遭遇
ハルージャと行動を共にして、まだ三十分も経っていないはずだが、アイリスには長く感じられていた。
一番前をアイリスとクロイド。そして後ろをミレットとハルージャが並んで歩いている。正直、後ろから強い視線を感じるのは気のせいではないはずだ。
ハルージャが何か自分の悪いところ探そうをしているのだろう、今は直接言わないだけで。
どうしてそれほどまでにハルージャから嫌われているのかは分からないが、はっきり言っていい気分ではないのは確かだ。
「もう、どうしてハルージャが付いて来ているって教えてくれなかったのよ」
アイリスは後ろを歩いているハルージャに聞こえないよう小声で抑えつつ、クロイドに話しかける。
「校門のところで知っている匂いがすると気がついた。その場で教えても後でこっそり付いて来るだろう、彼女の場合は」
「まぁ、それはそうだけど……。って、もしかして本部から付いて来ていたのかしら」
「多分な」
そんな事をする暇があるなら、別の任務の一つでも片付けてくればいいのにとアイリスは内心思ったが口には出さなかった。
すると、右手に垂らしていた霊探知結晶が強く前後に揺れ始める。
どうやら探している対象が近いようだと、アイリスはクロイドとミレットに目配せした。
霊探知結晶に導かれるまま廊下を進んでいくと、校舎の最上階の更に上に続く階段前へと辿りつく。
「……屋上?」
屋上に続く階段前で立ち止まって、確認し直してみると結晶の揺れが更に強くなっていた。間違いないようだ。
そのまま歩を進めて、階段を上りきったが新たな壁がそこに立ちはだかる。
「あー……。そういえば、屋上への扉は施錠されっぱなしだったわね」
ミレットがしまったと言うように唇を噛む。試しに扉の取っ手に触れて、捻ってみたがやはり鍵がかかっているようだ。
「アイリスさん。あなた、力技が得意じゃありませんの。いつものように壊して差し上げたらどうです?」
ミレットの後ろからハルージャがひょいっと顔を出しつつ、すまし顔で呟いて来る。
明らかに嫌味だと思うが、彼女にとっては嫌味の内に入らないのだろうか。
「……学校のものを壊したら器物破損で訴えられるわよ」
「あら、アイリスってばそんな言葉、知っていたのね」
からかうようなミレットの言葉にアイリスは舌を出す。そこへ、すっと割って入るようにクロイドが屋上の扉の前へと立った。
「……扉よ、解き放て」
クロイドは右手を扉にかざしつつ、昇降口の扉を開錠した時と同じ呪文を唱えては、いとも簡単に屋上の扉の鍵を開けてしまう。
「ありがとう、クロイド」
アイリスが彼に対してお礼を告げると暗闇の中でも分かるほど、小さく笑みを浮かべて頷くのが見えた。
アイリスは一つ深呼吸してから取っ手に手をかけて、静かに扉を開いていく。
開け放たれた視界に映った夜空は手が届きそうな程に近く、そして終わりが見えないくらいに広かった。
「初めて学園の屋上に来たけれど、案外いい場所なのね」
瞬く星達に足元以外の全てを囲まれているようだ。
遠くに見える点々とした街の灯りさえも、幻想的に見えて一枚の風景画のようにさえ見える。
「さて、幽霊はどこですの?」
ハルージャは獲物を狩るような爛々とした瞳できょろきょろと周りを見渡し始める。余程、気合が入っているらしい。
アイリスはハルージャに気付かれないように溜息を吐きながら、手元にある霊探知結晶を見てみた。
だが、結晶は淡い光を灯しているだけで、先程のように大きく動いてはいなかった。
「あら? どうしたのかしら……」
その時、ミレットが突然、短い声を上げた。
「あっ……」
同時にアイリスを含めた三人もミレットが視線を向けた方へを顔を動かす。
給水塔の陰に隠れるように、その幽霊はいた。
ミレットの情報通りの中年の男だ。髪の色は茶色で、痩せ型の男の幽霊は脅えたような表情で、こちらの姿を確認しては目を丸くしていた。
「――ねぇ、そこのあなた!」
アイリスは靴の踵を三回叩いてから、思い切りに床を蹴り上げて、一瞬で給水塔の場所まで上り詰める。
「ひっ……」
幽霊の男は腰を抜かして、震えていた。見た目で判断するべきではないが、恐らく自分はこの幽霊よりも遥かに年下だろう。それにも関わらず、幽霊は年下の自分に対して恐れを抱いているようだ。
「……そんなに脅えないで下さい。取って食おうってわけじゃないので」
アイリスは男性の前へと座り、顔を見る。幽霊のはずだが、その表情は何だか疲れているようにも見える。
そこへ、アイリスのように跳ぶ事が出来ない三人が給水塔に備え付けられている梯子を上ってやって来た。
「……噂どおりの中年の男性ね」
「さっそく、捕まえましょう! もちろん、私の手柄ですわよ!」
ハルージャが不気味な笑みを浮かべながら滲みよってくるのをアイリスは手を出して、それを止めた。
「な、何ですのっ? 約束は守らせて頂きますわよっ!」
「待って。その前に彼に話を聞かないと」
アイリスは脅えきって動けない男に優しく微笑みかける。
「初めまして。私はアイリス・ローレンス。後ろにいるのが、クロイド、ミレット、ハルージャです。あなたの名前を聞いてもいいですか?」
それまで怯え切った表情で震えていた男性の幽霊は、穏やかなアイリスの口調に少し安心したのか、小さく頷いた。
「か、カイン・ギルバルトだ。君達は一体……。……奴らと同じで、私を捕まえにきたのか?」
カインと名乗った幽霊は、どうやって幽霊を捕まえようかと両手を空中で彷徨わせているハルージャの方をちらちらと見ながら、アイリスに訊ねて来る。
「私達は『嘆きの夜明け団』の団員です。確かにあなたを見つけ次第、束縛しろと命令は受けていますが、何故そのようなことになっているのかは状況を把握し切れておりません。宜しければ、あなたに何が起きているのか話してくれませんか?」
出来るだけ丁寧に相手を怖がらせないようにと注意しながら、アイリスは質問する。
カインは一度口を閉じたが、再び開きはじめた。
「私は……あの世に行く途中だったのだ」
あの世、つまりは死んだ者が行く世界だ。
話を聞くところによると彼が亡くなったのは最近で、しかも老衰だという。
見た目が中年男性に見えるのは、彼が一番思い入れがある時期の姿を映しているのかもしれない。
「だが、行けなかった。ふと、目を開けるとそこは真っ暗な場所だった。自分の他にも、同じような霊達が居て、どうしてここに居るのだろうと互いに顔を見合わせていた」
「その真っ暗な場所って……」
「恐らく、この学園内のどこかだ」
その言葉にはっとしたようにミレットが持っていた手帳のページを素早く開いていく。
「……そんな噂を以前、聞いたことがあるわ。学園内に誰も来ない秘密の場所に儀式部屋があるって……」
「七不思議みたいなものか?」
「そうなの。……一体どこの場所にあるのかしら」
情報通のミレットでさえも、カインが言っている場所の特定は出来ていないようだ。
そのような噂は聞いたことがないがこの学園内にそのような場所があるとは何だか不気味である。
「だが、私はその場所から逃げたんだ……」
「どうして逃げたのですか? ……いえ、何から逃げているのですか?」
「それは……自分でも分からない。ただ、同じ空間に黒い人影がいたのは分かったが、顔までは見えなかった」
「えぇ? それじゃあ、自分を追いかけている奴が誰なのか分からないのに、ずっとこの学園内を逃げているんですか?」
幽霊だがカインには慣れたのか、ミレットが呆れたように訊ねるとカインはその通りだと言わんばかりに首を竦めた。
「……辺りが暗闇の中、見えた人影に対して最初に感じたのは恐怖だった。何事かと思って様子を見ていたのだが、人影が何か言葉を話しはじめたんだ。すると、周りにいた他の霊達の様子が突然おかしくなって……」
「ちょっと、お待ちなさい。それって悪霊化したってことでは?」
黙って聞いていたハルージャも眉に皺を寄せて口を挟めてくる。
「悪霊、か……。恐らくそうなのだろう。彼らはわけの分からない言葉を叫びだし、自身の意識さえも手放しているようだった」
その光景は相当恐ろしかったのだろう。カインは霊体のはずだが、額に汗が浮かんでいるように見えた。
「私はただ、呆然とした。何が起きているのかさえも分からなかった。先ほどまで、言葉を交わしていた者が狂ったように暴れだした。だが、驚くのはそれだけではなかったんだ」
カインは一度、深く息を吸ってから、静かに言葉を続ける。
「人影が動いたんだ。何かを頭上に掲げて、呪文のようなものを唱えていた。そうしたら……、霊達は一斉にその中へと吸い込まれていったんだ。まるで、風が塵を吹き飛ばすような速さで」
アイリスは後ろにいたクロイドを振り向く。彼も自分と同じように苦い顔をしていた。
今、カインの話に出てきた「何か」は「魔具」ではないのだろうかと思ったに違いない。
「それを見た私はあまりにも恐ろしくて、すぐにそこから逃げたよ……。だが、それからだった。何者かが自分を追ってきている気配がしたのだ。こんな恐ろしい場所にはいられないと思って、学園の外に出ようとしたが何か細工がしてあるのか、出られることも出来ず、ずっと同じ場所でぐるぐると逃げ回るしかなかったのだ」
「細工……。もしかして、霊が逃げられないように結界が張ってあるのかしら」
「その可能性はありましてよ。除霊する際に、結界を用いる者もいますもの」
専門にしているハルージャが強く頷いた。
やはり、この件は何かがおかしい。
「ねぇ、ハルージャ。あなたはこの霊を捕まえて来いと言われた他に、何か命じられたことってある?」
「ないですわ」
きっぱりとそう告げる。仕事に対しては真面目であるのか、彼女の表情が変化することはない。
どうやら、嘘ではないようだ。
「だとすると、一体何が目的でこの霊を捕まえようとしているんだ? 特に悪い事をしたって訳じゃないんだろう?」
「悪い事なんて……。死んだのに、無理やり叩き起こされている気分さ」
話を聞く限りではカインが現世で何かをした訳ではない。それよりも気になるのは、話の中に出てきた「人影」だった。
「もし、その人影が祓魔課の人間だったとして、何故その『何か』を使って霊達を吸い込んだのかが分からないわ。ううん、それよりも、普通の霊だったのに突然、一斉に悪霊化することも変よねぇ」
ミレットは腕を組んで考え始めるが、答えが出ないのか小さく唸る。
「除霊の方法としては、そんなものありませんわ。そもそも、他の霊達が悪霊化したのに、その場に居合わせたこの霊に何も起きていないこともおかしいですもの」
情報が少なすぎる。結論が出せるまでの情報がこの場には揃っていない。
アイリスはもう一度、カインを真っ直ぐ見る。
「何でもいいんです。何か、思い出してくれませんか?」
「そう言われても……」
カインは何かを思い出そうと目を閉じる。
「そういえば……。声が、したな」
「声?」
「私の知らない言葉だった。あぁ、私はこの国の生まれではないからね。だから、意味が分からなかったのだが……。だが、紡いでいる言葉は歌のようにも聞こえたよ。言葉は分からずとも、美しい声だった」
「声、ねぇ……」
アイリスはハルージャの方を振り向くが、彼女も横に首を振った。やはり、除霊の方法ではないということだろう。
「この件は一度、ブレアさんに相談した方が良くないか?」
いつの間にか、隣で同じように腰を下ろしていたクロイドがアイリスに耳打ちしてくる。
「……確かに何かがおかしいわ。でも、そうなると……」
アイリスは右後ろに控えているハルージャの方へと目配せすると、クロイドも同じようなことを思っているのか肩を竦めた。
「ねぇ、ハルージャ。……カインさんのことは、まだ祓魔課に報告しないで欲しいんだけれど」
「はぁ? どうしてですの? 約束しましたわよね?」
納得がいかないという顔で、ハルージャは顰め面をする。
「せめて、もう少しだけでいいから、黙っていてほしいの」
「でも、この霊を捕まえるのが今回の合同任務ですわ」
「そう、だけど……」
上手く言い訳が見つからない。
すると、隣にいたクロイドが代わりに答えた。
「……ハルージャも、この霊から聞いた話に何か変だと思うところがあるんじゃないか?」
「それは……」
クロイドから問い詰められるように訊ねられたハルージャは何か言いたげに口籠った。
やはり、彼女もこの件に関しては思う所があるようだ。
「……分かりましたわ。三日だけ黙って差し上げますわ」
「三日ね、分かったわ。ありがとう」
彼女にしては、中々譲歩した方だろう。何だか今日のハルージャはいつもより大人しい気がする。毎日こうだったらいいのだが。
「べ、別に……。私だって、悪霊でもない霊にはそれほど興味はありませんもの。せいぜい、私の手柄のために役に立ってもらうだけですわっ」
顔を背けて、ハルージャは腕を組む。やはり、今日のハルージャはどこか変らしい。
改めて、アイリスはカインの方へと向き直る。
「カインさん。こちらで色々と調べて来ますから。だから、それまで捕まらないようにしていて下さい。……本当は学園に張られた結界ごと壊して外へと出してあげたいのですが、そうすればきっと追っ手に気付かれてしまいますから」
「……私を助けてくれる、と?」
「出来れば私はそうしたいと思っています。でも、そのためにはあなたの協力が不可欠なのです。……協力、頂けますか?」
カインは口を閉じて暫く考え込む。
「いいでしょう。ですが、一つだけ条件が」
「何ですか?」
「この件が無事に解決したら、私をあちらの世界に送って下さい。……他の悪霊となった人達と一緒に」
穏やかに笑みを浮かべるカインも、目の前で悪霊になった者達のことを案じていたのだろう。
「……分かりましたわ」
誰よりも早く、そう答えたのはハルージャだった。
「あなたの願い、叶えて差し上げましょう」
真剣なその眼差しは、仕事人の顔だった。見た事のない真面目過ぎる表情は、普段のハルージャを見ている側からすれば、本当に同一人物なのかと疑いたくなってしまう。
だが、やはり彼女も嘆きの夜明け団の一員なのだ。
「でも、そのためにはたくさん、利用させて頂きますわよ! いいですわね?」
「えぇ、宜しくお願いします」
アイリスはこのやり取りを見ながら、何となく心の奥では安堵していた。ハルージャが味方になってくれるのだ。
クロイドもミレットも魔法は使えるが、除霊は専門ではないのでいざとなれば祓魔課の誰かにカインの事を頼まなければならないだろうと思っていたが、それは出来るだけしたくはなかった。
この件については、祓魔課をあまり信じたくはなかったし、それに何か嫌なものが渦巻いている気がしてならないからだ。
だが、仕事に対しては真面目らしいハルージャが手助けをしてくれるという。
もちろん、どこまで信用していいのかは分からないが、他の祓魔課の人間よりはましかもしれない。
「……私は学園内に潜んでいる暗い部屋について詳しく調べてくるわ」
黙っていたミレットがぼそりと呟く。
「分かったわ。でも、くれぐれも気をつけて」
ミレットはウィンクして大丈夫だと言うように答える。自分もそれなりに危ないことをしてきているが、ミレットだって人の事を言えないくらいに危ない橋を渡ってきているので少々心配でもあった。だが、彼女のことなので、へまはしないだろうと信じている。
「カインさん。また話を聞きに来ますので」
「出来るだけ、捕まらないように隠れていますよ」
苦笑しながらカインは頷く。
霊体とは言え、ずっと逃げ続けているなら心身ともに疲れているはずだ。早く助けてあげたいと思う。
「……それでは、また」
別れの挨拶を告げてアイリスは立ち上がる。
一瞬だけ見えたカインの少し寂しげな表情に、小さな罪悪感が生まれた。
また、彼は知らない人影から、一人でこの学園内を逃げ続けなければならないのだ。
それがどれほど窮屈で、辛いものかは分からない。だからこそ、この件は早く片付けなければならないだろう。
・・・・・・・・・・・
帰り際、長い廊下を歩きながら、クロイドがハルージャに聞こえないように小声で耳打ちしてきた。
「なぁ、さっきの霊を助けることに異存はないが、これって命令違反にならないか?」
確かに任務の内容としては「幽霊を捕まえる」ことだ。カインを助けて、無事にあの世へと送ることは命令されてはいない。
「……人間だろうが幽霊だろうが、困っている人がいるのにその人が嫌がることなんて出来ないわ」
カインは静かに、あの世に行くはずだった。それを何者かが邪魔をした。
誰であれ、人の魂を自分の都合で弄んでいいわけがない。
「……と、私は思うのだけれど。やっぱり、命令に背くのは嫌かしら?」
隣を歩くクロイドを少しだけ上目遣いで覗き見てみる。
だが、彼は小さく笑っただけだった。
「何を今更。自分の思うままに行動するのは、アイリスらしいと思うよ。……まぁ、破壊行動は少し抑えてくれると助かるけどな」
最後に少しだけ皮肉っぽく付け加えて、呆れたようにクロイドは苦笑する。
思うままに行動する。だが、その行動が正しいとは限らない。
自分の目に一度でも映ってしまったら、見過ごして、捨て置く事は出来ないのだ。
それでも、一直線に進み続けることが自分らしいと言ってくれるならば、迷うことなく進めるような気がした。




