第87話 芹沢鴨、粛清・後編
【桜庭瑞希】
まず最初に、芹沢さんのことは沖田さんたちに任せ、私と原田さんは隣の平山さんへ斬りかかった。
ーーー私が手に持つレイピアが真紅に染まり、布団の中の平山さんがビクリと体を震わす。
「……っ!」
前に人を斬った時の、肉に突き刺さる嫌な感覚が剣を伝って両腕に届き、私はぎゅっと唇を噛み締めた。
しばらくピクピクと動いていたが、それもすぐになくなっていく。
ーーーこれで、二度目。
正直、原田さんと同時に斬りつけたのだし、暗いので、どっちの剣が平山さんに致命傷を与えたのかはわからない。
ーーーけれど、二分の一の確率で私が彼を殺したんだ。
「……大丈夫」
もう、覚悟を決めたんだから。
私は、私の大切な仲間たちのために、剣を振るう。
そう、決めたんだ。
ーーー隣では芹沢さんの怒声と大きな物音が響いている。
土方さんたちに斬りつけられ、隣の部屋へと飛び込んでいく芹沢さんを追いかけてとどめを刺したのは沖田さんだった。
ーーー人を斬る時の沖田さんは、いつも冷ややかな無表情をしていて、そんな時の沖田さんは正直怖いと、よく他の隊士たちは言っていた。
ーーーあの人は、人を斬ることに対して何の迷いも後悔もないんだ、と。
ーーーこの人は、人を斬ることをなんとも思っていないのだ、と。
でも、私はそうじゃないんだと思う。
沖田さんは、確かに人を斬る時迷うことはないし、後悔もしない。
けれど、「なんとも思ってない」わけじゃない。
ちゃんと、彼は「人を斬ること」の意味を理解していて、それを真摯に受け止めているからこそ、迷いも後悔もなく剣をふるえるのだと思う。
だって、そうじゃないと多分あんなにまっすぐな剣は扱えない。
沖田さんの剣はとっても綺麗で、私の憧れだ。
でも、それには強くならないといけない。
ーーー私も、彼のような剣が扱えるようになるだろうか?
血の付いた剣を素早く振る沖田さんを眺めながら私はそう、ぼんやりと思ったーーーーーーーーーーーーー。
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襲撃が始まって、体感的に30分ほどで事件は終結した。
多分、それはあくまで体感だからもっと短かったのだろう。
人の命を奪うという行為は、思いの外あっさりと終わってしまうことを、私は知っている。
「……戻るぞ、瑞希」
「……土方さん」
ハッとして顔を上げると仏頂面の土方さんが私を見下ろしていた。
ーーー言い方はぶっきらぼうだが、それでもどこか優しい。
そんな声音だった。
「……ごめんなさい。少し、少しだけ、一人にしてください」
「分かった」
小さな声でそう言うと土方さんはあっさりと頷き、心配げな表情で近づいてきた原田さんを強制的に引っ張って先に戻っていった。
私の心情を察してくれたらしい山南さんはほんの少しだけ優しくこちらに微笑みかけ、土方さんの後を追っていった。
「……待ってるよ」
「……!!……沖田、さん」
囁くように言い、踵を返す沖田さん。
ーーー沖田さんが、優しい。
ーーー珍しいなぁ。
そんな、本人に言ったらまたあの意地悪な笑顔でイロイロと言われそうなことを考えながら、私は沖田さんの後ろ姿を無言で見送った。
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しばらく芹沢さんたちの遺体が横たわる方の部屋を見つめた後、私は屯所を出た。
空は相変わらずで、今日は新月ではないはずなのに月明かり一つ見当たらないほどに分厚い雲が全体を覆っている。
そこから滝のように流れる雨はまだ止みそうにない。
つくづく、いい思い出のない日はいつも雨だと思う。
もともと好きではない雨がますます嫌いになりそうだ。
ーーーーザーーーーッーーーーー。
ーーーーザーーーーッーーーーー。
ーーーーザーーーーッーーーーー。
夜だからか、人気のない空間に響く雨音はよく響いていて、やはり周りに何もないような、言い知れない「孤独」がその中にはあった。
ーーー孤独。
芹沢さんは「お梅さん」という愛人と一緒に逝った。
ーーー少しは、彼も、孤独ではなくなっただろうか?
私はそう、あの鮮血に染まった芹沢さんを見てそう思った。
ーーーカラン、カラン。
ーーー唐突に。
雨の音しか聞こえなかったその空間に、雨下駄の地べたを叩く音が私の耳に届く。
ーーーそして、闇の中から現れたのは。
「……瑞希さん」
「……っ!!」
声の主ーーーは、私の目の前で立ち止まり、開かれた、雨を弾く赤い唐傘の下から淡く微笑んだ。
ーーーそして、私は。
その目を見た瞬間。
さっきまで、おしとどめられていたものが溢れて。
ーーーーーーーー彼の胸の中に飛び込んだ。
「ぅうぁああああああああああっっ!!」
彼の胸にすがりつき、私は絶叫をあげた。
……そんな私を、彼は黙って受け止めてくれた。
「っ、っ、わた、しっ!!ひと、を、きっ……!!」
「……言わなくて、いいですよ、瑞希さん。……ちゃんと、分かっていますから」
「……っう、あ」
「……頑張りましたね。瑞希さんは、覚悟を決められたんです」
「うっ、うぅ………ひっく……」
「……ここには誰もいませんから。だから、思いっきり泣いていいですから。僕は瑞希さんが満足するまで、ここにいますよ」
あやすような優しい声音が私を包み込むように鼓膜を震わす。
ーーー私は、それから声を上げて泣いた。
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「……私、雨、嫌いだよ」
彼のーーー晴明君にすがりついて、散々泣いた後、私たちは屯所の玄関に並んで立ち、空を見上げていた。
「……雨の日は、ろくな日にならないから」
濡れた唐傘を戸に立てかけた晴明君は桔梗色の瞳を表に向けながら言った。
「……そう、ですね。僕も、雨は嫌いです」
「……晴明君も?」
「ええ。……雨の日は嫌な思い出ばかりです」
悲しげなでもどこか自嘲気味や色が映るその瞳を見た瞬間、チクリと胸が痛んだ。
ーーーなぜだかはわからないけれど、私も悲しいと、思った。
もしかしたら、その瞳が初めて出会った時のーーーあの時の色に似ているからだろうか。
「……ねぇ、晴明君。一つ、聞いていいかな?」
「……なんでしょう?」
「……覚えてる?晴明君と、初めて出会った日、森の中で晴明君が言っていた言葉……」
「……」
『……僕は、ただの化け物ですよ』
「屯所に来た時も、言ってた。……ねぇ、どうして?どうして晴明君は、あんなこと言ったの?」
ーーー自分は化け物、だなんて。
「ねぇ、晴明君。前から思ってたんだけど……。」
ーーー君は。
「……晴明君は、自分のことが嫌いなの?」
ーーーーザーーーーッーーーーー。
ーーーーザーーーーッーーーーー。
ーーーーザーーーーッーーーーー。
「……ええ。嫌いですよ」
「……っ!!」
「僕は、自分自身が大嫌いです」
「……!!」
胸の奥が、誰かに掴まれたみたいにギュッと痛む。
ーーーそう、言った晴明君の顔は、痛々しいほどに歪んでいた。
ーーー悲しみ。
ーーー怒り。
いろんな感情がない交ぜになった、そんな表情。
ーーーとても、悲しい顔。
私はそう思った。
「……ないで」
「え?」
「……言わないで」
「!!」
「……そんなこと、言わないでよ」
そんなの。
自分が大嫌いだなんて。
「……そんなの、悲しすぎるよ、晴明君……」
「……」
私だって、自己嫌悪に陥る時だってある。
けれど、それはあくまでその時その時の感情。
ずっとそうなわけじゃない。
それでも、その時はとても苦しい。
とても悲しい。
そんな気持ちを、ずっと胸の中に抱え続けるなんて。
「……お願いだから、もうそんなこと、言わないで」
「……」
ーーーそんな苦しいこと、言わないでほしい。
「私が好きな晴明君を、嫌いだなんて、言わないで」
「……!!」
ーーー桔梗色の瞳が、見開かれる。
「あ……」
言ってしまってから、自分が言った言葉を心の中で反芻し、ハッとする。
ーーーちょっ、待って!?
今私、なんて言った!?
い、今のは、ど、どう考えても……っ!!
い、いやいや、そういうつもりで言ったわけじゃあっ!!
「あ、えっと、いや、あの、い、今のはねっ!そ、その、な、仲間として好きというか、その、友達として好きって意味だからね!?その、そんな、私下心とか全然ないから!!だから、ね、その……」
「……フッ……」
「!?」
私の頭一つ分上の位置から聞こえてきた小さく吹き出す声にガバッと顔を上げると、笑いを堪えるような顔の晴明君と目があった。
「!?晴明君!?今、笑ったよねぇっ!?」
「いえ、笑ってないですよ……ふふっ」
「絶対笑ってるしいっ!!」
「いえいえ、だって、ふふっ、あなたが面白すぎるから」
「ちょっ!?人が真剣に……っ!!失礼だからね、それ!!」
「ふふっ、ごめんなさい」
「ごめん」なんて言ってるけど、顔が明らかに笑ってるからね、晴明君!?
「……もう、なんなのさ……」
ぷくっと膨れてそっぽを向くと苦笑を浮かべた晴明君が背けた方に移動して私の顔を覗き込んだ。
「ごめんなさい、瑞希さん。つい、笑ってしまいました。けれど……ありがとうございます」
「!!」
「瑞希さんの言葉、嬉しかったです。……もう、言いません。……好きになるのは難しいですけれど、もう、言いませんから機嫌、治してください」
「……ちょっと変わったね」
「え?」
「謝る時。前は『申し訳ございません』みたいな、すごい他人行儀な言い方だった」
「!!」
「そっちの方が、なんか近づいた感じでいいよ」
ーーーいつも感じていた壁が、ほんの少しだけ薄くなった気がしてつい、そういうと晴明君は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに微笑んで頷いた。
「……そう、ですね。……僕も嬉しいですよ」
「えっ?」
「……瑞希さん、今日初めて心から笑ってくれましたから」
「っ!!」
ーーーそ、そんな、う、嬉しそうな顔で……!!
は、反則だ……っ!!
「???瑞希さん?顔が赤いですが……?」
「……む、無自覚かい……」
「???」
晴明君は自分の笑顔がどれだけ乙女心にダメージを与えるかがわかっていないのか、キョトンとした表情で首をかしげている。
その、いつもの優しい笑顔よりも幾分か幼い表情にはやる心臓をなんとか抑えながら私は彼の視線から逃れるように空を見上げた。
ーーー見上げた空には、いつの間にか雨は止み、とっても綺麗な満月が私たちを優しく照らしているのだったーーーーーーーーーーーーーーーーーー。




