スティアート家
「そういえば、イト達がまだ来ていないな? どこかで迷子にでもなったのか?」
ティグスは会議室の入り口の方へと視線を向ける。すると、ちょうど室内に入ってくるイトとリアンの二人の姿が見えた。
リアンはティグスの姿を見つけるやいなや、盛大に安堵の表情を浮かべて近づいて来る。
「無事に着いて良かったぁ……。もう、この塔の中、広すぎてどこを歩けばいいのか分からなくって、迷子になるところでしたよ」
「……迷子になりそうだったリアンを連れ戻して来ました」
好奇心旺盛なリアンが初めて入る塔の中を見学していたら、いつの間にか迷子になっており、そのリアンをイトが連れ戻して、ここまで引っ張って来たという状況だったのだろう。
まだ会議は始まっていないというのに、イトの表情はすでにぐったりとしていた。
「がははっ! だから、二人とも手を繋いでおいてやろうかと、最初に誘ったじゃねぇか」
「くっ……。そうやって、グラディウス課長は俺のことをすぐに子ども扱いするっ……!」
「あ、課長。次回、このような状況がある場合にはぜひ、リアンの手を繋いで歩いてあげてください。私は一人でも無事に辿り着けますので」
さらりとイトはティグスの申し出を断っている。
すると、二人はブレアの後ろに立っているアイリス達に気付いたのか、こちらに視線を向けた途端に、ふっと表情を和らげたのである。
「先程ぶりですね、お二人とも」
「あ、もしかして、こちらの方がブレア課長? 初めまして! アイリスとクロイドの世話になりました、リアン・モルゲンです! こっちは相棒のイトです!」
リアンは臆することなく、にこにことした表情のまま、ブレアへと挨拶をする。その場の空気に緊張感が含まれていたが、それでもリアンの邪気の無い笑顔の挨拶には毒気が抜かれてしまいそうだ。
「こちらこそ、うちのアイリスとクロイドが世話になったようで。……君達も無事にオスクリダ島から帰って来てくれて、何よりだ」
ブレアはリアンから元気のよい挨拶を受けてから、穏やかな表情を浮かべつつ、その言葉を静かに呟いた。
イトとリアンもブレアの言葉に含まれている深い意味を受け取ったようで、すぐにはっとした表情で頷き返していた。
その時、かつり、と鋭い音がその場に響き渡ったことで、全ての課長が揃った会議室内に静けさが生まれて行く。
初めて感じる妙な心地の緊張感に飲み込まれないように、アイリスは両足に力を入れながら立っていた。
かつり、かつりと響く音の正体は長い杖が繰り返す一定した音だった。
その杖は黒色で、一番上には碧い玉が乗っている。黒杖と呼べるその杖を持っている者は、この教団内には三人しか許されていない。
……三碧の黒杖。
会議室の入り口から順番に入ってきた人物は、嘆きの夜明け団の中で総帥の次に決定権と権限を持っている者達──黒杖司だ。
白い髪を一つにまとめ上げて、先日の武闘大会で見た際と変わらずに団服に身を包んでいるアレクシア・ケイン・ハワード。
ハワード家の当主であり、魔的審査課のアドルファス・ハワードの実母だ。
その後ろからはもう一人、黒杖を右手に持っている老齢の男性がゆっくりとした歩みで室内に入ってくる。
恐らく、彼はハロルド・カデナ・エルベートだろう。
若い頃から魔法研究に勤しんでおり、そして自分専用の研究室を教団の地下に持っているらしい。彼はそこに籠って、ひたすら新しい魔法を作るために試行錯誤しているのだという。
そのため、アイリスは本人の姿を見るのは初めてだった。
……思っていたよりも、ハルージャに似ていないかも。
今、視線に映しているハロルド・カデナ・エルベートは、アイリスによく嫌味を言ってくるハルージャ・エルベートの実の祖父である。
ハロルドがどのような性格をしているかは知らないが、ハルージャのように自分の顔を見て、魔力無しという理由で嫌味を言って来たりしないだろうかとアイリスは内心、気構えていた。
しかし、もう一人の黒杖司の姿は現れなかった。
そのことに安堵しているのか、それとも快く思っていないのか、入り口の方へと視線を向けていたブレアの瞳が少しだけ鋭く光ったように見えた。
……ブレアさんも複雑だろうな。
何せ黒杖司の一人である、ベルド・スティアートはブレアの実の祖父である。そのことを知らない人間はいないだろう。
そして、彼は大事な役職に就いているにも関わらず、役職らしいことをしていない黒杖司として有名だった。
その理由としてベルドは生来、自由を好む性格をしており、このブレアよりもかなり自由人なのだ。
厳格の代名詞とまで言われるスティアート家では、ブレアと同様にベルドは異質な存在だったらしい。
当主時代はそれなりに大人しくしていたようだが、若い頃は自身の得意武器を手に取って、魔物や強者を相手にかなり好き勝手に暴れていたと聞いている。
そのため、いまだに現役としてイグノラント中を自由に旅しては、強そうな魔物を狩りまくっているのだという。
もちろん、ちゃんとどのような魔物を討伐したのか、彼直筆の絵と文章を添えた報告書を月一くらいで教団の魔物討伐課宛てに送ってくるらしく、彼が引退するのはまだ先だろうと皆が噂しているようだ。
そんなベルドだが、今から数年程前に当主の人間が受け継ぐ名前「刃」の名を無理矢理にブレアへと押しつけたことで、その関係に少しだけ亀裂が入ったのだという。
スティアート家では、当主は年功序列制ではなく、現在の当主が次の当主を指名することで決まるらしい。
だが、ベルドには数人の息子達が居たにも関わらず、その長男の末娘であったブレアへと当主の座を譲ったのだという。
もちろん、ブレアは当初、そのような面倒くさいものはいらないと返そうとしたらしいが、当主命令で受け取らざるをえなくなったらしい。
そのせいで、ブレアは実の父の他にも血の繋がった兄弟、そして叔父たちから憎むような目で見られていた時期があったと聞いている。
それにも関わらず、ベルドは押し付けるだけ押しつけてから、さっさとどこかへ旅立ってしまったことをブレアは今も根に持っている。
ただでさえ、スティアート家は息苦しい場所だと愚痴を零していたというのに、ブレアが置かれた状況はあまり良くないものとなってしまったのだ。
ブレアのことを疎む者が多かったが、仕方がないと腹を括った彼女はそんな者達に、「自分に勝った者に次の当主の座を渡す。負けたら、自分が当主であることを認めろ」という条件を出して、決闘を申し込んでは実の親でさえ、しばらく立ち上がれなくなる程に、叩き伏したのだという。
スティアート家では実力を持つ者が絶対とされている。つまり、当主という椅子にふさわしい実力を持っているのは自分だとブレアは力づくで、親兄弟や親戚達に知らしめて見せたのだ。
何ともブレアらしいやり方だが、そのこともあり、今ではブレアが当主であることに文句を言う者はいないのだという。
しかし、ブレアは現在、魔具調査課の課長で忙しくしているため、スティアート家に関する細かいことは自分が信用している従兄弟へと当主代理を頼んで、仕事を分担しているらしい。
だが、ここぞという時にスティアート家の当主としての権限を使っているので、やはりブレアは強かなようだ。
そのような事情があったため、ブレアは前当主であるベルドのことをほんの少しだけ恨んでいるような節があり、顔を合わせることがあればすぐに剣で斬りかかっているのだという。
だが、あのブレアでさえベルドには敵わないらしいので、彼の実力は相当のものなのだろうと察せられた。
それでもベルドのことが嫌いというわけではなく、ブレアの中では越えたい人物の一人なのだろうとアイリスは勝手に思っていた。




