42.劉備の裏切り
建安22年(217年)4月 豫州 潁川郡 陽翟
豫州は潁川郡の陽翟で、俺たちは総数20万人にもなる敵軍と激突した。
さすがに苦しい戦いではあったが、新兵器や戦術を駆使して、敵に出血を強いていた。
その一方で後方の撹乱工作を進め、とうとう中原の各地で反乱の火の手を上げることに、成功したのだ。
「情報を整理すると、曹操軍は5万ほどの軍勢を残して、後方へ撤退したようです」
「5万か。思ったより多いな」
「そうですね。兵は引き抜かざるを得ないが、城も取られたくないと考えたうえでの、妥協でしょう」
「ふむ、それなら簡単に落とせそうだな」
「しかしすでに宛城で、こちらのやり方は見られています。何か工夫をしてくるのでは?」
「それはあり得るな。なんにしろ、部隊を再編したら、城攻めだ」
「はっ」
その後、部隊を再編して、城攻めに取り掛かったのだが、案の定いろいろな妨害が入った。
敵は宛城でやったように、城の守備兵と遊撃隊を組み合わせ、こちらの邪魔をしてきたのだ。
しかも今回は騎兵の数が多く、我が軍はけっこうな規模で引っかき回されていた。
それでもなんとか陣地を確保し、龍撃砲を組み立てていたのだが、その最中にとんでもない知らせが舞いこんできた。
「南陽に劉備軍が攻めてきました!」
「なんだとっ!」
予想外の知らせに、ほとんどの者が固まる中、陸遜が冷静に問いただす。
「具体的に、どこがどのように攻められているのだ?」
「はっ、7日ほど前に武当が攻められ、周辺の県も制圧されつつあるようです」
「ふむ、漢水を下ってきたか。敵の規模は?」
「1万は下らない模様です」
「そうか……」
すると陸遜は俺に向かい、提案をしてくる。
「孫紹さま。いずれにしろ後方を遮断される恐れがあるので、一旦は南陽へ引き上げるべきと存じます」
「……そうだな、実態はどうあれ、兵士に噂が広まるだけで、大崩れする可能性がある。今のうちに引いておくべきか?」
「はい、私もそう考えます」
念のため、周瑜に問いかけてみれば、やはり同じ考えだった。
敵城の陥落が見えてきたとはいえ、ここは欲張らない方がいいと、俺の勘がささやいていた。
「よし、なるべく味方の被害を抑えつつ、早急に撤退だ」
「「「はっ」」」
悔しいが、ここは引いておいてやろう。
しかし劉備には、いつか目にもの見せてやる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建安22年(217年)5月 荊州 南陽郡 宛
その後、俺たちは慎重に部隊を動かし、豫州から撤退した。
幸いにも敵軍も減っていたから、大した追撃を受けることもなく、ほぼ損害なしで兵を退き、宛まで戻ってこれた。
「ふう、とりあえず一安心だな。それにしても劉備に裏切られるとはな。そんな兆候なんて、あったのか?」
「いえ、今回は見事に騙されました。まあ、後から考えれば、いくつか気になったことはあるのですが」
「例えば?」
「まず劉備が、豫州攻めに加わりたいと言ってきたこと。それから涼州に出す兵が少なかったのも、このための布石だったのでしょうね」
「う~ん、まあ、言われてみればそうか」
周瑜にそう言われると、たしかに怪しいとも言えるが、そもそも裏切る理由が分からない。
「だけど、なんでここで裏切る? 今までけっこう優遇してきたし、そもそも劉備だって、曹操打倒という共通の目標を掲げてるはずじゃないか」
「それはまあ、おそらく曹操陣営の誰かに、口説かれたのでしょうね」
「だからってそう簡単に、敵と結ぶかぁ? そもそも曹操は、劉備を目の敵にしてたはずだぞ」
208年に曹操が荊州を攻めたのも、劉備の息の根を止める意味合いがあったと聞く。
劉備もそれは百も承知だから、対曹操戦線に加わっていたはずなのだ。
すると陸遜が残念そうに、言葉をはさむ。
「それを棚上げしなければならないほど、曹操も危機感を抱いているのでしょう。それに加えて、劉備の方にも焦りがあるのではないですか」
「劉備の焦りとは?」
「我々が着々と支配領域を広げる中、劉備陣営は伸び悩んでいます。もしもこのまま、我々が中原を制すれば、その国力差は圧倒的なものになるでしょう。そこで我らの足を引っ張りつつ、自らの支配領域を広げることを、目論んだのでしょう」
「だからって、あまりに不義理じゃないか」
今回、劉備軍は南陽だけでなく、益州南部へも兵を出していた。
こちらも長江を盾にふんばってはいるが、蜀郡属国や犍為郡などは、大きく侵食されているという。
俺がそれをなじれば、周瑜が苦笑しながら応える。
「しょせん同盟者と言っても、絶対の信頼関係などあり得ませんからな。孫紹さまも以前、そう仰っていたではありませんか」
「そりゃあ、そうだけどさ。やっぱりここで裏切る理由が、納得いかない」
たしかに劉備と一緒に益州盗りを企んだ際、同盟なんかいつまでも続かないとは言った。
しかしこの状況で裏切る理由が、どうにも納得できない。
するとまた陸遜が、推定を口にする。
「この件、おそらくは諸葛亮が進めたのではないでしょうか。蜀では彼が丞相となり、大きな権力を振るっていると聞きますから」
「ああ、その可能性は高いな。あの者は非常に優秀そうだったが、武人の感傷などとは無縁であろうからな。蜀の政治を司っているのなら、我らとの国力差も、切実に感じ取っているだろう」
実際に諸葛亮と交渉をしたこともある周瑜が、陸遜の推測を支持する。
たしかに今度の裏切りは、純粋に政治的判断だけで決まった節がある。
それはつまり、諸葛亮の主導なのであろう。
そもそも俺だって、劉備の動向に無警戒だったわけではないのだ。
定期的に使者を遣わしていたし、密偵による監視体制だって整えていた。
それが今回、機能しなかったということは、諸葛亮がよほど上手くやったのだろう。
ひょっとしたら、けっこう前から計画されていたのかもしれない。
「なるほど、それなら多少は納得がいくな……それなら俺たちはこの先、どうするべきだと思う?」
「そうですね……まずは南陽に侵攻した劉備軍を片づけつつ、益州の守りを固めるべきでしょう」
「益州では攻勢に出ないのか?」
俺が周瑜に問い返せば、彼は陸遜を見る。
それを受けて、陸遜も首を横に振った。
「益州で攻勢に出るには、とても兵力が足りません。江州さえ押さえておけば、敵も好き勝手はできないので、無理に攻めるべきではないかと」
「たしかに。敵は戦巧者の劉備軍だからな。とても短期間で制圧できないか」
「ですな。益州の民には悪いですが、こちらは土地の支配にはこだわらず、長江を盾に守り、敵の後方を撹乱するのが上策でしょう」
「仕方ないだろうな……それなら曹操については、どう対応する?」
劉備軍の侵攻を受ける益州の民を思うと、忸怩たる思いがあるが、ここで無理をしてもしょうがない。
そのうえで中原に話題を転じると、周瑜が悪い顔で答えを返した。
「フフフ、これだけのことをしてくれたのです。我々もたっぷりと、敵の後方をかき回してやりましょう」
「ハハッ、やる気まんまんだな。だけど今回、蜂起した連中も、後退した敵軍に鎮圧されるんじゃないか?」
「いえいえ、中原の反乱分子など、いくらでもおりますよ。今回、蜂起したのも、その一部にすぎません」
「さすがは周瑜だな。それじゃあまずは、南陽の劉備軍を片づけるか」
俺も出る気まんまんでそう言うと、陸遜に止められた。
「いえ、孫紹さまはここで、中原に睨みを利かせてください。劉備軍は私が片づけてまいります」
「大丈夫か? 相手はあの関羽らしいぞ」
「いかな猛将といえど、2万足らずの兵では、大したことはできませんよ。この陸遜の智謀、見せつけてやりましょう」
そう言って陸遜は、自信満々に笑うのだった。
しかしそれは虚勢でなく、実績に裏打ちされた自信であることを、俺は知っている。
そこで俺は、当主らしく信頼を示した。
「そうか。ならば劉備軍は任せるぞ、陸遜」
「御意」




