扉の先は
「うー……ん、そうなると、まずはどこに行くのか、ね」
考え込むように恵はそう言うと、背後にある玄関扉以外の三つの扉を見つめた。
「ねえ、広野くんはどこがいいと思う?」
「そうですね……。最終的には三つの扉の先を確かめる必要がありますし、どこでもいいっていうのが本音ですけど……。強いて言えば北側か西側の扉のどちらかですかね」
「北側か西側の扉? どうして東側の扉はダメなの?」
「東側はさっきまでこのホールに居た、あの会議をしていた参加者たちが移動した場所だからですよ。あの人達の中に♤が居れば、今頃きっと仲間割れを始めている頃です。少しでもその可能性がある以上、その争いの中にのこのこと顔を出すのはナンセンスです」
「なるほどね。だったら、西側にしましょうか。ちょうど東側と反対にある扉なんだし、ぐるっと扉の先が繋がっていない限り鉢合わせすることもないでしょ」
恵の言葉に特に異論のなかった幸仁は、その言葉に素直に従うことにした。
幸仁たちは西側の扉の前に移動すると、その扉の前に立ち扉をしげしげと眺めた。
幸仁たちが遠目から見ていた通り、そこにあったのは玄関扉と同じ両開きの木製の扉だった。大きさは玄関扉よりも一回りほど小さい。作りは同じで、扉にはドアノブ代わりの鉄製の取手が付けられていた。
一通り扉を調べて、玄関扉と構造は同じであることと鍵が掛かっていないことを確認した幸仁たちは、自然と互いに目配せをした。
「あとは、この先が安全かどうかってところですけど……。恵さん、また俺と一緒に〝瞬間移動〟することは可能ですか? 扉の先が安全じゃなければ、すぐに逃げなきゃいけませんし」
「構わないよ、と言いたいところなんだけど、この能力は私以外の誰かを一緒に移動させるには制限があるんだよね……。いざとなればもちろん使うけど、広野くんを私と一緒に移動させるのは、本当にどうしようもない時。それこそ、死に間際の緊急時ってことにしてくれると助かるかな」
恵はそう言うと、困ったような笑みを浮かべた。
その顔を見て、幸仁もまた〝瞬間移動〟も無敵の能力じゃないんだな、と心の中で納得をする。
「分かりました。恵さん一人で使う分には問題ないですか?」
「問題ないよ」
「でしたら、一つお願いがあります。〝瞬間移動〟を使って、この扉の先を覗いてくれませんか?」
「ん、偵察ってことだよね。もちろん、それなら大丈夫。私の能力を考えたら、そう使うのが一番だろうし」
恵はそう言って笑うと、扉の先を見つめた。
「それじゃ、ちょっと待っててよ」
言って、能力を使用したのか恵の姿が一瞬にして掻き消える。
いなくなった恵を待つ間、幸仁はまた扉やエントランスホールの中を細かく調べることにした。玄関扉には使えなかった能力が、恵が消えた先に続く扉やエントランスホールに立ち並ぶ石柱に使えることを幸仁が確認していると、扉の先を調べ終えたのか唐突に恵が現れた。
「ただいま」
そう言って、数十センチほどの高さに現れた恵は地面に降り立つ。
「おかえりなさい。どうでしたか?」
「……うん。ひとまず、扉の先は安全だった。でも」
と、幸仁の言葉に答えた恵がそう言って言葉を詰まらせた。
幸仁はその言葉に首を傾げる。そして、そこでようやく幸仁は扉の先から戻ってきた恵の表情が固いものとなっていることに気が付いた。
何かあったのだろうか。
幸仁は、恵へと向き合うと慎重に問いかけた。
「どうかされました?」
恵は、幸仁のその言葉にちらりとした視線を向けた。それから少しだけどう話を切り出そうかと悩むような素振りを見せて、
「……扉の先は安全だったんだけど」
と、恵はもう一度その言葉を切り出した。
「実は、扉の先だけじゃなくて、少し先の方まで調べてきたんだけど……。そこで、人が死んでいるのを見つけたんだ」
「…………それは、確かですか?」
幸仁は、恵のその言葉に表情を真剣なものへと切り替えた。
「見間違いとかじゃなくて?」
「見間違いなわけがないッ! 壁に、大量に血が飛び散ってた……。血を流した、人が倒れてたんだから!!」
そう口にする恵の表情は余裕がなく、震える唇から吐き出されるその言葉も緊張を帯びている。どうやら、壁一面に飛んでいた血は失血死に相当する量だったようだ。表情を固めたまま話す恵の様子を見て、幸仁もまたその現場を想像してゴクリと生唾を飲み込んだ。
「血だけ、ですか? 他に人の気配は? 近くに誰か――その人を襲ったらしき人がいませんでしたか?」
「……あたりを見回したんだけど、人の気配はなかった気がする。というより、人が死んでることにパニクっちゃって、すぐに戻ってきたからよく分からないっていうのが正直なところ」
恵はそう言うと、これ以上話すことが無いのか口を閉じてしまった。
「…………」
幸仁は、恵の言葉に思考を巡らせる。
恵が嘘を言っている様子はない。この先に死体があるというのも事実なのだろう。問題はその死体を作り出した参加者がどこに行ったのかということだが、こればかりは確認のしようがない。ただ一つだけ言えることは、もうすでにクリア条件達成に向けて動き出している参加者がいるということだ。
「……恵さん」
と、幸仁は彼女の名前を呼んだ。
「一度、その場所に案内してもらえますか? その死体を目にしておきたいです」
「…………正気? どうしてわざわざ見に行く必要があるわけ? もしかすれば、襲った人が近くにいるのかもしれないのに」
「こんな広い館の中で、死体を作り出した参加者がその場に止まるはずがないです。そこに居れば、自分が殺したと言っているようなものですから。誰かを殺したらすぐに動き出すほうがずっと効率がいい。恵さんが周囲に人の気配が無かったって感じたなら、本当に居ないんだと思います。一度その死体を見てみたいって思ったのは、その死体の様子を見ればだいたいの殺害方法が分かるからですよ」
大した持ち物もなく参加させられたデスゲームだ。その死体の傷痕が刃物状のものならばこの館には武器の類があると推測することが出来るし、普通では考えられない傷ならば能力を使用した可能性が高い。
「…………」
恵は幸仁の言葉にじっと考え込んでいた。
おそらく反論する言葉を探しているのだろう。恵の口は一度開かれたがすぐに閉じて、やがて諦めるように重たいため息を吐き出すと、ゆるゆると頭を振って呆れた言葉を吐き出した。
「……広野くん。わざわざ死体が見たいだなんて、君、相当変わってるって言われない?」
「ええ、まあ。自分でもその自覚はありますよ」
何せ、完璧を目指して作られた中途半端な人間だ。〝現状に満足するのではなく、現状から次の一手を考えろ〟という幸仁の父親の教えは、今でも深く幸仁の中に根付いている。
死体を調べることで何か一つでも有用な情報が得られるのならば、幸仁は死者を冒涜する行為であろうが聖者に唾を吐きかける行為だろうが、迷わず次の一手となる手を尽くすつもりでいた。
「お願いします」
と幸仁は再度言った。
その言葉に、恵がため息を吐き出しながら頷きを返す。
「……分かった。こっちだよ」
言って、恵は扉の先のことが分かっているからか、少しだけ躊躇する様子を見せるとゆっくりと扉を押し開いた。
扉の先はこれまでと同じく、赤い絨毯が敷き詰められた館の通路だった。
天井からは等間隔にシャンデリアがぶら下がり、オレンジ色の蛍光でぼんやりと真っ白な壁が続く通路を照らしている。
一見すれば、幸仁が男に追われ走り回ったあの迷路のような通路と同じに見える。違いがあるとすれば、両脇に連なるいくつもの部屋に続く扉がないという点と、階下に広がる迷路の通路のとは違って、交差路も幾重にも折曲がる通路も見当たらないという点だろうか。
幸仁は通路の様子をよく観察すると、ようやくその先の足元を確かめるように、慎重に扉の先へと足を踏み出した。
「……この通路は、迷路にはなっていないのか」
階下に広がる迷宮のような場所と目の前に続く一本道のような通路を見比べて幸仁は独り言のように呟いた。
とはいえ、この先に続くこの通路が階下のような迷路になっていることは否めない。
幸仁は今度こそと思い直して、先導する恵の後ろを追いかけながらもすぐに頭の中でマッピングをし始めた。
それから、数分ほど歩くと幸仁は鼻腔に漂ってくるその匂いにようやく気が付いた。
「…………金物臭い」
漂うその匂いは、足を進めるごとに大きくなっていく。
幸仁はその匂いを嗅ぎながら、その昔に父親に殴られ大量に鼻血を流した時のことを思い出していた。
(あの時と、同じだ。鼻の奥がツンとするような、錆び付いた鉄の棒を鼻の奥に突っ込まれるような、独特の匂いだ)
あの時は自分の鼻血の匂いだと分かってはいたが、今のこの匂いが鼻血なわけがない。
幸仁は、一歩踏みしめるごとに強くなっていくその匂いに、固くなった唾を飲み込んで乾燥した喉を潤した。
「…………そろそろだよ」
立ち込める匂いに、恵も気分が悪いのだろう。
そう言って幸仁を振り返るその顔は、どこか緊張しながらも不快感を表すように眉間に皺を寄せていた。
やがて、幸仁たちはその現場に到着した。
「――――――えっ」
と、真っ先に声を上げたのは恵だった。
「そんな、どうして!?」
と恵は言葉を続けて、動揺したようにその場に立ち尽くす。
恵に案内された現場は凄惨なものだった。通路の白い壁は飛び散った血で真っ赤に染まり、床に敷かれた絨毯は血を吸い込んでどす黒く色を変えている。その絨毯の血だまりの大きさは数メートルにも及び、真っ赤に染まった壁と相まってここで襲われ血を流した参加者はあっという間に失血死したのだろうというのが誰の目から見ても明らか――――なはずだった。
「さっきまで、居たのにッ! ここに人が倒れていたのに!! なのに、どうして誰もいないのよ!!」
恵が、その場所を見つめながら声を荒げる。
壁や床に流れる血を見ても、確実に襲われた参加者は死んでいるものと思われた。
しかし、その死体が消えた。それも、十分にも満たない間に。
恵は困惑の表情を浮かべたまま死体の消えた血だまりを見つめて、幸仁は難しい顔でその場所を見つめた。
「恵さん、本当にここに居たんですよね?」
と、幸仁が確認の言葉を吐き出す。
その言葉に、恵はまた声を上げた。
「嘘じゃない!! 本当に、ここに居たんだから! 首が半分だけ裂けた、大量に血を流した死体が!!」
恵のその言葉が本当のことだとしたら、首を切られて生きている人間はまずいない。
だとすれば、なぜここに死体がないのだろうか。
「……ん?」
周囲に目を向けた幸仁はふと気が付く。
真っ赤な絨毯に残された、奥へと続く血の跡に。それが、誰の血なのかは考えなくてもすぐに分かることだった。
「…………どうやら、恵さんが見た参加者は生きていたみたいですね。奥に向けて、血の跡が続いてる」
「生きてるって、そんな、ありえない!! あの傷で、生きていられるはずが――――」
「ええ、俺も同意見です。その話が本当だとしたら、まず生きていられない。仮に見間違いだったとしても、この場所に流れた血の跡を見る限り人が生きていられるはずがない。……だとすれば、結論は一つ。ここで襲われたプレイヤーの能力が、そんな状況でも生き残れるほど強力だったってことです」
「能力……? こんな状況で生きていられる能力って、まさか……。身体の傷を治すことが出来る能力ってこと?」
「ええ、まあ。詳細は分かりませんが、どんな傷でも生き永らえる程度には回復出来る能力でしょうね。じゃないと、この場に流れた血の量で動けることに説明が付かない」
言って、幸仁は奥に続く血の跡へと視線を向けてその目を細めた。
その様子を見ていた恵が、幸仁に向けて口を開く。
「追いかけるの?」
「…………いえ、やめておきましょう。これ以上は藪蛇になりかねません。襲われた人はもう他の参加者を簡単には信用出来ないでしょうし、俺たちが近づいたところで逆に襲われるかもしれない」
「私たちを? どうして?」
「このままだと自分が殺されるかもしれない。誰も信用が出来ない。そんな状況の中で、このまま近づかれ殺されるぐらいなら先に襲ってやろうって考えていてもおかしくはないからですよ。襲われたら、俺たちも反撃せざるを得ないだろうし…………。とにかく、この先に進んで無暗に殺し合いに発展するぐらいなら別の扉に行ったほうが良いですね。先に北側の扉に進みましょうか」
「……そうね、そうしましょう」
恵も、幸仁の言葉に異論がないのかすぐに頷いた。




