第103話 天使の寝顔と悪魔の誘惑
【桜庭瑞希】
「おい、瑞希」
「うわっ!!」
昼の巡察から帰り、自分の部屋へと戻ろうと廊下を歩いていると、仏頂面の鬼……もとい、土方さんから突然そう声をかけられた。
「私、多分何もやってませんよ?」
「……テメーは俺をなんだと思っていやがる。ってか多分ってなんだ、多分って」
「い、いやぁ……き、聞き間違いですよ、聞き間違い!!ほら、土方さんもう年だし」
「俺はまだ30だっ!!」
「私のほぼ倍です!!」
「うるせぇっ!!」
「うぎゃあ!!??」
ドカッ
スパーン
「おう……手加減なさすぎですよう、土方さん……」
「ごちゃごちゃうるせぇぞ。もう一発行くか?」
「いえいえ滅相もございません調子に乗りすぎましたすみません」
「ふん」
怯える私を冷ややかに見下ろし、鼻を鳴らす土方さん、いと怖し。
「……それで、私に何か用があったんじゃ?」
「チッ……お前のせいで余計な時間くったじゃねぇか……ああ、そうだ。お前、どうせ暇だろ?ちょっと行って小鳥遊呼んでこい」
「どうせ暇だろって……そっちこそ人をなんだと……まぁ、その通りなんですけど」
小鳥遊っていうと、晴明君のことだね。
彼に何の用だろう?
「少し仕事を頼みたいだけだ。分かったらさっさと呼んでこい。もちろん俺の部屋だ。わかったな?」
「はーい。了解です」
私の間伸びした返事に、土方さんは呆れたように片眉を挙げたが、それ以上怒鳴りつけることはせず、くるりと背を向けて行ってしまった。
ーーー土方さん、忙しいのかな?
ーーー疲れた顔してたし。
ーーー今度甘いものでも差し入れしてあげよう。
そんなことを頭の片隅で考えながら、私は晴明君の部屋へと向かった。
********************
「せい……っと、桔梗くーん、いるー?」
晴明君、と呼びかけ、慌てて彼の偽名を呼ぶ。
ここは昼にはそれなりの人通りがある。
誰かに聞かれでもしたらことだ。
軽く障子の戸を叩いて呼びかけるも、中から返事はない。
「あれぇ?いないのかなぁ?」
彼は今日非番なはずなんだけど。
どこかにでかけているのかな?
「桔梗君。入るよー?」
一応、念のためと思ってそう呼びかけつつ、障子を開けてみる。
と、そこには……。
「えっ、せ、晴明君!?」
ーーー部屋の中央には、床に倒れ伏した白髪の少年……こと晴明君がいた。
「ちょっと、大丈夫!?」
ーーーまさか、また熱で!?
私は急いで駆け寄り、その顔を覗き込む。
「晴明君、晴明く……ん?あれ……?」
ーーーこれは……。
「スー……」
「……」
ーーーひょっとして。
「ね、寝てるだけ……?」
確かに、まぶたは閉じられているものの、顔色も別段悪くはないし、呼吸も至って正常だ。
「ん……?」
ふと、彼が眠りながらも右手に握りしめたものが目にとまる。
「これは、本……?……ああ、そういうことか!!」
ーーーなるほど。
多分だけど、晴明君はこの本を読んでいて、寝てしまったのだろう。
その証拠に、晴明君の手元には開かれたままの本が置かれていた。
「……もう……心配しちゃったよ……」
ーーー当の本人は私がここにいることも気づかずに、幸せそうに眠っている。
そのことがちょっぴり悔しくて、私は無防備なその寝顔を上から覗き込んだ。
「……うわぁ、まつ毛長い……」
ーーー起きているときは落ち着いた雰囲気があるせいか、大人びて見えるが、こうして目を閉じていると、幾分か普段よりも幼く見える。
袴の袖から覗く腕は色白で、日頃剣を振ってる私よりも華奢でほっそりとしていた。
「……ほんと、こうしてみるとほんとに綺麗だよなぁ……」
小さくつぶやき、そっと、畳に広がった純白の髪に触れてみる。
「おお……サラサラだぁ……」
まるで上質な絹のような手触り……。
ーーーこれは……いやぁ……いいなあ……。
「ん……?」
「っ!?」
ピクリ、と、まぶたが震える。
ーーーあれ、ひょっとして起こしちゃった!?
そう思い、慌てて彼の髪から手を離し、距離を取る。
ーーーその直後、けぶるようなまつ毛の隙間から紫色の瞳が覗いた。
「う……ん……?」
「あ、ご、ごめん晴明君。起こしちゃったよ、ね!?」
「……?」
私の謝罪の言葉に、晴明君はぼんやりとした半開きの瞳を瞬かせ、小さい子供がよくするような仕草でほんの少し首を横に傾けた。
「わ……!!」
ーーーな、なに!?
ーーーこの可愛すぎる生物は!?
ーーーーーー開ききっていない紫の瞳はまだ半分覚醒いないせいか、未だぼんやりとしており、そのまなこでこちらを見上げる様はあどけなく、言葉に言い表せないほどに愛らしい。
ーーーね、寝起きの晴明君……か、可愛すぎるっ!!!
抱きしめたいっ!!
なでなでしたいっーーーーって、それもうただの変態じゃないかっ!!
正気に戻れ、私っ!!
寝顔は天使なのに、それがもたらす誘惑は悪魔のそれだわこれっ!!
……いやでもちょっとくらいならーーーーー。
そろり、と純白の頭へと手を伸ばすーーーーーーーー。
「ーーー入ってもいいかな、桔梗君?」
「っ!?!?」
ーーーそんな文言とともに障子が開き、その声の主……山南さんと目があう。
「……」
「……」
「……お邪魔したね」
ーーー部屋の中央で寝転ぶ晴明君とそんな彼に触れようとしている私を二度、交互に見返し、山南さんは生暖かい笑みを浮かべるとそう言い残し、静かに戸を閉めた。
ーーーって、おいっ!!
「ちょっ、待ってください山南さんっ!!これは誤解ですっ!!」
「いや……大丈夫だよ、瑞希君。私はなにも見ていないし誰にも言わない。どうぞ二人でごゆっくり」
「なっ……」
山南さんの言葉に、私は思わず絶句してその場で硬直する。
その間に山南さんの足音は部屋から遠ざかっていった。
「あ、ああ……」
こ、これは……。
か、完全に……。
「ご、誤解だぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!」
ーーーこの絶叫で、原因となった晴明君の意識が覚醒し、なおかつくるのが遅いとお怒り顔の土方さんが部屋へと怒鳴り込んできたのは言うまでもない……。
ーーー追伸。
晴明君が読んでいた書物は山南さんから借りたものだったそうです。
ああ、だから山南さん、晴明君の部屋に来たんだね(泣)




