40.豫州への侵攻 (地図あり)
建安22年(217年)3月 荊州 南陽郡 宛
大軍による侵攻で、南陽郡の制圧には成功したものの、我が軍もそれなりの損害を被った。
それに加え、南陽の各都市を統制する必要もあったため、それ以上の侵攻はできなくなる。
しかしそのおかげもあって、我が軍の士気は高いままだった。
「いよいよ豫州に攻めこもうと思う」
「おお、ようやくですか。待っておりましたぞ」
「フヘヘッ、腕が鳴るってもんだ」
「うむ、にっくき張遼を、討ち取ってくれるわ」
そう言うのは呂範、魏延、凌統などの武将だ。
しかしそれに対し、甘寧が冷静に問いを放つ。
「攻めこむのはいいんですが、敵の状況はどうなんです? だいぶガッチリ、固められてるんじゃないですか?」
「ああ、それについては陸遜、頼む」
その答えを陸遜に振ると、彼が地図を示しながら、説明を始める。
「敵はこの陽翟に兵を集め、守りを固めています。その数はおそらく、20万に迫るでしょう」
「20万だとっ! 聞いてねえぞ」
「俺たちの倍じゃねえか」
「そんなんで、勝てるのか?」
その衝撃的な兵力の見積もりに、数人の武将が驚きと疑問の声を上げる。
するとそんな彼らを、厳しくたしなめる声があった。
「落ち着け! その程度の兵力など、事前に予想されていたことだ。これぐらいでおたついていては、勝てるものも勝てないぞ」
「し、しかし周瑜さま。普通に考えたら、倍の軍団になど勝てませんよ。それとも何か、策でもあるんですか?」
周瑜に反論したのは凌統だった。
しかし周瑜はまったく動じた様子も見せず、答えを返す。
「もちろん、策はある。しかしそれも、前線に立って戦う諸将の協力あってのものだ。貴殿らがそのようにうろたえていては、思うようにはいかんだろうな」
「ほう、さすがは周瑜さまだ。しかし今回の戦場は、曹操が得意とする中原だ。9年前の赤壁とは真逆になりますが、それでも勝てるんですかい?」
今度は甘寧が、ニヤニヤと笑いながら質問する。
それは周瑜を馬鹿にしているのではなく、彼なりに見当をつけている感じだった。
「たしかに9年前とは逆だな。今回は我らの方が、不慣れな中原に乗り出さねばならん。しかも兵力が半分程度しかないとくれば、心配するのも当然であろう」
「でしょうな。それで、どうするつもりなんです?」
「うむ、基本的には貴殿らに、多少の無理をしてもらうことになる」
「やはり、そうきますか。まあ、なんらか無理をしなきゃ、倍の敵になんて勝てないですからね」
「そうだ。しかしそれに見合うだけの成果は、出すつもりだ」
「だからそれをどうやるのか、教えてくださいよ」
しつこく食い下がる甘寧に、周瑜はいたずらっぽい顔で答える。
「それは秘密だ。謀は密なるを以てよしとす、と言うではないか」
「チェッ、おもしろくねえな。まあ、いろいろと想像は、つきますけどね」
「えっ、なんだよ、甘寧、教えろよ」
「それは自分で考えろって」
呂範が甘寧に訊ねているが、甘寧はとぼけて答えない。
他の者も相談をしていたが、少なくとも周瑜の言葉を疑う者はいないようだ。
すると陸遜が、別の話を持ち出してきた。
「そういえば劉備が、豫州攻めに加えてほしいと言ってきたようですが、どうするのですか?」
「え? ああ、そんな話があったな。だけどそんな余裕があるなら、先に涼州を落とせと言って、断ってある。よその部隊が混じっても、面倒だからな」
「まあ、そうでしょうね。しかし劉備は不満を抱くでしょう」
「その辺は、後々の分配で調整するしかないな」
実は宛城を落としてから劉備が、自分も豫州攻めに加えろと言ってきていた。
しかしその部隊は大した兵力でもないし、こちらの指揮に従わない可能性もあるので、断ったのだ。
そもそもそんな余裕があるなら、もっと涼州攻めをがんばれと、遠回しに言ってある。
これで発奮してくれるといいんだが。
「いずれにしろ、俺たちが苦しいのは変わらない。しかしみんなには期待してるので、全力を尽くしてもらいたい」
「「「おうっ!」」」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
建安22年(217年)4月 豫州 潁川郡 陽翟
その後、春の訪れと共に我が軍は、豫州へ押し出した。
途中は妨害らしい妨害もなく進み、俺たちは敵の集結する陽翟の付近まで到達する。
そして敵は20万の軍を分散することなく、陽翟の周辺で待ち受けていた。
「おお、壮観だな」
「ええ、さすがは中原の覇者、というところでしょうか」
「しかし曹操みずからは、出てきていないようですな」
「ああ、しかし主将は夏侯惇らしいぞ。油断はできないだろう」
敵城の周辺に布陣する20万の軍は、圧巻の眺めだ。
しかしその主将は曹操ではなく、夏侯惇らしかった。
とはいえ夏侯惇も、曹操に最も信頼されたという、歴戦の宿将だ。
決して侮るべきではないだろう。
対する俺たちは、あらかじめ目星をつけておいた場所に、突貫工事で土壁を築いていた。
この時のためにスコップやツルハシもどきの工具を準備し、工事の訓練も兵に施してある。
おかげで敵が様子を見ているうちに、即席の野戦陣地ができつつあった。
「孫紹さま。なんだってこんな陣地を築いてるんで? とっとと攻めた方がよくないすか?」
「まあ、そう焦るなって、呂範。ただでさえ劣勢なのに、正面から突っかかっても、勝ち目は少ないだろ」
「そりゃあ、そうですけど、こもったままじゃ、勝てませんよ」
「それも分かってる。ここからさらに見張り台を組んで、敵の動きを監視するんだよ。そのためにはまず、守りを固めなきゃな」
「ほえ~、なるほど」
じれったそうにしている呂範に説明すると、ようやく納得してくれた。
そんな話をしているうちにもどんどん土壁が築かれ、さらに見張り台の建設も始まった。
見張り台はあらかじめ加工しておいた木材を組み合わせることで、短時間で作れるよう工夫したものだ。
おかげで10メートルほどの見張り台が立ちはじめると、ようやく敵に動きが見えた。
「ほ~ら、敵があわてはじめた」
「あ、そうっすね。よ~し、俺もいっちょ出迎えてやりましょうかね」
「ああ、頼んだぞ」
敵の一部が見張り台の建設を阻止しようと、突出してきた。
それを我が軍の前線部隊が、土壁を盾にしながら攻撃している。
さらに一部には敵の左右に回りこんで、包囲しようとすらしていた。
それに気づいた敵部隊が、あわてて後退していく。
「フフフ、とりあえず先手は取れましたね」
「ああ、あとはどれだけ自在に、軍を動かせるかだ。そっちは頼んだぜ、周瑜」
「はい、お任せあれ」
そう言って周瑜は、余裕の笑みを見せていた。




