第13話 十ヶ月の成果
この話で十ヶ月くらい時間軸が変わりますのでご注意ください。
神殿の大広間をゆっくりと時間をかけて掃除して、五日くらい経過した頃に美しい神殿の姿が感じられるようになった。
「ヴェンのおかげで神殿がとてもきれいになったのう!」
ユミス様が短い両腕を上げて、ぴょんぴょんと跳びはねる。
「まだ広間と玄関だけですけどね」
「何を言うておる。これだけで充分じゃ」
ユミス様の小さい身体が神々しい光で包まれていた。
「祭壇のまわりと天井は、はたきで徹底的に埃を除去しました。床も雑草を根もとからしっかりと取り除きましたから、当分は持ち堪えられると思います」
「うむ、うむ。あの高い天井を、レビテーションの魔法を駆使して掃除したのは妙案じゃったな。ヴェンは掃除の天才じゃ!」
「天才って、褒めすぎですよ」
謙遜するが、素直に褒めてもらえることが嬉しかった。
「なんじゃ、照れておるのか? そなたは神に良いことをしたのじゃから、もっと胸を張ってよいんじゃぞ」
「そう、なんですかね。私はただ自分の思いに従って行動しただけなんですが」
「真面目な話、ヴェンがわらわにした施しは、他所の神殿を管理しておる神官たちのそれと同じじゃ。ヴェンも名実ともに神に仕える者になったのじゃ」
私が、神官に……
「そなたはわらわに仕える唯一の神官じゃ! 希少じゃぞー。神官の中でも特別じゃぞー」
「マイナーなユミス様に仕えたいという人はいませんからね」
きっぱり言うと、ユミス様が……わかりやすく落ち込んでおられる!
「ひ、ひどい。ひどいぞ……ヴェン……」
「すみません、ユミス様。冗談のつもりだったのですが……」
調子に乗って言い過ぎてしまった。
なんと弁明すればよいか困り果てていると、突然ユミス様に抱きつかれた!?
「おぶっ」
「隙あり!」
ユミス様の柔らかい感触が顔の全体に……
「苦しいから離れてください!」
「ほごっ」
悪口を少し言ったくらいで、この人が本気で落ち込む訳なんてなかった。
「遊んでないで、昼食の後から魔法の勉強をさせてもらいますよ」
「ほーい」
魔法の勉強もペースはゆっくりであるが、大きな障害に直面することなく進んでいる。
「風の初級魔法はあらかた習得できたかの」
「そうですね。冒険者ギルドに計ってもらわないとわかりませんが、たぶん初級レベル十でカンストしてるでしょう」
「冒険者、ギル? カカ、カンス……?」
素直に目をまるくされているユミス様がおかしかった。
「冒険者ギルドは人間の街にある施設ですよ。冒険者を支援する民間の団体です。それとカンストというのは、レベルが上限に達したことを指す言葉です」
「ほぉー。またわらわの知らない言葉がいっぱい出てきたのう。施設のことはともかく、魔法にレベルなどというものまであるのか?」
「レベルは初級などの等級をさらに細分化した段階を指します。レベルはそれぞれの等級で十までありまして、初級の魔法を習得していくとレベルが上がっていく仕組みになっているんですよ」
この習得スキルを管理する仕組みは、冒険者ギルドが王国から命じられて設定したものなのだという。
「その『レベル』というのが上がっていくと、よいことが何かあるのか?」
「ええと、自分の能力や特技を他の冒険者にアピールする指標になる感じですかね。『私が習得しているスキルは、水の魔法が初級レベル十です』といった説明の仕方になります」
「何がいいのか、わらわにはさっぱりわからんのう」
ユミス様が原っぱにごろんと寝転がった。
「ユミス様は人間とレベルが違い過ぎますから、アピールなんてする必要ないですからね」
「そんなまわりくどいことせんと、皆で楽しくやっていけばよかろうに」
「冒険者が多ければ必然とクエストを取り合うことになりますからね。そうなれば、保有しているスキルや年齢によって冒険者は選定されることになります。どうしてもアピールする必要性が生まれるんです」
私は年齢と経験によって、冒険者パーティの加入申請を断られ続けてきたから、若い冒険者よりもこの辺りの感覚は繊細だ。
「人間たちの世界は色々と複雑なんじゃのう。わらわはもう、ついていけんわ」
ユミス様が、ぐったりと原っぱに倒れ伏していた。
* * *
日の出とともに起きて午前中は神殿の掃除、午後は魔法の勉強に当てる日課がすっかり定着した。
来る日も来る日も同じことを続けて、神殿は地下の小部屋まできれいになった。
神殿は人里はなれた場所に建っているせいか、他人と遭遇することはほとんどない。
数ヶ月に一度、この近辺に迷い込んだ冒険者と遭遇するか、盗賊が偶然にも神殿を見つけて忍び込んでくるかのどちらかに直面するだけであった。
「ヴェンも上級魔法を習得しはじめて、どのくらいの月日が経ったかのう」
夕食を摂る砂浜で夜の海を眺めていると、ユミス様がつぶやくように言った。
「さて。どのくらいでしょう。日数をちゃんと数えていないので正確な日数はわかりませんが、十カ月くらいは経つんじゃないでしょうか」
「もう、そんなに経つのか」
初級魔法の習得は、ユミス様と出会ってからひと月も経たずに完了できた。
「上級魔法は難しいので時間はかかりましたが、水と風の上級魔法はほぼ全て習得できました。ユミス様のお陰です」
「ほほ。ヴェンはいい子じゃな」
ユミス様が小猫に変化して私の頭に飛び乗った。
「そろそろ、いいじゃろう」
「そろそろ……?」
「ヴェンのお陰で神殿もきれいになった。そろそろ新しい土地へ旅立つ時なのではないか?」
今の生活を終わりにして、新しい生活を求めるのか。
「わらわは運命を司る神。同じ生活をだらだらと続けることは好かぬ。お主だって、そろそろ人間の世界に戻って自分の力をためしてみたいんじゃろう?」
「そうかもしれませんけど、神殿はどうするんです? ユミス様はここから離れられないんでしょう?」
「おや? そんなことをいつわらわが言ったかの?」
ユミス様が私の頭を踏みしめて夜空を跳躍した。
「神殿から離れるおつもりですか?」
「おつもりも何も、わらわはそなたが来る前からそうしておったんじゃがな」
「いや、しかし神殿がやっときれいになったのに、もったいないじゃないですか。盗賊がたまに来たら、神殿を荒らされてしまうんですよ」
長い時間をかけて手入れした神殿には愛着がある。
盗賊どもの汚い手によって神殿が荒らされることなど、断じて許すことはできない。
「神殿のことなら心配するな。玄関と祭壇以外、どこも触れられないように魔法をかけておくゆえ」
「そんなことができるんですか」
「もちろんじゃ。神の社を荒らす悪党はいつの時代にもおるからの。神が人間たちの醜い性を見破れないとお思いか? 当然、彼奴らに対抗する手段は用意されておるわ」
ユミス様の言っていることはよくわからないが、神殿を留守にしても問題はないということなのだろう。
「それなら、ここから旅立っても大丈夫ですね」
「塵や雑草は除去できんから、たまに帰って手入れする必要はあるやもしれぬがな」
「そっちの対応は魔法じゃできないんですね……」
よくわからない。神が定めたルールや仕組みは……
「ヴェン、お主はこのようなところで終わる者ではない。もっと複雑で新しい人間の世界をわらわに見せてくれ」
「わかりました。今度は私がユミス様を導いて差し上げましょう」




