幕間: 劉備クンは成り上がる
建安15年(210年)2月 荊州 武陵郡 漢寿
俺の名は劉備 玄徳。
前の左将軍にして、徐州牧も務めたことのある男だ。
荊州で劉表の厄介になっていた俺は、劉表の死と曹操の侵攻で窮地に陥った。
ところが同盟を組んだ孫権の軍が、何倍もの敵を撃退してしまったのだ。
俺たちはこれ幸いと、領地の獲得に走ろうとしたのだが、世の中はそう甘くない。
いろいろと周瑜に先回りをされた挙句、武陵郡だけしか手に入らなかった。
そこで軍備の増強と、益州の奪取計画に勤しんでいたんだが、そこへまた孫権から申し出があった。
今度は共同で益州に攻めこんで、領地を山分けしようってんだ。
最初は同じ劉姓だから嫌だといって、協力を拒んだんだ。
できれば単独で、益州を取りたかったからな。
だけど向こうはこっちの思惑など、すっかりお見通しって感じで、逆に脅しを掛けられた。
俺が協力しなくても、孫権はいずれ益州に侵攻すると言うし、逆に劉璋のような罪人を放っておくのかと、責められる始末だ。
それじゃあ、実際に益州をどう治めるんだと聞けば、俺に漢中の守りを任せたいって言うんだぜ。
しかも俺の働きしだいでは、周辺の郡も任せてくれるらしい。
今の領地規模からすれば、何倍にも増える大盤振る舞いだ。
よくこんなことを承知するもんだな。
いや、それだけ俺が頼りにされてるってことか。
ここは一発、やってやろうじゃねえか。
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建安16年(211年)4月 益州 広漢郡 涪
その後、1年近くを準備に費やし、いよいよ俺たちは益州の攻略に動いた。
どうやったのか知らねえが、孫権陣営は見事に内応者を作り出し、俺が益州入りするお膳立てを整えてくれたんだ。
まあ、それも劉璋と同じ姓を持つ俺がいなきゃ、成り立たない策だけどな。
もっとも、いま名乗ってる臨邑侯 劉復の末裔ってのは、俺の勝手な自称だ。
実際に漢の宗室である劉璋とは、大きな違いがあるんだが、ヤツは藁にもすがる思いで、俺に援軍要請を出した。
おかげで俺たちは、約1万の兵を率いて益州入りし、行く先々で歓待されたわけだ。
まったく、劉璋ってのは本当におめでたいヤツだな。
こんな甘ちゃんじゃあ、益州はいずれ誰かに取られるだろうから、俺がいただいてやろうってもんだ。
やがて俺たちは広漢郡の涪に到着すると、突如、牙をむいた。
「て、敵襲~。劉備軍が裏切った~っ!」
「おのれ、卑怯者~!」
すっかり油断していた益州軍に襲いかかり、砦のひとつを奪い取ったのだ。
「フハハッ、ぬるいぬるい。歯ごたえがなさすぎるわ!」
「ああ、まったくだぜ。こうも簡単にいくとは、思わなかったな」
「ですね。これなら敵を引きつけておくのも、なんとかなりそうです」
陣頭に立って戦った関羽、張飛、趙雲らが、楽しそうに言葉を交わしている。
一騎当千の彼らの働きによって、ほとんど損害もなく砦を奪えた。
今後はこの砦を拠点に、益州軍を引きつけておくのが、俺たちの仕事だ。
「諸葛亮、ちゃんと孫権軍は動いてるんだろうな?」
「ちゃんとこちらの状況は伝えてあるので、すでに益州入りしていることでしょう。さすがにこの機会を逃すほど、孫権も間抜けではありますまい」
「ああ、そう願うぜ。まあ、劉璋の間抜けぶりを見ると、単独でも益州を取れそうだけどな」
そんな冗談を言うと、諸葛亮が真面目な顔で否定する。
「……さすがにそれは、難しいのではありませんか。できたとしても、時間が掛かりすぎます」
「心意気の問題さ。なにしろ俺たちの働きしだいで、受け取る領地が変わるんだからな」
「たしかにそうですな。それでは私も、知恵を振り絞るとしましょう」
「おう、頼むぜ、軍師どの」
これこれ、この言葉だよ。
一度でいいから、言ってみたかったんだよな。
以前は行き当たりばったりで動いてたから、失敗も多かったんだ。
今は諸葛亮が細かいとこを見てくれるから、ぐっと安定感が増している。
この調子で今後も、どんどん成り上がってやるぜ。
そのためにもちゃんと仕事してくれよ、孫権軍。
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建安16年(211年)7月 益州 蜀郡 成都
その後の戦況は、ほぼ目論見どおりに推移した。
俺たちが益州軍の主力を引きつけている間に、孫権軍が成都を急襲し、2ヶ月ほど囲んだ後に、劉璋が降伏したそうだ。
そして戦後処理を済ませて、成都へ到着すると、顔を合わせた周瑜に、一発かましてやったんだ。
「いよう、久しぶりだな、周瑜どの」
「ああ、久しぶりだ、劉備どの」
「そっちは上手いこと、劉璋を降伏させられたみたいだな。だけど俺たちの働きがなければ、こうも上手くいかなかったってのは、分かってるよな?」
「そうかもしれないな。しかし我らの軍勢がいなければ、できなかったことも事実だ」
しかしさすがは周瑜。
澄ました顔で、応じてきやがる。
やはり一筋縄では、いかないな。
その後の交渉を諸葛亮に任せると、ヤツはそこまでやるかと思うほど、強気の要求を突きつける。
しかし周瑜たちもある程度、覚悟していたのか、想像以上にこちらへ譲ってくれた。
なんと漢中郡に加え、広漢郡、広漢属国、蜀郡、そして巴郡の北西部が、俺の支配領域と認められたのだ。
その人口は300万人に迫る勢いで、今までの10倍以上だ。
以前、治めていた徐州よりも多いくらいで、これで俺も大領主である。
しかも周囲を峻険な山々に囲まれてるから、外からも攻められにくい。
孫権との関係さえ良好なら、曹操を倒すのも、夢じゃないかもしれないな。
そのためにもとっとと漢中を制して、力を蓄えるとするか。




