炎纏う鳥
「交渉は決裂した。……さぁ、全力でやり合おうか? 実のところ、力が有り余って仕方がないんだ。僕の邪魔をするというならば、もっと楽しませてくれないと」
セプスは一本だけになった右手を大きく広げて、まるで劇の進行役である司会者のように愉快げな笑みを浮かべる。
だが、どちらかと言えば彼の表情は道化師のようにさえ思えた。
人に楽しげな笑みをもたらす道化師ではなく、自分が楽しく笑うために人を落とし込めて嘲笑う──言うなれば、自分自身を主人公としている道化師のようだ。
「……」
アイリスはクロイドに視線を向ける。そして、お互いに納得し合うように頷いてから、再び武器を構えた──その時だ。
「──ッ!」
一度聞いてしまえば、永遠に耳の奥へと残るような金切り声が突如としてその場に響いたのである。
素早く視線を巡らせてみれば、遠くから弾丸のようにこちらへと向かって来ているものがいた。それは炎を身体に纏う大きな鳥だった。
自らを燃やすように炎は絶え間なく燃え続けており、その鳥型の魔物が通った跡は青々としていた木々が一瞬にして、生命を吸い取られたように枯れていく。
まるで生きているものに枯死を与えているようにも見えた。
だが、アイリスには分かっていた。こちらに向けて飛んで来ている鳥型の魔物が一体誰なのかを。
「……リッカ」
「何だと……? あの鳥型の魔物がリッカだというのか?」
隣に立っているクロイドが信じられないと言わんばかりに驚きの声を上げる。
アイリス達が告げたセプスの実験内容の結果を疑っているわけではなく、信じたくはないという気持ちの方が大きいのかもしれない。
「──姉さんっ!」
唯一、セプスの実験によって完全に魔物へと堕ちなかったライカが頭上を飛んでいる鳥がリッカだと気付き、空に向かって声を上げていた。
それでもイトやリアンが動いては危ないからと、今にも駆け出してしまいそうなライカの身体を押さえ込んでいる。イト達の表情も驚きと戸惑いが入り混じったものを浮かべていた。
「おや、何だ……。あれ程、僕のことを嫌っていたというのに、どうやらリッカも完全に人間としての記憶や心を失くしてしまったようだね」
セプスは愚かで可愛らしいものだと言いながら、彼の背後へと羽を休めるように舞い降りた炎を纏う鳥を見て、何故か自慢げに笑っている。
その姿は愛鳥を愛でているようにも見えて、耐えきれなくなったアイリスは一瞬だけ視線を逸らした。
少女の面影はもはや残っていなかった。自らを燃やしながら両翼を羽ばたかせている赤い鳥はアイリス達を威嚇するような声を上げている。
「っ……」
リッカがもう、彼女自身の心を持っていないというならば、今の彼女には自分達のことが敵として見えているはずだ。
魔物へと身と堕とされた島人達も同じように、人間だった頃の記憶や心を失い、魔物として暴走するようになってしまった例があるため、きっとリッカも例外ではないのだろうと思っていた。
まるで、セプスを慕うように赤い鳥は寄り添って見えて、その姿が悲しくて、悔しくてたまらなかった。
校舎の下からはただひたすら、ライカがリッカを呼ぶ声が響く。切ない声はどうしてこれほどまでに虚しく聞こえてしまうのだろうか。
……もう、リッカには何も届かないと言うの……。
アイリスはいつの間にか自身の唇を強く噛んでいた。
「ふふっ……。他の魔物は殺すことが出来たようだけれど……より親しんでいた彼女を君達は殺すことが出来るかな? たった数日、傍に居ただけでも人というものは他人にいとも容易く情を移すことが出来る生き物だからね。……きっと、難しいだろうよ」
「っ……」
出来ないだろう、と暗に告げられる言葉にアイリスはセプスを睨み返す。
だが、彼が言っている言葉は図星だ。親しくなった者をこの手にかける、それはアイリスにとって最も恐れていることだからだ。恐らく、リッカとクロイドを重ねてしまうからかもしれない。
クロイドもアイリスと同様に、動くことが出来ないようだった。リッカの弟であるライカがすぐ傍にいる手前、何を選択することが正しいのか分からないのだ。
「ははは……。本当に君達は優しいねぇ……。でも、他人への甘さが命取りになるんだよ、アイリス・ローレンス」
セプスは勝ち誇ったように胸を張りながら笑い飛ばしていく。リッカには手を出せないと分かっているからこその余裕が窺えた。
「さて、リッカ。ここにいる者達を全て食らい、焼き尽くしなさい。それが君への──魔物へと堕ちた、君への最初の命令だ」
「……」
セプスの命令を理解しているのか、赤い鳥となったリッカはすっと目を細める。
……ああ、あの瞳は純粋なままなのに。
瞳は赤く光っているが、それでもリッカのものだとはっきり分かった。
宝石のように丸く、美しく、そして純粋さが込められたその瞳はリッカそのものだったのだ。
だからこそ尚更、リッカへと剣先を向けることを躊躇ってしまう。
何かいい方法はないだろうか。彼女を傷付けないまま、場を収めることは出来ないかとそればかり考えてしまった。
何より目の前でリッカを手にかければ、ただでさえ拭えない傷を負ったライカを更に傷付けてしまうだろう。
……どうすればいいの。
敵意を示すように赤い鳥は金切り声を上げて、両翼を揺らした。ぶわりと吹き抜けていく風には熱がこもっており、その熱風がアイリス達の頬に触れるように過ぎ去っていく。
「さぁ、行け。行くんだ。君の敵は目の前だよ、リッカ・スウェン」
存在を再確認するように、セプスはわざとらしくリッカの名前を呼ぶ。
耳にはライカの絶叫にも近い声が響いている。
そして、赤い鳥は自らの身体から炎を噴き出すように溢しながら、校舎の屋根からふわりと身体を浮かせたのだ。




