第93話 「無条件」に信じられる
【桜庭瑞希】
9月も残すところあと4日に迫った26日……。
他の隊士たちは昨日もらった八月十八日の政変……こと禁門の変での報酬で島原に行ってきたらしく、二日酔いの人が多かったのだがーーーーーーー。
ーーーその日、長州の間者だった御倉伊勢蔵、楠小十郎、荒木田左馬之允が粛清された。
幾人かは逃亡したらしく、私はその時巡察に行っていたのでことの次第を詳しく知っているわけではないが、なんでも昨日の島原の帰り道、新八君を暗殺しようとして失敗したのだという。
まぁ、新八君はここで死ぬような人じゃないから良かったのだが、自分の知識不足には少々自己嫌悪に陥ったし、沖田さんには笑顔で嫌味を言われたりと落ち込んだ。
ーーー信頼していた仲間を突然粛清する、というのは、どんな気持ちだったのだろうか。
もちろん、私も芹沢さんの件に絡んでいるけれど、あれは突然の出来事じゃなく、前から予想はついたことだった。
けど、今回の件は違う。
ーーー楠小十郎を斬ったのは原田さんだったそうだ。
原田さんは、ちょっと前まで楠さんを信じていたのだろう。
それでも裏切られて、斬る、というのは、どんなに苦しいことなんだろうか?
ーーーできれば、仲間は殺したくない。
みんなを幸せにする、何てことができないなら、せめて。
せめて、仲間は仲間のままでいたい。
私はその訃報を聞いた時、そっと思った。
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ーーー9月最終日の夜。
私は近藤さん、土方さん、山南さん、沖田さん、新八君、原田さん、そして他の平隊士たちと一緒に島原へと来ていた。
お酒の飲めない私をよそに、30分もしないうちに酔っ払いの軍団が出来上がっていく。
ーーー酔ってないように見えるのは下戸だからほどんど飲んでない土方さんとお酒に強い沖田さんぐらいで、他はもうベロンベロンだ。
「……酒臭……うるさ……」
「ここに一君と晴明君がいたらもう静かになってたかもね」
黒い笑顔で酔っ払いたちを見ながら沖田さんがそんなことを言った。
まぁ、確かにそうですよねぇー。
あの2人がいるとみんなのお酒の進みも格段に良くなっちゃって早々に酔い潰れるんだよ。
今日はあの二人、巡察でいないんだけどさ。
「ねぇ瑞希ちゃん」
「?なんですか?」
「ちょっと出ようか?」
「あ、賛成です」
このままここに居続けたらこっちまで酔いそうだし。
あれ、そういえば……。
「出るのはいいですけど、沖田さんはそういえば馴染みの芸妓さんとかいないんですか?」
そういやこの人、島原行ってもそれなりにお酌してもらうことはあるけど、特定の芸妓さんと親しくしているのは見たことないなぁ。
「んー僕は正直あんまりそういうことに興味ないんだよね。まぁ一応男だし、それなりの欲は有るけど、別に今日はいいかなぁ。……というか、それよりも瑞希ちゃんといる方がいいかな」
「え?」
「だってその方が面白いし」
「……あー、そういうことですか」
なんだよ。
やっぱりそういう意味かい。
そうですかそうですか。どーせ私は沖田さんのおもちゃですよ。
「わかりやすいなぁ君は」
不貞腐れた私を見て、沖田さんはくすくすと楽しげに笑った。
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「うーん、やっぱり外の空気はおいしー!それに今気づいたんですけど島原のお庭ってすごい華やかなんですね」
「ここも客商売だからね。これくらいは普通だよ。それに、ここの女性はそうそう自由に外へ出られるわけじゃないからね」
「あ……そっか……」
「いわば、彼女たちは『籠の鳥』だ。自由はない、けれどその『籠』の中ならば、自由に生きられる。……ここにいる人はね、その多くは親の口減しに売られた子供や、親を亡くした身寄りのない子供なんだよ」
「口減し……どこの時代でも変わんないですね。どんな世の中になっても、子供を捨てる親はいるんですから」
私も、そんな捨てられた子供の一人。
どんな理由があるにしろ、私も本当の親の顔を知らない。
「……瑞希ちゃんは、もし会えるなら……親に会いたい?」
「え……」
ーーー見上げた沖田さんの顔には、いつもの感情の読めない笑みではなく、迷うような、なんとも言えない表情が浮かんでいた。
「……会いたい、かもしれません。私は、私がどうして捨てられたのか、知らないです。それで、もしも、なんらかの事情があったなら、しかたないなぁって」
「……もし、それが瑞希ちゃんにとって……聞きたくもない事実だったら、どうするの?」
珍しく言い淀む沖田さんに笑みを返し、私は夜空を見上げた。
ーーー街灯の明かりのない夜空には満天の星が散っていて、ああ、この夜空は絶対に現代じゃ見られないな、と思いつつ、言葉を続ける。
「もちろん、そうなったら……すごく、悲しいと思います。……けど、それでも確かめてみたいです。それで、会ったら聞いてみたいんですよ。『私が生まれた時、嬉しかったですか?』って。……私の『瑞希』って名前、実は、私の本当の両親がつけてくれた名前なんです」
「!!」
「……養父母が言っていました。私、手紙見たいのと一緒に捨てられてたそうなんです。なんか、半紙に筆で書いたような文章だったらしいんですよね。私の時代では半紙……あんな薄い紙も、筆も使わないんです。だからもしかしたら私の両親はちょっと古風な人なのかもしれないですね……その手紙に、こう書かれてあったそうなんです。『娘を、瑞希を幸せにしてあげてください』って。……本当にいらない子供だったならそんな手紙、残さないかないんじゃないかな。『瑞希』っていう私の名前は、私が本当の両親からもらったたったひとつの贈り物みたいなものなんです。……だから、そんな両親が、どんな人だったのか、知りたいって思うんです」
私の、本当の両親。
それが、どんな人だったのかはわからないけれど、それを知りたいと思う。
ーーーこれは勘だけれど、それを知るのは多分間違ってないことのような気がするんだ。
「君は信じてるんだ?親のこと」
「はい。信じてますよ。……沖田さんにだって、そうやって無条件に信じられる家族はいますよね?」
「僕かぁ……そうだなぁ……おみつ姉さん、かな」
「え、沖田さんって、お姉さんいるんですか!?」
「いるよ。二人ね。その中でも長姉のおみつ姉さんには色々とお世話になったんだよね」
「へぇ……おみつさんって、どんな人なんですか?」
「……怒るとものすごく怖い人」
「え」
冗談かと思って沖田さんの目を見たらマジだった。
……沖田さんが恐れるって、おみつさん何者?
「……姉さん、ほんとシャレにならないから」
「ど、どのように?」
「……君もあってみればわかる。姉さんのことは土方さんでも恐れる」
「え、嘘っ」
「いや、嘘じゃない」
ひいっ……!!
それ、どんなお姉ちゃんだよっ!?
「幼い頃に母親が死んでしまったからね。ある意味、姉さんは僕の母親代わりになってくれた人でもあるんだよ」
「そうだったんですか……」
そっか、沖田さんのお母さんはもう亡くなってたんだ……。
「……さて、と。そろそろ戻ろうか、瑞希ちゃん?」
「あ、はい!」
「騒がしいのも聞こえなくなったから、もうみんな寝てるかもね……ああそうだ。瑞希ちゃん、ちょっと待ってて」
「へ?」
沖田さんは何かを思いついたように、くるりと進行方向を変えると庭の一角で何やらごそごそとした後、こちらを振り向いた。
「!!」
「ふーん、まあまあかな」
沖田さんは右手に持つーーー黄色い花を私の髪に差し込んで、言葉とは裏腹に満足げな笑みを浮かべた。
「君はこういう明るい色が似合うね」
「この花は……?」
「ん?菊だよ。まぁ、本来髪に飾るような花じゃないけど、これしかなかったし」
「え?でも庭にはもうひとつ……」
そっちの方に、なんか紫の花あるよ?
「ああ、桔梗のこと?」
「え、あれが桔梗なんですか?」
「知らなかったんだ?」
「はい。知らなかったです」
ーーーまぁ、なんとなく形に見覚えはあったけど。
「どうしてあっちにしなかったんですか?」「別に?ただなんとなく『桔梗』は嫌だったってだけ」
「沖田さん、桔梗嫌いですか?」
「そういうわけじゃない。……ああもう、君は本当に鈍いなぁ……」
沖田さんは呆れたような顔で私を見下ろし、ため息をついた。
ーーー私、何かため息つかれるようなことしたか?
「ま、それでこそ君か。……ほら、早く行くよ。どーせほとんど潰れてるだろうけど、僕はもう少し飲みたいし」
「ええっ、飲むんですか!?」
「もちろん。君がお酌してよね?」
「ええぇ?私がですか!?……はいはい、わかりましたよ!もう!」
ーーーまったく、今日の夜は長そうだ。
そんなことを考えながら、私はなぜか上機嫌な沖田さんの後を追うのだったーーーーーーーーーーーーーーー。
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【沖田総司】
「まったく、君は鈍い子だなぁ」
ーーーそう言って僕は目の前でくるりと丸くなって眠っている瑞希ちゃんの顔を覗き込んだ。
「無防備な寝顔」
疲れちゃったのはわかるけど、ここまで警戒心ないのは如何なものかと思うよ?
さっき、僕が「桔梗」の花を君の髪につけなかった理由。
そんなの、決まってるじゃないか。
「桔梗」。
それは、彼の名前でしょ?
そりゃあもちろん、偽名だけれど。
でも、気にくわないじゃない?
それに、意味は明るい色の方がよく似合うんだから。
可愛い可愛い瑞希ちゃん。
ーーー僕はやっぱり、君が好きだよ。




