第103話 旅路をふさぐ湖の魔物
フェルドベルクの都はメトラッハという名前のようだ。
フェルドベルクの中央部にあり、馬に乗っても数日はかかる距離なのだという。
「次の目的地は決まったな。メトラッハだ」
ユベルリンゲンに二日ほど滞在して、三日目の朝に二人に提案した。
「この国の首都だよね。かなり遠いみたいだけど、たどり着けるのかな」
「大丈夫さ。急がなくていいんだし、他の街や村でも手がかりを探しながら向かえばいいんだから」
「そっか」
ウシンシュ様の消息は気がかりだけど、いなくなられて数年は経ってるみたいだしなぁ。
「急いでも仕方あるまい。出発する前にのんびり買い物でもしようではないか」
ユミス様があくびを漏らしながら言ったが、
「買い物はだめですよ」
「なぜじゃ!?」
なぜじゃって、今は目的地へ移動中なんですよ。
「前にも言いましたよね。無駄金を使って路銀を浪費できないんですよ」
「ヴェンよ、わらわの生活の源である買い物をそなたは無駄だと申すのか!? そのような冒涜、わらわは断じて――」
「はい。無駄です」
きっぱり宣言すると、ユミス様が世界の終わりを目の当たりにしたような顔つきになった。
「ヴェンは、ヴェンは……ひどいのじゃ」
そして両手で顔を隠してさめざめと泣きはじめて……芝居だこれ。
「アルマよ、ヴェンはひどいのじゃ。いつもこうやって、わらわから自由を奪って、わらわか苦しんでいるのをひそかに楽しんでいるのじゃ……」
「うーんと、ヴェンツェルの方が正しいと思うけど……」
「なんじゃと! アルマまでわらわをいじめると申すかっ」
ユミス様の猿芝居があっさり看破された。
「そういう訳ですから、諦めてください」
「うう……っ、そなたらの見てないところでこっそり買い物してやる……」
謎のこっそり宣言をスルーしてユベルリンゲンを経った。
「酒場のマスター、お食事たくさんくれたねっ」
「あの人、アルマにぞっこんだったからなぁ」
酒場の店主に挨拶したら、干し肉などの保存食をたくさん分けてくれた。
アルマは丁重に断っていたが、店主の押しがあまりに強かったので断り切れなかった。
「何度も断ったのに……」
「ほほ。くれると言うのじゃから、素直にもらっておけばよかろう」
ユミス様が小鳥に変化してアルマの頭に乗っかった。
「わらわは人間が信仰してくれたら迷わず力をもらうぞよ」
「はぁ」
「アルマはユミス様みたいに図太くないですからね」
この辺りの達観しているお姿はさすが神様といったところか。
「ユミス様は信者獲得に余念がありませんね」
「無論じゃ。この世のすべての人間の信仰を集めてやるぞよー!」
ユベルリンゲンから南西へと伸びる街道の先は山道になっているようだ。
地図には「シュヴァルデン」と書かれているが。
「この先は山道なんだね」
「そうだな。それほど高い山ではなさそうだけど」
「アルマにランスの手ほどきをした、あのうるさいウル族の庵を思い出すのう」
アルマにランスを教えたのは、「ふはははは」でお馴染みのあの先生か。
「バルタ先生ですね。元気にしてるかな」
「あやつなら心配ないじゃろう。どのような攻撃を受けても倒れそうにないからのう」
「先生は身体が丈夫だから」
それでも、急に体調が悪くなってあっさり亡くなってしまった人たちを農民の頃に何度も見てきた。
「バルゲホルムに戻ったらバルタ先生に会いに行こう」
「うん」
山道は勾配がそれほどきつくない。
上り坂が続くから足に負担があるけど、重い荷物はライテンの魔法を使えば重さをほとんど相殺できる。
「そんなにきつい山道じゃないけど」
「わらわたちと同じような冒険者や行商が多いようじゃのう」
ユミス様が言われる通り、山道を歩く人々の姿が多くなったように思える。
まわりの話し声が、聞き耳を立てなくても聞こえてきてしまうが。
「おい、聞いてるか? この先、通行止めになってるんだって」
「ええっ、マジかよ」
「なんでも、水辺の魔物が現れたみたいだぜ」
この先が通行止めになっている?
「ヴェンよ、聞いておるか?」
「はい。この先が通れなくなっているようです」
まわりから聞こえてくる話をまとめると、水辺の魔物によってこの先が封鎖されているようだが。
「山の中なのに水辺の魔物が現れるのって、おかしくない?」
「ひとまず現場に向かってみよう」
大きな岩を縫うように道が伸びて、山頂の少し手前に広い泉が現れた。
「ここはどうやら湖のようじゃのう」
「この湖に魔物が棲みついちゃったのかな」
どうやらアルマが想像した通りの状況になっていそうだ。
木造の古い建物が並んだ山腹に人だかりができている。
仮設の柵が道を塞ぎ、門番らしき兵たちが直槍を突き立てていた。
「なんで通してくれないんだ!」
「だから何度も言ってるだろ。ここは危険なんだよ!」
「危険でもいいから通してくれたっていいじゃないか!」
行商らしき人たちが門番に食ってかかるが、門番は右手で彼らを押し返すだけだ。
「だめだだめだっ。国の命令でここを通していけないことになっている。別の道を探せ!」
「そんなぁ。早く運ばないと食いもんが腐っちまうんだぞ」
「そうだそうだ! 積み荷が全部ダメになっちまったら、お前ら責任とってくれるのかっ」
「うう……うるさい! いいからあっちに行けっ」
ダメだ。取り付く島もなさそうだ。
後ろで不平不満をもらしていた冒険者たちも行商の抗議に参加し出したが、門番の方も後ろで待機していた人たちを呼びよせて騒動が大きくなってきた。
「ヴェンよ、まずいの。このまま放っておいたらやがて暴動へ発展してしまうぞ」
「はい。しかし、どうすれば――」
遠くに突然、水の柱のようなものが立ちのぼった。
「なんだ!?」
水の柱は轟音とともに大量の水しぶきを発する。
「お、おいっ」
水の柱の中にいるのは、なんだ。
水面からつくり出していた水の衣が落ちて、現れた黒い影はまるで巨大な塔――
「出たぞぉ!」
言い争っていた人たちが驚き、われ先に山道を駆け下りていく。
この地を封鎖していた門番たちも槍とともに職務を放棄してしまった。
「あの巨大な魔物は、なんだ」
巨大な塔は私たちをひとしきり睥睨すると、湖の中へと消えていった。
その悠然とした姿をユミス様はアルマとともに見上げていた。
「あれはおそらく――」
「きっと水竜だろう」
背後から不意に若い男の声が聞こえた。




