたからか。カルタが報告した通りだったようだな」
男がレビテーションの魔法を解く。
静かに降り立つ男は敵ながら優雅であった。
「やはり、あなたがディートリヒだったんですね。マルセルさん」
男が私に顔を向けて目を見開く。
「おや、きみは……水竜の湖で会って以来だね」
「はい。その節はお世話になりました」
この人が偽名を使って正体を隠していたのではないかと想像していた。
だが、この想像がはずれてほしかった。
「きみがどうしてこんなところにいる? きみは軍属ではなかったはずだろう?」
「ええ。軍属ではありませんでしたが、とある目的のために王国軍のクエストを引き受けたのです」
「とある目的? もしかして僕を倒すつもりなのかい?」
「その通りです。そして、あなたのそばで囚われているウシンシュ様を解放します」
マルセルさん……いやディートリヒが高らかに笑った。
「これは驚いた! 以前に知り合った同胞が敵として現れただけではなく、ウシンシュのことまで知っているとはっ」
「ウシンシュ様はあなたを勇者へと導いた善神でしょう。それなのに、あなたがこのように闇落ちしても、ウシンシュ様は未だにあなたから離れられないでいる。ヴァリマテ様はそれを良しとしていない」
ディートリヒは薄く笑うだけでひと言も否定しない。
「あなたを倒し、ウシンシュ様を解放する……いや、できればあなたを元の道へ戻して差し上げたい」
「ふ。できるのかな、きみに」
ディートリヒが急接近してくる!
斬られる前にウィンドブラストを放つ。
突風の反動を生かして奴と距離を取る。
「シャァ!」
ディートリヒが剣で宙を斬り落とす。
漆黒の斬撃がエアスラッシュのように飛びかかってくる。
「闇の魔法かっ」
奴の攻撃は早い。
今まで戦ってきた、どのような敵よりも強い。
「ヴェン!」
ユミス様が私に近づこうとするが、
「あんたはわしと遊ぶんじゃ!」
カルタに闇の魔法を使われて、行動を妨害されてしまった。
ふたりの神をディートリヒが涼しい顔で眺める。
「あの幼子は前に紹介してくれたね。彼女も神だったのか」
「そうだ。あの方は運命と生まれ変わりを司る善神ユミス様。ウシンシュ様の失踪を嘆いておられる」
「へぇ。じゃあ、きみも神に選ばれた人間なんだ」
神に選ばれるという話はフリーゼ様も話しておられた。
「そんな仰々しいものではないが、ユミス様は私を気に入ってくださって、私に生きる力と強力な魔法を授けて下さったのだ」
「いっしょさ。特定の選ばれた人間が神の加護によって強い戦士へと育っていく。そして、魔王すら圧倒する力をつけていくんだ。僕もそうやって強くなった」
フリーゼ様から聞いた話と同じだ。
「僕たちはその辺にいる石どもとは違う。神に選ばれた特殊な存在なんだ。きみだって、とっくに気づいているはずさ」
「特殊な存在ではない。運が少しよかっただけだ。そういう思い込みはやめろ」
ディートリヒが空を仰ぎながら笑った。
「バカを言うな! きみの顔にだって、しっかりと書いてあるぞ。『僕は他の奴と違う』って」
「ふざけるな! そんなことは微塵も思っていないっ」
「いいや、思っているさ。きみは神に選ばれた人間なんだ。これまで、普通の人間では決して体験できない数奇な出来事をたくさん体験してきたはずだ。それでも他の奴と違うと思えるというのかい?」
奴の強い断定口調を阻むことができない。
四十二歳のあの日、私は深い滝つぼに落とされて死んだ。
しかし、ユミス様に命を救っていただいた。
若い肉体を得て、強力な魔法を習得させていただいて、挙句に猫にまで変化させられた。
――私もあなたやディートリヒのように、神に好かれたい。
――神に選ばれる生活はどんなに至福なのか。羨ましくて仕方ない。
ディートリヒの下で活躍して、今でもたくさんの徳を積まれているフリーゼ様ですら神に選ばれていないのだ。
「その顔……心当たりがたくさんあるようだね」
「だまれっ。そんなことはない!」
「強がったって無駄さ。自らが体験してきた事実は嘘をつかない。きみは神に選ばれた特殊な人間なんだ。こんな幸福と優遇をきみはどうして否定するんだい? ずる賢い手を用いて得た力や境遇じゃないんだ。もっと堂々ときみの存在を言い張ればいいだろう」
そんな、ことは……
「きみの考えこそ僕にはわからない。まだ発展途上とはいえ、きみは王国軍など簡単に圧倒できる力を得ているんだ。持てる力を有効に使うのが選ばれた者の使命だ。きみはこんなつまらない場所で留まっていてはいけない人間なんだよ」
そんなことはないはずだ。
それなのに、どうして私の奥底がそれを否定しないんだ。




