餓鬼畜生の戦い
幸仁は言葉もなく一気に駆け出した。
少女との距離は十メートル。瞬間移動という切り札を最大の効果で発揮するには、ほんの少しだけ足りない距離。
「っ、なに!?」
曲がり角から飛び出した幸仁に、その少女はすぐに気が付いた。
素早い動きで振り返り、自らに差し迫っている幸仁の姿を確認すると、少女は唇を歪めて笑みを浮かべる。
「――――挨拶も無しに襲い掛かってくるとか、マジでキショイんだけどッ!!」
少女は声を荒げて言葉を吐き出す。
手に持つドス刀を振るい、刃に付いていた血を飛ばすと、まっすぐに向かって来る幸仁に照準を合わせる。
「死ねぇ!!」
ドス刀の間合いに踏み込んだ幸仁に向けて、少女は急所を切り裂くようにして刃を振り下ろした。
その躊躇のない刃の軌跡を見て、幸仁は一瞬にして理解する。
この子はもう、戻れないところにまで足を踏み出しているのだ、と。この地獄で、生きるために他人を貪り食らう鬼になり果てたのだ、と。
けれど、この地獄はそれが正義なのだ。自分のために誰かを利用し、蹴落とさなければ地獄にさえ滞在する権利が与えられない。
ここに存在する鬼は、みんながみんな、餓鬼畜生の亡者たちなのだ。
「――――――」
スッと、幸仁の中で未だに揺れ続けていた覚悟が決まった。それは、幸仁の中で最後まで踏ん切りの付いていなかった、人殺しの覚悟だった。
幸仁は袈裟懸けに振り下ろされる刃を見つめた。身体の震えはいつしか止まり、乱れていた息が一瞬にして整っている。
幸仁の視界が広がる。焦りと不安、恐怖のフィルターが外れて世界が広くその瞳に映し出される。
少女が嗤っていた。袈裟懸けに振り下ろされる刃に勝利を確信した笑みだった。
――――しかし、その笑みは次の瞬間、一瞬にして凍り付く。
「――――なっ!」
少女の口から言葉が漏れた。
袈裟懸けに振り下ろされた刃が幸仁の額を割ろうかと差し迫ったその瞬間、幸仁の姿が一瞬にして掻き消えたのだ。
それと同時に、少女は全身の毛が一斉に逆立つのを感じた。
「っ!」
その反応は、本能としか言えないものだった。
少女は背後で膨らむ殺意から逃れるように、必死の形相で身体を転ばせる。
その瞬間、少女の背後へと瞬間移動していた幸仁の長ドスの刃が煌めき、逃げ遅れた少女の後ろ髪を迷いなく斬り裂いた。
「くっ!」
悔し気な声を吐き出したのは幸仁だ。
幸仁は、今の一撃に絶対の自信を持っていた。
幸仁はここまで来るのに、恵からコピーをした能力を使っていない。瞬間移動という切り札の最大の効果を発揮するために、他の参加者には幸仁が瞬間移動を使えるということを絶対に分からないようにしてきた。
正真正銘の、不意打ちによる奇襲の一撃だ。
にも関わらず、この少女は対応し避けた。その事実に、幸仁は強く歯噛みする。
「逃がすか!」
叫び、幸仁は手の内で長ドスをくるりと翻す。
床に倒れた少女に狙いを定めて、幸仁は真っすぐに長ドスの刃を振りかぶった。
「終わりだ!!」
叫び、幸仁は刃を振り下ろす。
「舐めるなァ!!」
対する少女は声を荒げて叫び声を上げると、幸仁の振り下ろされる刃に合わせるようにしてドス刀を振るい合わせた。
――――キィイイン、と。甲高い音が鳴って火花が飛び散る。
全力でぶつかり合った刃から伝わる力で、幸仁は腕が甘く痺れるのを感じた。一瞬だけ柄を握る力が緩み、幸仁は歯を噛みしめて両手に力を込める。
「チッ!」
対して、少女もまたぶつかり合った刃の衝撃による腕の痺れに舌打ちをしていた。
男と女とでは基礎的な筋力量が違う。加えて、幼少から身体を鍛えていた幸仁の刃は剛刃と呼んでも差し支えないほどに重たいものとなっていた。
刃は力に押し負け、少女の腕は弾かれて身体がガラ空きになる。
その隙を、幸仁は逃がさなかった。
「ッ、らァァアアア!!」
叫び、幸仁は腕を振るう。
振るわれた刃は真っすぐに少女の脇腹に沈み込んで、既に裂かれていた腹部をより引き裂いてその中身を曝け出した。
「ッ、いッッッッたい!! 躊躇もなく傷痕を狙ってくるとか、ホントありえないんだけどコイツ!!」
少女は声を荒げて言い放つと、刃を握る幸仁の腕を逃がさないよう片手で掴んだ。
「お返し!」
叫び、少女はもう片手に持つドス刀を幸仁の腹部に目掛けて振るった。
「躊躇がないのはテメェも同じだろうが!!」
言い返しながら、幸仁は能力を使ってその場から離れた。
少女の刃は空を切る。その事実にまた少女は目を瞠るが、すぐにその視線は細く鋭くなった。
「…………へぇ?」
と、少女は五メートルほど離れた場所に現れた幸仁を見て呟く。
「アンタ、瞬間移動能力者ってやつ? ウチの能力も十分チートだって思ってたけど、アンタの能力の方が十分チートじゃん」
「…………俺からすれば、その身体で動いてるテメェの方が十分チートだけどな」
言って、幸仁は少女の身体へと目を向ける。
幸仁に斬られた脇腹からは血が流れていない。いや、正確に言えば多少は流れているのだが、それは少女の身体に残った僅かな残血であるように思えた。
「身体をゾンビにする能力か? このゲームに、テメェ以上の適任の能力はないだろうな」
幸仁はそう言って、長ドスを正眼に構えた。
「指輪を渡せ。ゾンビみたいな能力でも、さすがに手足を切れば動けねぇだろ。指輪を渡すんだったら、生かしておいてやるよ」
「ふっ、あははははは!! 『生かしておいてやるよ』だって? あはははははははは!」
幸仁の言葉に、少女が大きな笑い声を上げた。
どこまでも響く甲高い笑い声に、幸仁の眉毛がピクリと動く。
少女はひとしきり笑い声を上げると目の端に浮かんだ涙を拭って、
「――――馬ッッッ鹿じゃないの」
と、急に真顔になって言葉を吐き捨てた。
「ウチらは全員、一度死んでんの。生かす生かさないの問題じゃない。そもそもが死んでんだよ!! 『生かしておいてやる』だなんて、アンタが決めることじゃない。このゲームでその台詞を吐けるのは、あのスピーカー野郎だけだ!!」
少女は嫌悪を露わにした表情で叫ぶ。それから、スッと目を細めると幸仁の顔を見つめた。
「…………指輪、欲しいならウチから奪いなよ。ウチもこの指輪を他の人から奪ったんだ。奪った以上、奪われることも覚悟してる。――ただ、簡単に奪えるとは思わないことね!」
少女は言葉を吐き出すと、懐に手を突っ込んだ。
「さぁーて、これは何でしょう?」
言って、少女が取り出したのは黒い筒状の物体だった。上部にピンが取り付けられたそれは、小型の爆弾のようにも思える。
「――――――ッ!?」
その物体を見て、幸仁はすぐにその危険性を察した。
あれは間違いなく〝ハズレ〟の宝箱の中から出てきたものだ。だとすれば、それは殺し合いにおける武器に他ならない。
幸仁は少女がそれを使って何をするつもりなのか予測出来た。
少女は能力によって致命傷を負っても死なない身体だ。本来ならば自傷の危険性のある武器だろうと、少女は自傷を気にすることなく使用することが出来る。
――――自爆特攻。
その言葉が、幸仁の脳裏に過った。
「くっそ!」
叫び、幸仁が能力を使って五メートル後方へと移動するのと、少女が唇を歪ませながらピンを引き抜くのはほぼ同時だった。
「どーーーーーん!」
嗤って、少女はピンを引き抜いたソレを幸仁に向けて放り投げた。
放り投げられるソレを見て、幸仁がさらに後方へと移動しようと瞬間移動を試そうとしたその時だ。
「ぐ、ァ……ッ!!」
――――眼球を突き刺すかのような激しい閃光が瞬いた。次いで、鼓膜を破壊するかのような轟音が襲う。
直撃した閃光に幸仁の視界は白く染まり、激しい耳鳴りが幸仁の聴覚を奪った。
少女が幸仁に向けて放り投げたもの。それは、閃光手榴弾と呼ばれるものだった。
事前に、それが激しい光と音を伴うことを少女は知っていたのだろう。閃光手榴弾を放り投げると同時に少女は目を閉じ、耳を塞いでいて、直撃した幸仁と比べるとダメージを回避している。
閃光手榴弾の爆発によってたじろぐ幸仁に向けて、少女はドス刀を構えて一気に地面を蹴り近づく。
「はぁあああッ!」
気合の掛け声のもと、少女は一気にドス刀を振り下ろした。
幸仁はすぐに能力によって回避を試みる。少女の背後へと即座に移動を終えて、すぐに反撃へと移ろうと長ドスを振り回すが、奪われた視力と聴力によって平衡感覚が狂っていた。
「ッ、あっぶないわね!」
幸仁の刃は僅かに届かず、少女の背中を薄く斬り裂いた。
手応えのないその感触に幸仁は唇を噛みしめて、もう一度移動をしようとしたところで振り向きざまに少女がドス刀を振り抜いてくる。
瞬間的に、幸仁は能力を使用してその刃の範囲から逃れようとした。
「ぐッ、ぅ……」
しかし、その行動は完全には間に合わなかった。
幸仁が瞬間移動で消える寸前、少女の刃は幸仁の左脇腹から右の肩口までを切り裂いたのだ。
幸仁の身に付けたシャツがみるみると血で真っ赤に染まる。だが、その血の勢いはあきらかに弱い。どうやら、少女の刃は血管には届かず皮膚を切り裂いただけらしい。
それでも、傷口から燃えるような痛みが全身へと走り、幸仁は僅かに動きを止めてしまう。
その隙を、少女は見逃さなかった。
「ッ!!」
と、気合いの入った息を漏らし、少女は素早く幸仁のもとへと近づくと、すぐにしゃがみ込んで足払いを掛けて幸仁の体勢を崩した。
「っ!」
寸でのところで、幸仁は転倒を逃れた。
しかし、それは致命的な隙へと繋がってしまった。
「ぐッ………っ」
垂れ落ちた頭にぶつかる鈍痛と衝撃。少女が立ちあがり間際に幸仁の顔を全力で蹴りつけたのだ。
視界が明滅するのを感じながらも、幸仁はカウンターを放つように必死で腕を振るう。
逆袈裟で振るわれた長ドスの軌跡は少女の胸部を切り裂いた。一瞬遅れて少女の胸から血が流れだし、少女の顔が微かな苦痛で歪んだ。
「くっ……! 痛ッいじゃない! こんな身体でも、痛みは一応あるんだけど!!」
「奇遇だな。テメェが一度死んだという俺の身体も、テメェに斬られて涙が出るほど痛ェ、よ!」
少女に言い返すと同時に、幸仁は少女の身体に目掛けて蹴りを入れる。
幸仁の前蹴りは少女の腹に深く沈み込んで、少女を吹き飛ばし再び距離を開けた。
「っ、げほっ、おえっ!! 女子の身体に全力の蹴りを入れてくるとか、マジありえないんだけど!」
地面を転がり、幸仁に蹴られた腹部に手を当てた少女が言葉を絞り出すように言った。
「殺す、殺す殺す殺す!! 絶対にアンタは殺す!! 絶対に、許さない!!」
少女は唾を飛ばしながら幸仁へと憎悪の籠った目を向ける。
対する幸仁もまた、斬られた脇腹を押さえながら少女を睨み付けていた。
「ふぅー…………」
痛みで明滅する視界を押さえるように、幸仁は深く息を吐く。
額に浮いた脂汗が頬を伝って流れ、床の絨毯に落ちては染みを作りだす。
幸仁は考えていた。
このまま消耗戦になれば勝ち目はない。何せ、相手は致命傷を負っても動く身体だ。致命的な傷はまだ受けていないが、このままでは時間の問題だろう。
「ちんたらしてる時間はないな…………」
こうして、指輪を奪うことに手間取っている間にも『クエスト』の終了は近づいている。
さらに言えば、指輪を奪うことに手間取れば手間取るほど、この戦闘音を聞きつけた他の参加者が漁夫の利を狙ってやってくるかもしれない。
迅速に、けれど慎重に。次の一撃で、この少女を殺すつもりで掛からなければ、たとえこの戦闘で指輪を奪えたとしても、すぐに他の参加者に指輪を奪われてしまう。
そして、その考えは少女もまた同じだったようだ。
「――チッ、こんなところで時間かけてると、他の奴らが来ちゃうじゃん」
そう言って、少女はドス刀をくるりと振り回し眼前に構えた。
「悪いけど、もうアンタと遊んでる時間はないから」
「……ああ。俺も、テメェとはもう遊んでる暇がねぇんだよ」
幸仁は静かに言葉を言い返して、長ドスを正眼に構えると感情の籠らない瞳で少女を見据える。
「………………」
「………………」
二人は互いに言葉を発さず、ジッと互いの動きを注視した。
互いの息遣いさえも聞こえてきそうな張り詰めた静寂がこの場を支配する。館の遠くから聞こえてくる誰かの叫びや、微かな戦闘音だけが二人の間に割り入っていた。
――そして、二人の息遣いが重なったその瞬間。最初に動いたのは、幸仁だった。
「…………ッ!」
短く息を吐き出し、幸仁は能力を使用する。
瞬間的にその場から消えて、五メートルほど進んだ右斜め前へと姿を現す。かと思えば、すぐにまた能力を使用して、今度は三メートルほど後方に移動する。そして、次は二メートルほど前に進んだ左前方に。
消えては現れて、現れては消えて。
何度も、何度も、瞬間移動という行為を繰り返しながら、幸仁は少女の視線を攪乱する。
少女は必死に幸仁の姿を追いかける。
しかし、その視線も長くは続かなかった。
「――――!!」
少女の視線が幸仁を捉えられなくなった一瞬。
幸仁は一気に少女の元へと近づき、無防備となったその首筋に向けて握り締めた長ドスを振り抜いた――――――。
「見ぃぃいいいいいいいつけたぜぇえええええええええ!!」
幸仁の振るった長ドスが少女の首に届く寸前、大きな怒声が二人の間に割り込んだ。
かと思えば、振り抜いたはずの長ドスの間に何かが通り過ぎて、幸仁の振るったその刃は甲高い音を発しながら勢いよく弾かれた。
「――――なッ!?」
思わず、幸仁は目を瞠る。
幸仁の振るった刃は、回避不能の一撃と呼んでも差し支えない攻撃だった。
――にもかかわらず、幸仁の攻撃は弾かれた。
……まさか、この少女の能力を勘違いしていたか?
幸仁は一度、恵の能力を勘違いしている。また同じ轍を踏んだのかと幸仁は唇を噛みしめたが、その少女がもまた幸仁と同様に驚いていたのを見て、幸仁は少女の仕業ではないことにすぐに気が付いた。
「いったい、何が」
幸仁は言葉を漏らし、視線を彷徨わせる。
「――――っ!?」
そして、幸仁は目にする。
少女の後方、通路の角からこちらと悠然とした態度で歩いてくるその男の姿を。
「…………お前は」
幸仁は奥歯を噛みしめて言葉を吐き出した。
呟かれるその言葉に、少女もまた背後に誰かが居ると察したようだ。
少女はちらりと背後へと視線を向けて、その姿を視界に納めると盛大な舌打ちをした。
「チッ、最悪」
呟かれる言葉が耳に入ったのか、男の唇が笑みで歪んだ。
「やぁあっと見つけたぜぇ」
そう言って、男は幸仁へと目を向ける。
「まさか、忘れたとは言わねぇよな?」
その言葉に、幸仁は何も答えない。
忘れたわけではない。忘れるはずもない。
幸仁と少女の戦いに割り入ってきた男。その男は、ルール説明のあのホールで腕時計がないと騒ぎ、この館に足を踏み入れた直後に幸仁に襲い掛かってきたあの若いサラリーマン風の男だった。




