第104話 闇の力を使う男
ピンクブロンドのめずらしい髪をそよ風になびかせている男だった。
腰に黄金の剣を差して、青いマントで身をつつんだ姿はまるで王子か貴族の子息だ。
「きみたちも冒険者かな? 水竜と対峙しているというのに、こんなところで立ちつくして勇敢なのか。それともただの能天気なのか」
胸を張り、落ち着き払った言動からもただならぬ気配を過敏に感じさせる。
「私は北のバルゲホルムから流れてきました、冒険者のヴェンツェルと申します。あなたがたも冒険者ですか?」
男の後ろに立つ影のような女は魔法使いか。
黒い外套に黒い目。
黒い髪の上に黒い三角帽子をかぶっている姿は、影そのものだ。
「ご明察の通り。僕はマルセル。フェルドベルクを拠点にしている冒険者さ」
マルセルさんと握手をかわす。
白い手は細いが、男性特有の骨太さが感じられた。
「後ろにいるのはメヒティルデ。僕にずっと付き添ってくれている仲間だ。基本的にいつもしゃべらないから、きみたちに対する自己紹介を拒絶している訳ではない。どうか気を悪くしないでくれ」
メヒティルデさんという影のような人は、マルセルさんが言う通りひと言もしゃべらない。
顔立ちはきれいだけど、肌は衣服と真逆で病的に白いから、雰囲気がかなり怖い。
「いいえ。大丈夫です」
「きみは優しい人だな」
私もユミス様(神のことは伏せたが)とアルマを紹介しながら、妙な違和感が心の奥底にずっとくすぶっているのを感じていた。
マルセルさんは二十代か?
偽勇者三人衆と同じくらいの年齢か、奴らより少し上か。
いや、そんなことよりも気になるのは、この人の名前だ。
マルセルって、どこかで聞いたような気が……
「ここを妨害していた門番までいなくなって、ここに残っているのは僕たちだけになった。そして、きみたちもそうであろうが、僕たちはこの湖の道を通過しなければならない。そうなれば、僕たちが取れる施策は何になるかな?」
「先ほど出現した、あの湖の竜を退治するんですか?」
「ご名答! きみはいい冒険者だね」
マルセルさんが急に動き出す。
影のようなメヒティルデさんとともに仮設の門を通過していく。
「ヴェンよ、わらわたちも行くのじゃ!」
右足に力を込めて地面を踏みしめる。
「あの男は何者じゃ。人間なのに、人間ではない気配を発しておるぞ」
人間なのに、人間ではない気配を発している?
「ユミス様、それはどういう意味です?」
「うむ。くわしく話せば長くなるんじゃが――」
先の湖から水の大きな音が聞こえた。
「あやつら、さっそく湖の竜を刺激しおったな」
マルセルさんとメヒティルデさんが湖の畔に立っている。
その先の水面にそびえているのは竜の長い首。
「あんな大きい魔物がいるの!?」
「あの竜は、私たちが今まで戦ってきた魔物よりも強いかもしれない」
竜になんて勝てるのか!?
いや、だいじょうぶだ。
私たちだって強敵を幾度となく倒しているんだ。
「湖の竜が眷属を呼び寄せおったぞ!」
水竜の前に魚のような魔物が現れる。
十匹以上もいる彼らは主人を守る兵のように、マルセルさんたちに向かっていく。
あの二人は魔物の群れと対峙しても顔色ひとつ変えていないぞ。
「わたしたちも早く加勢しなきゃ!」
「待つのじゃ、アルマ。奴らにまかせてみるのじゃ」
マルセルさんが黄金の剣を抜いた。
何も手にしていない左手をおもむろに上げて、呪文か何かを唱えている?
「何をする気だ」
人を呑み込んでしまいそうな魚の魔物が大きな口を開けた。
「死ねっ」
マルセルさんが左手から黒い何かを放った。
あれは、なんだ。
黒い力が鉈のように真横に伸びて、魚の魔物を一瞬で真っ二つにした。
「あれは……闇の魔法じゃ」
なんだって!?
マルセルさんが宙に浮き、水面を地面のように駆けながら魔物たちを斬り捨てていく。
「はははは!」
なんなんだ。あの人は。
メヒティルデさんという影のような人もおそらく闇の力を発して、魔物たちを一匹残らず倒していた。
「人間がどうして闇の力を使っている。人間では闇の力など扱えぬはずじゃ」
ユミス様が激しく動揺されている。
「先ほどの、人間なのに人間ではない気配を発しているというのは、あの闇の力のせいなのですか」
「どうやらそのようじゃな。しかし、魔物が人間に化けているようにも見えんし。訳がわからぬ」
魚の魔物の数匹がこちらに向かってきた。
「アルマ、来るぞ。構えるんだ!」
「わかった!」
アルマが妖精銀の盾で魔物の攻撃を防いでくれる。
彼らが唱えている水の魔法はウォーターガンのようだ。
彼らの攻撃が止んだ隙にエアスラッシュを唱えて、こちらも一匹残らず魔物を撃退した。
「あの男の人が水竜に向かっていく!」
マルセルさんがレビテーションの魔法を駆使して水竜に突撃する。
水竜は口を開けて氷の吐息のようなものを吐き出したが、マルセルさんの前に光の盾が現れて氷の吐息を打ち消した。
「あれはマジックシールド。黒い女が唱えたものか」
ふたりとも、かなりレベルの高い冒険者たちのようだ。
「くたばれ!」
マルセルさんがまた闇の魔法を唱える。
黒い剣の四本も出現して水竜の顔面と首筋をえぐった。
「あの竜はかなり強い力をもった者であるはず。その者に対してこうも圧倒できてしまうとは……信じられぬ」
マルセルさんは水竜の首が落ちるまで何本も黒い剣を召喚する。
黒い剣が漆黒の雨のように降り注いで、水竜の首は音を立てて湖の中へ落ちてしまった。
* * *
「これで、もう大丈夫だろう」
マルセルさんがレビテーションの魔法を解いて水辺に降り立つ。
全身に返り血を浴びた姿はまるで悪魔だ。
「きみたちはやはり強い冒険者だったようだね。怪我はないかい?」
マルセルさんが微笑を浮かべながら歩み寄ってくる。
ユミス様が私の前に立った。
「お主、何者じゃ。人間なのになぜ闇の魔法が使える?」
「闇の……? おや、きみはただの幼子ではなかったのかな?」
「話を逸らすでない。適当な話をでっち上げて、わらわを口車に乗せようとしても無駄じゃ。そのようなもの、わらわには通じぬ」
影のようなメヒティルデさんが右手に持っていた杖をわずかに動かす。
それをマルセルさんが制した。
「勘違いしないでほしいが、人間が闇の魔法を使えないというのは遠い昔の常識だ。今は闇と魔法の研究が進んで、人間でも闇の魔法が習得できるようになったのだよ」
そうなのか? 初めて聞くが……。
「そのような嘘でわらわを謀るつもりか?」
「信じる気がないのなら、メトラッハの冒険者ギルドを尋ねればいい」
ユミス様の主張を全面的に支持したいが、マルセルさんの言葉が偽りであると証明する術もここにはない。
一触即発の状況の中、アルマが横から口を開いた。
「あなたのお名前、『マルセル・ヘルトリング』様ですか? マルさんの……ううん。『マルグリット・ヘルトリング』さんのお兄様ではないですか?」




