第二十一話 幼なじみから旦那様に 1
病室のドアをノックすると、どうぞという父親の声が帰ってきた。
ドアを開けて部屋に入ると、何度かお目にかかったことのある若い男の人が立っていた。たしか父親と同じ部署にいる人だったはずだ。
「こんにちは」
私と修ちゃんを見て、その人はニッコリとほほえんだ。
「こんにちは。もしかして、お邪魔でしたか? だったらどこかで時間をつぶしてますけど」
「いえいえ。もう終わりましたから。では部長、また来週末にうかがいます」
「うん。あとのことは頼むね」
そう言って父親はその人を送り出した。その人が出ていくのを見届けてから、私達は父親のベッドの横にいく。
「打ち合わせの邪魔しちゃった?」
「いや、大丈夫だよ。今日までの投薬量と検査数値のリストを渡していただけだから。ああ、ダメダメ、どういうことかは企業秘密。認可前の薬のことは部外者には話せません」
「えー……家族なんだから治療のことは話してもらえるんじゃないの?」
そう言いながら、今まで母親以外は医者から話を聞かされていないことに気がついた。
「ダメです。万が一よその製薬会社に情報が洩れたりしたら、うちの会社は大損害だよ? だから、話を聞くのは母さんだけ。真琴はダメ」
「えー……」
口をとがらせた私に父親は笑う。そしてひとしきり笑った後、修ちゃんのほうに視線を向けた。
「修司君、卒業おめでとう。いよいよ自衛官として出港だな」
修ちゃんが父親と顔を合わせたのは去年の夏だ。その時に比べてずいぶんやせてしまった父親を見て、修ちゃんはなにを思っただろう。だけど、父親と話をする表情は、いつもとまったく変わらないものだった。
「はい。おじさん達のおかげで、無事に卒業することができました。今日まで本当にありがとうございました」
そう言って頭をさげた。
「いやいや、僕達はなにもしてないよ。ここまで来たのは、修司君の努力の結果さ。次は江田島で一年間なんだよな? 東から西へと大移動だね」
「全寮制で助かりますよ。引越しの手間はほとんどないので」
「そんな忙しい時に帰ってきてくれてありがとう」
「無事に卒業したことは報告しなければと思ってましたし。着校は今月末ですから」
もちろん病院に来る前に自宅にも寄って、祖母とご先祖様にも報告をしてくれた。
「本当にありがとう。入学したら、なかなかこっちには帰ってこれないんだろ?」
「そうですね。これまでの四年間よりさらに拘束されることになると思います」
「今度は学生ではなく幹部候補だもんな、それはしかたないか」
父親は笑いながら、なにやら考えをめぐらせている様子だ。なにを言うつもりなんだろう。
「なあ修司君」
「なんでしょう」
「君の中ではまだ道なかばなんだろうけど、僕からすると、もう君は一人前の自衛官だ」
「ありがとうございます」
修ちゃんは少しだけ照れくさそうな顔をした。
「それでね。一人前になった君に頼みがあるんだけど、いいかな?」
「はい、俺にできることでしたら」
「それは大丈夫だと思うよ。うちの真琴をね、もらってやってくれないかなあって話だから」
いきなりの爆弾宣言に開いた口がふさがらない。修ちゃんもさすがに驚いたようで、ポカンとしている。先に我に返った私は、慌てて父親の手をたたいた。
「ちょっと、お父さん?! なにいきなり逆プロポーズしてるの?!」
「ん? 別に僕と結婚してくれって言ってるわけじゃないよ? 僕には奥さんいるし」
「そうじゃなくて!!」
「だってお前達、付き合ってるんだろ?」
さらに目が点になった。
「知ってたの?!」
「気がついたのは母さんが先で、僕は母さんから話を聞いて知ったんだよ。まったくひどいなあ、内緒にしておくことないじゃないか。母さんが気づかなかったら、僕、知らないままであの世に行っちゃうところだったじゃないかー」
「あの世に行くとか言わないでよ、縁起でもないー」
そう言いながら、さらに父親の腕をたたく。こっちはあえて先のことを考えないようにしているのに、父親ときたら、なんでもないようなふりをして、サラッとこういうことを口にするのだから油断がならない。
「こればっかりはなるようにしかならないよ。それでどうかな? 修司君の中で、なにか別の人生計画があるならあきらめるしかないんだけど、僕の頼み、聞き入れてくれる余地はありそう?」
そう言うと父親は、身を乗り出すようにして修ちゃんにヒソヒソとささやいた。
「ほら、真琴だろ? ここまで言わないと、百年ぐらい結婚する気にならないだろうからさ。行かず後家どころか、生まれ変わっても後家のままだよ。父親としてはそれが心配でね」
修ちゃんは笑いながら私の顔を見る。
「生まれ変わっても後家って、すごいパワーワードですね」
「でもねえ、そんな感じなんだよなあ……呑気すぎる性格は誰に似たんだか」
「呑気すぎるってのは同感です」
「だろー?」
「ちょっと修ちゃんもお父さんも、なにげにひどくない?」
男二人でなぜかわかり合った雰囲気で、私一人では分が悪い。早く母親が来てくれないだろうかと、病室のドアのほうに視線を向ける。
「実は今回こっちに帰省したのは、卒業の報告をしたかったというのもあるんですけど、おじさんとおばさんにお願いがあったからなんです」
修ちゃんは肩にかけていたリュックから封筒を出した。そして封筒の中から一枚の紙を出し、それを父親のベッドのテーブルに置く。
「おやおや、すごい偶然だね。しかも記入済みとは恐れ入ったな」
父親はそれを見て、うれしそうに笑った。
「おばさんがいないからどうしようか迷ったんですが、話が出たので今ここでお願いすることにします。おじさん、真琴さんを俺にください」
思わず持っていたお茶のペットボトルを落としてしまった。
「ちょっと修ちゃん?!」
「あれ? もしかして青天の霹靂だった?」
あわてている私の様子を見て、修ちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべる。そして父親のほうに視線を戻した。
「本当は、おばさんがいるタイミングで言いたかったんですけど、おじさんにまこっちゃんのことを頼むって言われたので」
「あー、こりゃあ、母さんにしかられるな。自分だけをのけ者にしたって怒られそうだ」
父親が笑う。
「それで? 真琴はどうする?」
「どうするって、私、まだなにも言われてないけど。そっちの二人で盛り上がってるだけじゃん」
「おー、そう来たか。修司君よ、真琴はこんなことを言ってるけどな」
「たしかに、まこっちゃんの言ってることは正しいかな」
「正しいかな、じゃなくて、正しいの」
ムッとしながら反論すると、父親と修ちゃんが声をそろえて笑った。
「じゃあ、あらためて。まこっちゃん、俺のところにお嫁さんに来いよ。艦艇勤務になれば、海に出ることが多くて寂しい思いをさせるかもしれないけど、まこっちゃんが俺の母港になってくれたら、すごくうれしいんだけどな」
「おお、いいね、海自っぽくって」
父親がウンウンとうなづいている。
「私に自衛官さんの奥さんなんてつとまるのかな」
修ちゃんのことが嫌いなわけではない。付き合いだしてからは結婚のことも考えた。だけど相手は国を守る自衛官。自分のような人間にその奥さんがつとまるのだろうか。
「俺が最初から自衛官じゃなかったのと同じで、自衛官の奥さんだっていきなりなれるものじゃないだろ? 少しずつ一緒にやっていけば良いんじゃないかな。ま、呑気すぎるからどうなるかわからないけど」
修ちゃんは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、余計なことを付け加えた。
「む、修ちゃんが自衛官になれるんだったら、私にだって自衛官の奥さんぐらいなれると思うよ!」
「へー。おじさん、今の聞きました?」
修ちゃんの言葉に父親がうなづく。
「聞いた聞いた。真琴、それって修司君への挑戦状だぞ? 一生モノの勝負になりそうだ、大丈夫なのかー?」
「大丈夫に決まってる! 私が勝つ!!」
「おお、大きく出たな」
「その挑戦、受けて立つよ。じゃあ、俺のところに嫁に来るってことでOK?」
「オッケーです!!」
ドアがノックされ母親が顔をのぞかせた。
「あら、二人とも、もう来てたの? ……っていうか二人してケンカでもしてたの?」
私と修ちゃんが向き合って立っているのを見た母親が首をかしげる。
「いや、二人がね、結婚することにしたらしいよ」
父親が呑気な口調で言い、母親は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「修司君、婚姻届も用意していてね。僕達、完全に出し抜かれたね」
「えええ、もしかしてプロポーズしちゃったの?! 私、見てなかったのに。パパだけ見られたなんてズルい!! 二人とも、もう一度しなさい」
「えええええ……」
「いや、それはちょっと……」
今のをもう一度くりかえせと言われても、さすがに無理だと思う……。
+++
見損ねたと残念がる母親をよそに、テーブルに置かれた婚姻届をのぞきこむ。そこには修ちゃんの名前と、証人のところに知らない人の名前が書かれていた。
「ねえ、この人は誰?」
「防大の教官。いろいろと相談に乗ってもらってたんだ。で、今回のことも話したら書いてくれたんだ」
「へえ……教官さんて厳しい訓練しかしないんだと思ってた」
厳しい訓練ばかりで、プライベートな相談なんてする余地なんてないと思っていた。だけどそれは、私の思い込みだったようだ。
「どの教官に相談するかは人それぞれだけど、家族のこととか人生のこととか、相談する学生はたくさんいたよ。教官は現役の自衛官で、俺達の大先輩だからね」
「なるほど」
「ここに名前、書いてくれる?」
ペンを渡された。記入欄に自分の名前を書く。これを役所に提出したら、私は山崎真琴から藤原真琴になるわけだ。
「こっちの証人欄は?」
「おじさんかおばさんに書いてもらおうって思ってたんだけど……」
父親に向かってブツブツと文句を言っている母親の姿に、修ちゃんは肩をすくめながら笑う。
「おばさんに書いてもらったほうが平和かもね」
「だよねー……」
そういうわけで、もう一人の証人は私の母親ということになった。




