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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
愚者の旅立ち編
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獲物と猛獣

  

 ──その時、だった。


 塔の外で展開されている対悪魔用結界、「断悪封じし(ヴィスコンフィナー・)聖なる透壁(サクレ・ムーロ)」に歪みを感じられた。


 それはまるで、毛糸によって紡がれていたものがゆっくりと解けていくように、徐々に崩れていく。


 ……結界が、解かれる……!


 当たり前だ。これ程の長時間、体力的にも精神的にも大きな負担がかかる魔法を維持し続ける方が難しいに決まっている。


 結界を展開してくれていたクロイド達の身に不調が出てもおかしくはない。それなのに彼らは限界を超えてまで、無理に結界を維持し続けてくれた。

 むしろ、お礼を言わなければならない。


 だが、こちらはまだ決着がついてはいなかった。


 イリシオスとセドが塔に張られた結界に意識を移している隙を突くように、ハオスは自身の首を絞めているセドの左腕へと噛み付いた。


「っ!?」


 悪魔と契約したと言っても、さすがにセドにもまだ()()はあったようで、腕に噛み付かれた彼は表情を歪めた。

 その際に腕の拘束が緩んでしまったのだろう。


 ハオスは同時に右足でイリシオスの身体に蹴りを入れ、腹に突き刺していた腕を思いっきりに引き抜いた。


 ……しまった……っ!!


 魔法が使えない今、イリシオスはただの子どもにしか過ぎない。

 しかも、つい先ほどまで腹を抉られていたため、新たな衝撃に対処できる(すべ)を持っていなかった。


 痛みと衝撃に耐えられなかったイリシオスは、ハオスに蹴られたことで体勢を後ろへと崩していく。


 腕を引き抜いたハオスはそのまま、肘でセドの腹を強く打った。

 聞こえたのは、唸るような低い声。


 こういう時、普段から体術を習っていない魔法使いならば、咄嗟に対応できないだろう。


 魔物討伐課の団員であれば、鍛えているので多少は耐えられたかもしれないが、セドと自分はどちらかと言えば筋肉をあまり使わない戦闘を得意としているため、ある意味、急所でもあった。


 ハオスは自身の心臓に刺し立てられていた短剣の刃を掴むとすぐさま引き抜き、貫通させた短剣をその場へと投げ捨てる。

 これで、ハオスの身は完全に自由になってしまった。


「……ふむ。中々、生き意地が汚いな、ハオスよ。その根性だけは見直してやろう」


 殺伐とした中、リベルからのん気な声が発せられた。その声色にはどこか余裕が含まれている。

 だが、見ているだけでイリシオス達の代わりに手を出そうとはしなかった。


「っ、はぁっ……はっ……。……ふぅぅ……、ふっ、う……っ……ぐ……」


 イリシオスは痛みを訴えてくる腹を片手で押さえながら、何とか顔を上げる。そこには血みどろのまま、荒い息を肩でしているハオスの姿があった。

 先程まであった余裕など、すでになくなっているようだ。


 ただ、左右の色が違う瞳だけが爛々と光っており、苦痛と憎悪が滲んでいた。


 彼はにやりと笑う。

 まるで──そう、まるで自身の勝利を確信しているような、酔いしれた笑みだった。


「はっ……ははっ……」


 ハオスは一本になった腕で、自身の胸元を搔きむしるように掴んだ。


「……ああ、そうだ。これじゃあ、()()は、確かに使えない」


 彼は何故か、胸元の服を引き千切るように破った。

 その際に、ぷつんと何かが切れる音が響く。


 血濡れの手に掴まれていたのは、ハオスには似合わないくらいに澄んだ青色の石だった。

 何をする気なのかと考えるよりも早く、イリシオスは青い石の正体に気付く。


 ……あれは……! あの石は、まさか……!


 しかし、ハオスを止めようにも身体は動かない。セドもハオスに強く打たれたのが、みぞおちだったのか今も動けないでいる。


「……いやぁ、使うことはねぇと思っていたが……さすが、俺の『ご主人様』だぜ……。念のための準備が良すぎる」


 心臓を貫かれたというのに、ハオスはどこか不敵な笑みを浮かべる。

 もはや、気力だけで立っている状態のようにしか見えないのに、彼は嫌そうな顔をしながらも、青色の石を掲げた。


「魔力を注ぐことによって発動する魔法は使えなくても、『魔力』が最初から籠められ、引き金一つで発動する『魔具』なら、この古代魔法は通じない──そうだろ、イリシオス」


「っ……」


 ハオスの言う通り、この古代魔法「万物への祈りは(トゥーニヴェル・)無となる(オラリヤン)」には、少なからず欠点がある。


 それは最初から、指定された魔法式が刻まれている上に魔力が籠められ、引き金一つで誰もが使用できる状態の魔具による術式の発動は止められない、ということだ。

 故に、ハオスが持っている魔具が何の魔法を発動させようとしているのか察していた。


 止めなければ、逃げてしまう。それなのに、この場で唯一動けるはずのリベルは黙ってハオスを見ているだけだ。

 その表情を見たイリシオスは、思わずぞくりと背筋に冷たいものが流れた。


 まるで弱った獲物を甚振ろうとする猛獣の姿に見えたからだ。

 わざとこの場から逃がすことで希望を与え、後々、絶望のどん底へと落とし、じっくりとなぶるために──。


 ハオスはそんなリベルの様子に気付かないまま、青い石を床に向けて思いっきりに叩きつける。


 瞬間、壊れ弾ける音がその場に響き、粉々になった破片が青白い光を発し始めた。同時にハオスの身体も淡く光っている。


「やはり、転移の術式が刻まれていたか」


 イリシオスの代わりにリベルがぼそりと呟く。正解だと言わんばかりにハオスは口元をにやりと歪めた。


「もう、ここに用はない。俺は帰らせてもらうぜ」


「……」


 ハオスの腕にはべったりとイリシオスの血が付着している。彼の役目はイリシオスの血を一滴でも持ち帰ることだ。


 たとえ内心はイリシオスやセドを殺したい感情に染まっているのだとしても、引き際くらいは見極められる冷静さを少しは持っていたのだろう。


 あの血をエレディテル・ローレンスへと渡してしまえば、それは本当の意味でこちら側の敗北を意味する。


「じゃあな、千年の魔女。せいぜい、自分で選んだ選択が誤りだったことを後悔し続けるんだな」


 心臓を貫かれた身である故に、いつものような高笑いはできないのだろう。

 それでも、転移の魔法によって消える直前まで、ハオスがイリシオスへと向ける視線には侮蔑と嘲り、そして怒りが滲んでいた。


 ハオスが完全に転移したことで、床上に散らばっていた青い石の欠片達は役割を果たしたと言わんばかりに光を失っていく。


 静かになった塔の中、残されたのはイリシオスとセド、そしてリベルだけだ。


「……まぁ、あの状態で転移すれば、無事では済まないだろうな。転移というものは基本的に生身の身体が耐えられるような魔法ではないし」


 リベルは冷静に言葉を続け、そしてハオスが消え去った場所まで歩くと、その場に転がっている青い石の欠片を手に取った。


「ハオスの奴も随分と大きな賭けをしたものだ。……今まで人間の身体を借りていたとは言え、先程セドが心臓を貫いたことで、あいつの身体も崩壊が近いというのに。すぐに新しい身体を用意しなければ、もたないだろうな」


「……」


「どうやら、奴のご主人様は悪魔に無理を強いる程、厳しい人柄らしい」


 くくっ、と低い声で笑いつつリベルは振り返る。


「さて、ハオスを()()()()()()しまったことだし、さっそく追わなければ」


「……わざと見逃した、の間違いだろう。お前も中々、良い性格をしているな。……リベル、すぐに転移の準備を」


「はいはい、全く契約主とは言え、悪魔使いが荒いねぇ。……それじゃあ、『万物への祈りは(トゥーニヴェル・)無となる(オラリヤン)』の魔法が届いていない範囲でも探してくるよ」


 リベルは肩を竦めながら返事をするが、頼られることに満更でもなさそうな表情を浮かべている。


 「万物への祈りは(トゥーニヴェル・)無となる(オラリヤン)」は、閉じ込める結界系の魔法でも、対象者だけに効く魔法でもない。

 これはあくまでも、範囲魔法だ。それゆえに、魔法が発動している範囲の外へと移動すれば、この魔法の効力は切れてしまう。


 こういった点もあるため、改善点が多い魔法だったが、今後はもう──誰も使うことはないだろう。

 この魔法は誰にも継承させずに、自分が墓場まで持っていくつもりだからだ。


「ああ、ちょうどいい。ハオスが腕を忘れていっている。この腕の持ち主を辿る術式を魔法陣に組み込めば、さらに追いかけるのが楽になるだろう」


 先程、ハオスが戦闘の際にわざとダスクに千切らせた腕をリベルはひょいっと拾い上げると、すたすたと「万物への祈りは(トゥーニヴェル・)無となる(オラリヤン)」が発動している範囲の外側に向かって歩き出す。


 そして、言葉の通り、手慣れた様子で「転移」の準備をし始めた。

  

 

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