第144話 おしおき
「さてと」
「へ? 」
不覚にも惚けていた私は原田さんの、そんな、切り替えるような言葉にハッと正気づく。
そうして見上げた原田さんの顔にはさっきまでの儚げな雰囲気は欠片もなく、代わりに嫌な予感のするいつもの笑みが浮かんでいた。
「今回、君は俺にものすごーく心配かけたよね」
「へ、あ、いや、それは、謝りますけど……」
「うんうん、そうだよね、謝らないとね。だけど、それだけじゃあ足りないと俺は思うんわけ」
「い、いや、足りないって……」
「つまり、君にはちょっとした罰を与えないといけないよね? 」
「い、いやいやいやいや!! 」
それは絶対におかしい!!
この流れでどうしてそう繋がるんだよっ!?
「と、いうわけだから」
「どういうわけ!? 」
「君は罰として……」
「え、いや、ちょっと待っ……」
「俺を下の名前で呼ぶこと」
「いや、そんなのは無理です……って、へ、下の名前っ!? 」
一瞬、何を言っているのかわからずに硬直する。
そんな私を、原田さんは楽しげに見下ろして言った。
「君、最近じゃあほとんどの仲間のこと、下の名前、で読んでるし、敬語もなしでしょ?俺のことも気やすく呼んでくれると嬉しいんだけどね? 」
さりげなく私のおろしたままの髪をすき、顔を覗き込むようにしてこちらを見据える。
「っ……」
ーーーちょっ、ちょっと!!
な、なんで、そんな、壊れ物を扱うみたいに触るわけ!?
これだから女慣れしてる奴はっ……!!
「ダメかい? 」
「っ、わ、わかりました……じゃなかった、わかったよっ!! 」
「じゃあ、呼んで?俺の名前」
「ぐっ……」
ささやくような甘い声が耳をくすぐる。
「えっと……じゃあ……その……。……さ、左之? 」
「うん、そうだよ。よくできたね、瑞希❤︎」
ニコリと微笑み、これまたさりげなく顔を近づけてきた原田さん……左之の体を軽く押し、なんとかしてその色っぽすぎる誘惑から逃れ、距離をとる。
今の私の顔は林檎みたいに真っ赤になっていることだろう。
これ以上妙な気に当てられていたらおかしくなりそうだ。
「も、もう、私、行くから!ほら、ハルのとこも見に行かないとだし!! というわけで、それじゃ!! 」
「ふふっ、了解だよ。彼のことは僕も心配だからね。後からお見舞いに行くよ」
早口にまくし立てた私は、そんな原田さんの声を背後に聞きながら、その場を逃げるように走り去った。
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【原田左之助】
「……俺も、甘くなったものだなぁ」
……瑞希を抱きしめた後。
顔を真っ赤にして、慌てて去っていった瑞希を俺は引き止めることはしなかった。
「あのまま言っても良かったんだけどね」
ーーー俺の気持ちを。
瑞希が好きだという気持ちを。
「でもなぁ……。公平じゃないからね」
ーーー瑞希のことだけは、他を出し抜くようなことをしないで正々堂々とやりたい。
そして、それ以上に、今ここで彼女を手に入れるようなことになれば、それは俺の力ではなく、平助らのおかげになってしまう。
俺は、俺自信の力であの子を手に入れたい。
「って思うのもほんと、甘くなったなぁ……」
昔の俺ならば、どんな手段でも使っただろう。
でも、今は。
それすら躊躇するほどに、あの子を想ってしまった。
「……瑞希は、最後に誰を選ぶのだろうね」
もちろん、俺は彼女を必ず手に入れるつもりだ。
けれど、選ぶのは瑞希自身。
あの子はまだ恋を知らない。
俺が今、感じているような狂おしいほどの感情を、まだ知らない。
それが、将来誰に向けられるのか。
「……ハルだけは、ダメだよ」
ーーー彼が瑞希を愛することはない。
それだけは確信できる。
なぜなら、彼は、おそらく……。
「……彼の心は、すでに誰かのものだから」
ーーーその「誰か」は、もう、手の届かないところにいるのだろう。
けれど、それでも彼の心は揺れない。
彼は絶対に瑞希を選ばない。
けっして彼の1番にはなれない。
「彼に恋すれば、傷つくのは瑞希だ」
ならば、俺は。
あの子が傷つかないよう、その心を俺に向けさせればいい。
あの子が泣かなくても済むように。
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【芙蓉】
ーーーチリン。
「……瑞希は、もう大丈夫そうだね」
ーーーあの子は私の大切な半身。
まぁ、妾の半身だもの、そう簡単に潰れることはないけどね。
「それにしても……ほんと、変わってないなぁ、ハル」
昔から、いっつもそうだったよね、あなたは。
誰よりも優しくて。
誰よりも自分を顧みない。
それはハルを大切に思ってる人を傷つけるんだよって、何度も教えてあげたのに。
「……それにね、ハル。あなたは、もう自由なんだよ? 」
妾は、あなたの心の「枷」になんて、なりなくないよ。
「忘れられるのは寂しいけど、でも、それでハルが幸せになれるなら、それでいいんだ」
もう、ハルはいっぱい苦しんだから。
自分を責め続けなくていいんだよ?
「ハル……」
ーーー妾の、一番楽しかった思い出。
ハルはまだ、忘れてないんだろうな。
「芙蓉」。
この花に込められた想いすらも。
「……幸せにならなきゃ、許さないんだから」
そうじゃなきゃ、妾との「最後の約束」は果たしたとは言えないんだからね。
ーーーだから、ちゃんと最後は笑ってよ、ハル?




