課長達
「だから、いつか僕を利用して下さいね。待っていますから」
その一言を告げた瞬間には、ふっと含みがある表情へと戻っていた。
信じられるのか、信じるべきではないのか、どちらなのかは分からないウェルクエントの表情にブレアは数度目となる溜息を吐いているようだ。
「……とりあえず、お前が提示してきた取引についてだが、ライカと話し合ってから決めてもいいだろうか」
「ええ、構いませんよ。……ですが、僕はそちらの味方として、これから行われる会議の最中には手助けしたいと思います」
「へえ……? 今日は珍しく太っ腹だな」
「ふふ……。だって、このあと絶対に取引が成立すると分かっているのに、出し惜しみするわけないじゃないですか」
ウェルクエントはライカがこの取引を引き受けると確信しているらしい。
自信があるのか、それとも別の要素を以て、取引が成功することを疑っていないのか。どちらにしても、彼はきっと食えない相手であることは確かだ。
「まもなく他の課長の方々が会議室に入って来られるでしょうし、話はここまでにしておきましょうか。ライカ・スウェンとの話が決まり次第、連絡を寄越して下さいね、ブレア課長」
「分かった」
ブレアが返事を返した瞬間、会議室の扉がゆっくりと開け放たれて、ぞろぞろと人影が中へと入ってくる。
「──まぁ、ブレアが私よりも先に会議室に入って居るなんて、珍しいわねぇ」
そう言って、ブレアの隣に腰かけてきたのは修道課の課長であり、医師でもあるミシェリー・ヤリスだ。
三十代半ばくらいの女性で、彼女の腕にかかれば深い傷痕も魔法であっという間に治る程の実力を持っている魔法使いでもある。
また、柔和で母親のような面差しが患者の心を癒してくれることから「医務室の聖母」と呼ばれている。
ミレット曰く、アイリスの知り合いであるクラリス・ナハスの直属の上司で、さらに魔法の師匠だと聞いている。
「今日は連れがいるからな」
そう言って、ブレアはアイリス達へと視線を移す。ミシェリーはアイリス達を瞳に映すと、ふわりと空気を和らげるような笑顔を浮かべてくれた。
「こんにちは。……そういえば、届いた連絡に証人が四人、出席すると聞いていたけれど、その中の二人がアイリス達だったのね」
「こんにちは、ヤリス課長」
アイリスと同時にクロイドも頭をミシェリーへと下げる。この人はクラリス同様に、誰に対しても平等に接してくれるので、アイリスは内心、安堵していた。
「ふふっ。緊張しているのかしら。……ブレア、この子達の前ではちゃんと課長らしくしているのね」
ミシェリーはブレアの方へと視線を戻してから、口元に手を当てつつ、くすくすと楽しげに笑い始める。
「私はいつだって、ちゃんとした課長だっ。……ただ、面倒な相手に対して、それなりの対応を取っているだけで……」
「あらあら……」
ブレアとミシェリーが話している間にも、会議室の中には次々と見覚えがある課長達が入ってきては、好きな席へと腰かけていた。
普段の会議ならば、出席することは許されない一端の団員であるアイリス達を横目で見ては、何かしらの感情をそれぞれ含めた表情を浮かべてから席に着いていた。
すると、そこへ魔物討伐課の課長であるティグス・グラディウスがミシェリーとは反対側のブレアの隣の席へと座った。
「よぉ、ブレア」
「……何で、あなた達は私を挟んで座るんだ」
陽気な声で挨拶をしてくるティグスに対して、ブレアは顰めた表情で返事を返す。
「そりゃあ、ジェイドの奴にお前のことを宜しく頼むって言われたからなぁ。後輩の面倒を見るのは先輩の役目だろう?」
「……っ。お互いに課長となっているというのに、まだ、そんなことを言っているんですか」
ブレアはどこか引いたような表情で、身体を仰け反らせている。
そういえば、ブレアが教団に入団したての頃は、今は課長であるティグスと何度か一緒に任務を遂行したことがあると言っていた。その時の感覚がお互いにまだ、抜け切れていないのだろう。
「俺にとっては、お前はまだまだ後輩だよ。……しっかりとした部下や弟子が出来たとしてもな」
そう言って、ティグスは次にアイリス達の方へと視線を向けてきた。
「アイリス、久しぶりだな」
「お久しぶりです、ティグスさん。……いえ、グラディウス課長」
「がははっ……。慣れている呼び方で構わんよ。だが、前よりも顔付きが穏やかになったな。そっちのクロイドって奴のおかげか?」
「なっ……」
恐らく、ブレア経由でクロイドと相棒であることを知っているのだろうが、唐突な探りに対してアイリスは対応出来ないまま固まってしまう。
すると、固まっているアイリスを助けるためなのか、クロイドが一歩、前へと出た。
「お会いするのは初めてですね、グラディウス課長。……マーレさんから色々とあなたの話は聞いています」
「ああ、そういえばクロイドはマーレが預かっていたな。お前と顔を合わせるのは初めてだが、マーレからクロイドのことはよく聞いていたよ。……良い奴だったな、マーレは」
静かにそう呟くティグスに対して、クロイドは穏やかな表情で頷き返していた。
マーレ・トレランシアは遠征部隊に所属しており、剣術の腕前は魔物討伐課でも上位に入る程だったと聞いている。
だが、上司と部下という関係からではなく、ティグスは個人的な感情からマーレのことを偲んでいるのだろう。
普段のティグスは豪快で大らかな性格だが、本当は仲間思いで懐が広く、情に厚い人だと知っている。
「まあ、これからもお互いに顔を合わせることがあるかもしれないから、よろしくな」
「はい。どうぞ、宜しくお願い致します」
クロイドとティグスは翳りのない表情のままで、握手を交わす。
「いやぁ、アイリスも元気そうで良かったぜ。魔的審査課に移ることになった時は心配していたが、ブレアがいる魔具調査課に移ると聞いた時は妙に安心したものだ」
「……一年前は、色々とご迷惑をおかけしました」
「ははっ。謝ることはないさ。……まぁ、俺個人の本音を言えば、魔物討伐課に予算が有り余る程、貰えるならばお前を引き留めたかったんだけれどなぁ」
一年前に自分が魔物討伐課から魔的審査課に異動になった際には、ティグスだけでなくジェイドも申し訳なさそうな表情を自分へと向けていた。
しかし、魔物討伐課に所属していたことで任務の最中に破壊行動を繰り返し、破壊したものを修繕するために予算を使っていたのでこの課の会計係に負担をかけ、予算を圧迫していたことは確かである。
それでもティグスは決して、自分に対して嫌味を言うことはなかった。
他の魔物討伐課の団員達はアイリスを責める言葉を吐いたり、魔力無しであることを嫌悪している者もいたが、彼は誰に対しても平等に接していた。
恐らく、本当の意味での「実力主義」を理解していたからだろう。だからこそ、ティグスはアイリスが魔力無しであっても、特別視することなく、剣術の腕だけを見てくれていたのだ。
以前のティグスは「破壊行動さえなければ、剣術の腕は重宝したい」と口癖のように言っていたが、アイリスは内心、財政を圧迫させるようなことをして申し訳なかったと思っていた。




