第105話 マルセルさんはマルさんの兄?
マルさん!
そうだ。グーデンで知り合った踊り子のマルさん……本名はマルグリットさんか。
あの人が探している実の兄さんの名前がマルセルさんだったんだ。
「マルグリットだと?」
マルセルさんの澄ました表情が明らかに変わった。
「マルグリットさんとはグーデンで知り合いました。知り合ったと言っても、一度だけお食事をごいっしょさせていただいただけなのですが。その食事の席で、お兄様を探しているとおっしゃっていました」
「その女が僕を探していると?」
「はい。あなた様がマルさんのお兄様でしたら、そうなるのかと思いまして」
ぴりついていた空気がさらに凍りつく。
「マルさんは、幼い頃にお兄様と生き別れてしまったとおっしゃっていました。マルさんが神殿に預けられていたときに、お兄様が忽然といなくなられてしまったようなのですが。そのお兄様のお名前もマルセル様とおっしゃられるそうなのです」
マルさんから聞いた話をアルマはよく覚えているな。
「マルさんのお名前は『マルグリット・ヘルトリング』さんと言います。あなた様のお名前、『マルセル・ヘルトリング』様なのではないですか?」
マルセルさんの表情がなぜか険しくなる。
「知らないな。偶然、同じ名前だっただけだろう」
「マルさんのお兄様ではないのですか?」
「すまないが、心当たりがないな。僕の名前が別段めずらしい名前である訳ではないし、そもそも僕の姓は『ヘルトリング』ではない」
「では、どのようなお名前なのですか?」
アルマがめずらしく食い下がるが、マルセルさんは何も答えなかった。
「僕たちは先を急いでいる。他に用がないのであれば、ここで失礼させていただこう」
* * *
湖を占拠していた水竜が討伐されたと知り、門番や行商たちがすぐに戻ってきた。
静かになった湖にたくさんの小舟が出されて、大勢の兵たちによって水竜討伐の確認が行われた。
「いやぁ、きみたちはすごいな! あの凶悪な竜を一瞬で仕留めてしまうなんて。いくら感謝しても感謝し切れないくらいだ」
多くの門番や行商たちからお礼を言われる度に事実と異なると弁解しているのたが、誰ひとりとして聞き入れてくれない。
「水竜を倒したのは私たちではありません」
「そんなことはあるまい! この場に残っていたのはきみたちだけなのだから。直に王国から感謝状が届くだろうから、ありがたく受け取りたまえ」
「この場にはマルセルさんという別の冒険者も残っていたんです。水竜を倒したのは私たちではなくマルセルさんです」
「マルセルだと? そんな奴の名前は知らんが……」
門番の人が別の仲間に振り返って……このやりとり、何回目になるんだ。
「マルセルさんは足早に立ち去ってしまいましたが、水竜を倒したのは私たちではないんです」
「はっはっは。きみたちも剛情だなぁ。この際、誰が水竜を倒そうが、どうでもいいではないか。きみたちは他人のおこぼれで王国から報酬がもらえるんだぞ。だったら、ありがたく受け取ればいいではないか!」
「いや、だから――」
「ヴェンよ。もうやめるのじゃ。その者の言う通りじゃ。もらえるものを素直にもらっておくのじゃ」
ついにユミス様に止められてしまった。
いまいち釈然としないが、私が引き下がらないと話がまとまらなくなってしまう。
「お主もいちいち真面目すぎるのじゃ。水竜を倒した当の本人はもう戻ってこんのじゃ。わらわたちが損をするのでないのであれば、余計な騒ぎを起こすのはよくないぞ」
「そうですが、いまいち納得できないだけですよ」
「ヴェンの真面目なところは美徳じゃと思うがの」
報酬をもらうのは了承するとして、王国から報酬と感謝状が届くまでここを動けないということか。
アルマは少し離れた畔で湖を眺めていた。
門番の人や行商に気づかれないように、大きな木の近くで休んでいるようだが。
「こんなところにいたのか」
「あ、ヴェンツェル」
「マルさんとマルセルさんのことを気にかけてるのか?」
アルマは丸太に腰かけているようだ。
私もとなりに座ろう。
「ヴェンツェルはどう思う?」
「マルセルさんがマルさんのお兄さんだっていうことか?」
「うん。絶対あの人がマルさんのお兄さんだと思うんだ」
女性の勘というやつか。
「その点については同意だな。マルさんの本名を言ったら、あの人は明らかに動揺していた」
「だよね! ああっ、やっぱりあの人がマルさんのお兄様なんだ」
「だが、あの人がマルさんのお兄さんだという証拠はない。まったく違う理由であの人が動揺した可能性もあるわけだから、思い込むのは危ないと思う」
あの動揺の仕方は明らかに不自然だった。
マルさんとの血のつながりを否定しないといけない理由でもあるのか?
「でも、あの人はやっぱりマルさんのお兄様だよ。間違いないもん」
「その点は私も同意するんだけどね」
「もうっ、ヴェンツェルは誰の味方なの!?」
結論を急がないでほしいだけなんだが……。
「マルさんとマルセルさんの血のつながりは調べてみないとわからない。だけど、それ以前に当の本人たちがいないんだから、私たちだけであれやこれやと言い争っても結論なんてでやしないさ」
「そうだけど……」
「マルさんがいれば、もっと強力な手がかりをくれたんだろうけど、悔しいな。グーデンで会ったときに強引にでもパーティに引き込むべきだった」
「こんなところでマルさんのお兄様に会えるとは思えないもんね」
「うーん。マルさんの件も気になるけど、あの闇の力も気になるよな」
闇の力を人間は扱えないんじゃなかったのか。
「闇の魔法をギルドで学べるって言ってたよね」
「そうなんだよな。グーデンじゃ、そんなこと一度も聞いたことなかったけど。フェルドベルクは規則とかいろいろ異なるのか?」
「その可能性は否定できないけど……」
それにしてもユミス様の動揺の仕方が印象的だった。
「凶悪な竜を一瞬で倒してしまうレベルの高さといい、メヒティルデさんの不気味さといい、気になるところばかりだった。ああ、無理やりにでも引き留めておくんだった!」
アルマの苦笑する声が聞こえた。




