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時廻奇譚 〜あなたに捧ぐ、恋物語〜  作者: 日ノ宮九条
第五章 命を負う覚悟
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第42話 「許し」の意味

【桜庭瑞希】


「瑞希さんっ!!」


ーーー私は聞こえるはずのないその声に、弾かれたように顔を上げた。


そこにいたのは。


「……せい、めい、くん」


青紫の袴を身につけ、そしてそれはぐっしょりと雨で濡れて、彼の華奢な体に張り付いている。


まっすぐで澄んだ桔梗色の瞳は昨日以上の悲しみに揺れていた。

私の後ろの光景で聡い彼は全てを悟ったのだろう。

私は彼の顔をまっすぐ見ることができずに顔を背け、俯いた。


「瑞希さん」


もう一度名前を呼ばれ、びくりと肩を震わす。


ーーーいったい、彼にはなんて思われただろうか?


私は晴明君との約束を破ってしまった。

怒りと憎しみに我を忘れ、犯人を…………殺してしまった。


こんな私を見て、手が血で染まった私を見て、晴明君、君は私を軽蔑した?

私が、怖い?

私のこと、嫌いになった?


ーーー怖い。


あの時と同じだ。


島原の時と、同じ。


私は、晴明君に嫌われることを恐れている。


なんでだかはわからないけど、彼には嫌われたくない、そう思う自分がいる。


けど。


もう無理だーーーーーーー。



「瑞希さん」


晴明君はもう一度私の名前を呼び、そして。


「……帰りましょう。僕らの『家』に。ここは、寒いですから」

「え……」


優しい、全てを包み込むような微笑みとともに差し出された右手を私は呆然と見上げた。



********************



……どうして。


どうして君はそんなに私に優しくするの?


私は、君との約束を破ったのに。


絶対にやっちゃいけない罪を犯したのに。


「どうして?」


私の声に、手ぬぐいで頭を拭いていた晴明君がその手を止め、顔を上げた。



惚けたままの私を立たせ、晴明君は近くの甘味所、「弥生」ーーー前に晴明君と一緒に来たお店に私を連れてきた。

その頃にはしょっちゅう通っていたせいで顔見知りになっていたお店のおばさんは、晴明君が事情を話すと快く二階の一室と手ぬぐいや着替えを用意してくれた。


ーーー私たちに与えられたのは下宿用だという5畳ほどの部屋で、今は空き部屋なためにものは一切なく、ただただガランとしていて、どことなくもの寂しい雰囲気に包まれている。


二人別々に着替えを済ませ、雨が止むまで雨宿りをしていけばいいと言ってくれたおばさんに甘えた結果、今に至る。


ーーー冷たい指先が、手に持つ手ぬぐいをすぐに冷たくしていくように感じる。


晴明君は私の問いには答えず、黙って私を見返した。


「ねぇ、なんで?私、晴明君との約束、破っちゃったんだよ?それに、私っ……私、人殺しになっちゃったんだよっ!?それなのに。なんで君は私に優しくしてくれるの!?ねぇ、どうしてよっ!!」


晴明君は答えない。

私は筋違いにも晴明君を睨みつけながら叫んだ。


「私は、罪を犯したんだっ!!それなら、責められて当然なんだよっ!?どうして責めないの!?どうして軽蔑してくれないの!?」


軽蔑して欲しくないのに、私はそれを求める。

矛盾していることはわかっているのに言葉が溢れ出て止まらなかった。


「……怒ってよ。なじってよ。……私を嫌いになってよっ!!これは、私への罰。私が、私に課すべきだと思った罰なんだからっ!!私なんか、嫌っちゃってよぉっ!!!!」


目から流れる大粒の涙を散らし、私は矛盾に満ちた言葉を吐き出した。


私は、罰せられて当然のことをした。


やってはいけないと、諭されていたのに。


私は。



「……僕は、あなたを責めません。僕に、あなたを罰する権利はない」

「なん、で?」


まっすぐに私を見つめる紫の瞳と視線が交わる。


私はその視線に息を呑む。


その瞳には悲しみと、そして凛とした厳しさがあった。


「確かに、あなたは罪を犯しました。あなたは、憎しみにかられて、かの犯人を殺めてしまった」

「っ……」

「あなたは、なぜ、僕に罰を求めているのですか?」

「それは……」

「あなたは、なぜ、罰を求めるのですか?」

「そんなの……私を罰するために……」

「違う」


いつになく険しい声音に、言葉を失う。


「それは違います、瑞希さん。あなたは罰を求めているのではない。いえ、確かに罰と言えるでしょう。けれど、それはただの自己満足でしかないということに気づかないのですか?」

「あ……」

「あなたは罰を求め、そしてそれによって許しを求めた。けれど、それは間違っています。あなたは、罰して欲しいのではない。罰せられることで(・・・・・・・・)己の罪を清算したい(・・・・・・・・・)のではないですか?」

「……!!」


私、は。


「瑞希さん。厳しいかもしれませんが、それはあなたが今、一番してはならないことなのですよ。過去の清算、つまりは己の罪の忘却(・・・・・・)。あなたは、罰を受けたいのではない。あなたがあなたの罪を忘れたいだけなのではないですか?」

「っ、ちが、私は……」

「認めなさい、瑞希さん」

「っ……」


晴明君の姿が涙でゆらりと霞む。


「僕はあなたを罰しない。そもそも、僕にその資格はない。あなたは、あなた自身の罪を、贖罪という形で清算し、忘れたいだけだ。それは間違った道です」

「……無理、だよ。そんなの。私、そんなに強くないもん……」

「いいえ、瑞希さん」


そこで、晴明君は立ち上がり、目の前まで来てそっと私の手を握った。


「あなたは、それができる強さを持っている。大丈夫。『乗り越える』という言葉は、己の罪を捨て去り、忘却の彼方へ追いやった者の戯言にすぎません。けれど、あなたならばそれすらも『乗り越えられる』。罪を認め、許しを請うこと自体は罪ではありません。けれど、決してそれを忘れてはならない。忘れて、なかったことにしてはいけない。認め、己の罪と向き合い、そして、その罪すらも糧として前に進んでこそ、本当の『許し』なのですよ、瑞希さん」


紫の瞳は、厳しいけれど、しかし、それでいてまるで子供をあやす親のような暖かさがあった。


「ごめん、なさい」


そして。


私の口から、するりとその言葉だけが滑り落ちた。


その言葉に、晴明君は優しく微笑んで頷いた。


「ごめ、なさいっ……!!」


あつい雫が頬を伝う。


それに手を伸ばしてはらい、晴明君はあやすような笑みを浮かべた。


「……それでも、今だけは。泣いても、いいんですよ……。明日から、前に進めるのなら」



そう、温かい言葉が私の鼓膜を震わす。



「っ、うわぁああああああああああああ!!!!」



その日。


私は「罪」を犯し。


この時代の非情さを知り。


「罪」に対する許しを知り。


そして。



私はこの時代に来て、初めて大声をあげて泣いた。


そんな私を。


晴明君はただ黙ってあやし続けたーーーーーーーーーーーーーー。


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