上書き
七回目で消えるのは、ミア。
それが最初から決まっていた。
僕は彼女の願いの中で生きている。
なら。
上書きすればいい。
「願望主体は変更できるのか」
神殿に向かって言う。
空間が歪む。
黒い扉が現れる。
『原則不可』
冷たい声。
「例外は?」
沈黙。
やがて。
『願望主体の同意、および等価の対価』
ミアが息を呑む。
「等価って、何」
『存在』
簡潔すぎる。
「つまり」
僕は理解する。
「俺が消えるなら、上書きできる?」
沈黙。
『理論上、可能』
ミアが即座に首を振る。
「ダメ」
「それじゃ意味がない」
「最初から、私が願ったの」
「私が消えるのが正しい」
正しい?
そんなもの、どうでもいい。
「俺は、君の願いの中で生きてる」
「だったら今度は俺が願う番だ」
空のひびが、ゆっくり広がる。
三回目で固定された不安定な世界。
残り四回。
ミアが近づく。
「リク」
「私、後悔してないよ」
涙がこぼれる。
「あなたが生きてるなら、それでいい」
胸が裂ける。
それは、一回目の僕と同じだ。
守りたい。
それだけ。
僕は神殿へ歩き出す。
「同意は取らない」
「強制上書きはできるか」
空間が震える。
『強制上書きは、世界崩壊率87%』
高すぎる。
「でも可能なんだな」
『可能』
ミアが叫ぶ。
「やめて!」
「あなたが消えたら、私は——」
「それでもいい」
振り向かない。
僕は扉に手をかける。
黒い空間の奥。
七つの光輪。
最初の輪の中心に、彼女。
「上書きする」
光が暴れる。
『対価提示』
空が崩れ始める。
地面が割れる。
『願望主体変更条件』
『現在主体:ミア』
『変更主体:リク』
『対価:願望主体の完全消去』
時間が止まる。
完全消去。
消えるのではない。
“最初からいなかったことになる”。
僕の記憶からも。
世界の記録からも。
ミアが、存在しなかった世界。
それが、等価。
膝が震える。
守るために。
彼女を消す?
それは救いか。
それとも。
ミアが、静かに言う。
「それが、あなたの願い?」
僕は、答えられない。
世界が軋む。
崩壊率が上がっていく。
87%。
89%。
92%。
あと少しで、全壊。
選択の瞬間。
去。
「……どういう意味だ」
声は感情を持たない。
『存在の消失ではない』
『記録・記憶・因果からの完全抹消』
ミアが青ざめる。
「それって……」
僕は理解する。
消えるのは“今”だけじゃない。
一回目も。
二回目も。
三回目も。
彼女が願った事実ごと、消える。
つまり。
この世界で僕が生き返った理由も、消える。
「……俺も消えるな」
『高確率で消滅』
当たり前だ。
僕は彼女の願いの副産物だ。
ミアが震える声で言う。
「やめて」
「私、消えてもいい」
「でも、あなたが“最初からいなかった”ことになるのは嫌」
最初からいなかった。
それは死より重い。
誰の記憶にも残らない。
物語の外に落ちる。
空が裂ける。
崩壊率、上昇。
『強制上書き実行まで残り十秒』
世界が軋む。
街の輪郭が溶ける。
ミアが駆け寄り、僕の手を掴む。
「リク、聞いて」
「私ね」
涙が落ちる。
「一回目、本当はね」
映像が流れ込む。
一回目の塔。
落ちたのは僕。
でも。
その直前。
彼女は、僕の背中を押している。
「……え?」
ミアが泣きながら言う。
「私が、先にバランス崩したの」
「あなたを庇おうとして、結果的に——」
声が震える。
「私のせいで、あなたが死んだ」
世界が静止する。
一回目は、事故じゃない。
彼女の選択。
だから彼女は願った。
罪悪感で。
「だから七回目で消えるのは当然なの」
「帳尻が合うでしょ」
帳尻。
そんなもので、人は量れない。
残り五秒。
崩壊率、92%。
僕は笑う。
「じゃあさ」
彼女の手を、握り返す。
「今度は、俺が押す番だ」
上書きではない。
“分割”。
「願望主体を二人に分けろ」
空間が歪む。
『前例なし』
「半分ずつ背負う」
「七回を、十四回に割れ」
沈黙。
崩壊率、95%。
『演算中』
世界が停止する。
『可能性確認』
『結果:存在の不安定化』
「構わない」
ミアが、僕を見る。
恐怖と、希望と、愛。
「一緒に不安定になろう」
崩壊率、99%。
『願望主体:共同化』
光が爆発する。
七つの輪が、砕ける。
十四の欠片になる。
世界が、再構築される。
——静寂。
目を開ける。
空はある。
街もある。
隣に、ミア。
「……生きてる?」
「たぶん」
だが。
手を伸ばすと、少し透ける。
彼女も、同じ。
完全ではない。
安定率、51%。
世界は、かろうじて立っている。
神殿の声が、最後に告げる。
『願望主体:二名』
『再構築残数:不定』
『確定条件:未定義』
制限は消えた。
だがゴールも消えた。
ミアが笑う。
「終わらなくなっちゃったね」
僕も笑う。
「終わらないなら、壊れないように生きればいい」
空のひびは、まだある。
だが今度は。
二人で支えている。




