50.孫紹、皇帝になる
建安23年(218年)7月 司隷 河南尹 洛陽
「のう、孫紹。新たな王朝を、開いてはくれんか?」
漢の皇帝 劉協が、とうとうその言葉を吐いた。
その言いようはあっさりとしたものだが、同時に真摯なものでもある。
「陛下、それはあまりに過大な使命にございます。それに聖漢による統治こそが、民の望みではありませんか」
「いいや、朕はそう思わぬな。そなたが龍玉を手にする様を見て、確信した。天は孫紹による中華の統治こそを、望んでいるのだ」
「そ、それはあまりに性急な見方ではありませんか。龍が出現したのは、漢朝の再興を祝っているとも言えます」
俺があくまで建て前を守ろうとすると、劉協が泣きそうな顔で訴える。
「孫紹、そなたも分かっているであろう? 朕がこの洛陽に戻れたのも、全てそなたの力だ。朕自身には、なんの力も無い」
「そ、それは……」
劉協の言葉を否定できずに言いよどむと、彼は悲しそうに笑った。
「のう、孫紹。朕は董卓によって皇帝にされ、曹操にもずっといいように使われてきた。その間、悔しい思いをしたし、命の危険を何度も感じた。正直に言って、そろそろ楽になりたいと思っていたのだ。そんな時に龍の加護、つまり天命を得た者が、目の前にいる。その者に後を託したいと思うのは、ただの我がままだろうか?」
「いえ、そんなことは……」
俺にとって望む展開であるのは間違いないが、あまりに急な話で頭がついていかない。
なおも戸惑っていると、劉協がとどめの言葉を放つ。
「呉王 孫紹よ。新たな王朝を打ち立て、この中華に安寧をもたらせ」
「……御意」
結局、俺はなし崩し的に、劉協からの禅譲を受けるしかなかった。
それから俺と劉協は宴席に戻り、そこにいる要人たちに禅譲を伝えた。
もちろん驚きは大きかったが、反対する声はほとんどなかった。
なぜなら彼らの目の前に龍が出現し、龍玉を俺に残していったのを見ていたからだ。
それはこれ以上ないくらいの瑞兆であり、天命の在り処を示したと言える。
そのため多くの者は劉協が禅譲を言い出すのではないかと、想像していたようだ。
その中には曹丕や韓遂、馬超、劉備たちもいた。
それまでは彼らの中に、かすかな野心を感じていたものだが、その後は妙におとなしくなったのが印象的である。
圧倒的な天命を見ると、そうなってしまうのも仕方ないのかもしれない。
結局、再興したばかりの漢王朝は、そのまま禅譲へと動きだすことになるのだった。
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黄龍元年(218年)10月 司隷 河南尹 洛陽
あれから3ヶ月の準備期間を経て、俺は呉王朝の初代皇帝に即位した。
同時に首都を建業に遷すと宣言し、今はその準備に大忙しである。
毎日、目が回るくらいに働いているが、なかなか終わりは見えてこない。
それでも暇を見つけて、俺は周瑜と孫権を相手に、歓談していた。
周囲には人がいないので、甥と叔父だけのくだけた会話である。
「いや~、忙しいですね」
「ああ、まったくだ。本当はもっと準備を整えるつもりだったのに、急に即位が決まったからな」
「あれは劉協さまが悪いんですよ。急に禅譲を宣言するから」
「フハハッ、そうは言っても、目の前で龍のお告げを見ては、黙っておれんだろう」
周瑜が俺の急な即位を責めるようなことを言うが、俺のせいではない。
俺だってじっくりと地盤を固めてから、実権を握るつもりだったのだ。
史実の曹操のように、自身は王のままでいて、次代で禅譲することも考えていた。
そして孫権が言うように、劉協が悪いわけでもない。
目の前であれほどの瑞兆を見せられて、玉座に居座っていられるものなど、そうそういないからだ。
それに彼自身が傀儡として扱われるのに、疲れていたというのも大きいだろう。
ちなみに劉協は今、山陽公となって、兗州の山陽郡に移っている。
今後は政治に関わらず、静かに余生を送ることになるだろう。
すると孫権が、また感慨深そうに言う。
「それにしても、私の甥が皇帝になるとはなぁ。たしかに中原に覇を唱えたいとは言っていたが、まさかこうなるとは思わなかった」
「そうだな。私も実質的な支配者ぐらいで、禅譲は次代になるだろうと思っていたからな」
「それもこれも、あの龍の出現のせいですよ」
「そうだな」
「まったくだ」
俺の言葉に、2人もすかさず頷いている。
ちなみに孫権はその時、建業にいたので見ていないが、周瑜はバッチリと龍を目撃していた。
そして洛陽にいた多くの民も、それを見ていたので、俺が龍玉を得たという話を広めると、すんなりと王朝交替を受け入れたという背景がある。
ここでふと思いついたように、孫権が訊ねてくる。
「そういえば、北の辺境は守りを固めるようだが、打って出たりはしないのか? 遊牧民の討伐は、長年の宿願だろう?」
「何を言ってるんですか、おじ上。そんなことしたら、いくらお金があっても足りませんよ。せっかく平和になったというのに、これ以上、民に負担を掛けたくはありません」
「んお、そうなのか?」
のんきなことを言う孫権に、俺は武帝の失敗を教えてやった。
前漢で遊牧民の討伐をやってのけた武帝だが、国内の情勢はムチャクチャだった。
なにしろ何十万という大軍を、何度も北辺の地に派遣したのだ。
その費用負担ときたらとんでもないもので、それまでに貯えられていた財貨だけでは到底たりなくなる。
それで何をしたかというと、様々な税を掛けるだけでなく、売官や免罪によって金をかき集めたのだ。
そんなことをすれば民が疲弊するのはもちろん、治安も悪化するので、国内はぐちゃぐちゃになってしまった。
おかげで最盛期に6千万人を数えた人口は、その半分近くまで落ちこんだという。
一般に成功者のイメージが強い武帝だが、最低な皇帝の1人じゃないかと俺は思っている。
そんな話をしてやると、さすがに孫権も考えを改めた。
「なんと、そうだったのか。それならば無理な遠征はするべきでないな」
「そうですよ。それぐらいだったら、我々に協力的な遊牧民を抱きこんで、友好的な関係を築いた方が、何倍もマシです。まあ、舐められないように、それなりの軍事力は保持しますけどね」
「うむ、それは良さそうだな。それなら、内政の方はどうするのだ?」
「そうですね。まずは華北の道路や水路を整備して、国内の流通性を高めます。もちろん伝書バトを使って、通信能力も高めますよ。そのうえで華南の開発を加速して、国内を豊かにするつもりです」
すると孫権は、嬉しそうに目を細めた。
「フハハ、ついこの間まで、ただの子供だと思っていたのに、凄いことを言うようになったものだな」
「それはもう。私だってもうじき成人ですから」
すると今度は周瑜が、からかうように言う。
「フフフ、10年前に私を訪ねてきた時には、すでに十分、大人びていたじゃないか。今さらそんなことを言われても、全く驚かないがね」
「おお、そうだ。私のところにも、前線に行く許可をもらいにきたのだったな。あの時は、孫郎がやる気になってくれたのが嬉しくて、あまり気にしなかったが、たしかに大人びていた。それにしても……そうか、あれからもう10年も経つのだな」
「そういえばそうですね。ちょうど10年です。あっという間でしたね」
「うむ、そうだな」
「ああ、そのとおりだ」
2人とも10年前のあの日に思いを馳せ、遠い目になる。
俺もしばし回想に浸ったが、すぐに現実に舞い戻った。
「とはいえ、呉王朝の成功はこれからに掛かっています。おじ上たちも、協力してくださいね」
「フハハッ、まあ仕方ないな」
「ああ、孫策の分まで、私たちが頑張ろうじゃないか」
「ええ、そうです。父上の分まで、がんばりましょう」
周瑜のその言葉で、俺も孫権も孫策のことを思い出して、また遠い目になる。
なんの因果か、現代人の俺が孫紹に転生した。
最初は混乱したが、志なかばで逝った孫策の夢を、果たすことができたのだ。
オヤジもあの世で、喜んでくれているだろうか。
完
以上でストーリーは完結です。
この後、人物紹介を投稿して完結処理となります。
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