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寄生


「……女子は身支度の時間が長いって本当なんだな」


 クロイドは溜息交じりに呟きつつ、背中を壁にもたれたまま、シャワー室の扉に視線を向ける。


 正直に言えば、女子専用シャワー室の前で待機し続けなければならないのは、苦行にも近い行為だと思う。

 今の時間、人の目がそれほどないから助かっているものの、誰かが廊下を通れば咎められるような視線を送られるに決まっている。


 ……いや、別に女子専用のシャワー室を覗こうとしているわけじゃないし。


 自分にそういった趣味は全くないし、むしろ嫌悪感を抱く行為だと思っている。

 そう自分に言い聞かせつつも、やはり心は落ち着かないでいた。


 だが、アイリスとミレットを二人だけにするのはかなり心配だった。アイリスは魔物が持つ魔力を察知出来ないし、ミレットに至っては戦闘能力がない。

 彼女達の安全を守るためにも見張りは必要だと思ったので、こうやって待機しているのだ。


 そろそろ、二人がシャワー室から出て来るだろうかと、壁にもたれていた背を浮かした時だ。


「――きゃああっ!」


 ミレットの短い悲鳴が聞こえたクロイドは瞬時に、シャワー室の中から魔力反応を察知する。何があったのか、聞かなくても分かっていた。シャワー室内に魔物が出現したのだろう。


 だが、次の瞬間、それは起きた。


「――ッ!!」


 まるで、身体の一部を切り落とされたような叫び声がシャワー室から響いたのだ。


「っ!?」


 今の声は間違いなくアイリスだ。

 シャワー室の中で何かが起きたのだと判断したクロイドは、失礼過ぎる行為だと分かっていたが、一言の断りを入れることなく、シャワー室の扉を素早く開けた。


「アイリス!」


 クロイドが名前を呼んだ視線の先に見えたのは、尻餅を付いたままのミレットとその傍らに苦痛の表情を浮かべて倒れているアイリスだった。


 アイリスは下着姿のままで、床の上に倒れており、ミレットが涙目でクロイドの方へと振り返る。


「クロイド! アイリスが……。アイリスに、魔物がっ……」


「っ……」


 クロイドはすぐに二人に近づき、アイリスの傍らへと膝を立てる。そして、視界にはっきりと入って来た光景に、思わず息が止まりそうになった。


 下着姿の無防備な状態とも言えるアイリスの腹部に取って付けられたように張り付いていたのは、黒い魔物だったからだ。


 ミレットに状況説明を聞くよりも先に、クロイドはアイリスの腹部に針を立てて張り付いている魔物を剥がすべく、手を伸ばす。


「っ!」


 だが、黒い魔物の殻へと触れた瞬間、クロイドの手は電撃が走ったように、すぐさま跳ね返されてしまった。どうやら本当に魔物に防御の魔法がかけられているらしい。


「い、や……。アイリス、アイリス……!」


 涙を零しながら、ミレットがアイリスの名前を舌足らずに呼ぶ。身体を軽く揺さぶられても、アイリスは顔を顰めたまま気絶しているらしく、目を覚ますことはない。


 ミレットはかなり動揺しているらしく、普段の彼女と同一人物だと思えないほどに取り乱す様子に、目の前でアイリスが倒れていることが現実なのだとクロイドは改めて思い知らされる。


 ……アイリスに、魔物が寄生した。


 頭では分かっているのに、感情が追いついて来ていないことが幸いと言うべきなのか、ミレットほど取り乱さずに冷静でいられたのは、奇跡に近いだろう。


 だからこそ、何をすべきか身体が先に動いていた。クロイドは自身が着ていた薄手の白い上着を脱ぐと、それをアイリスの身体を包み込むように羽織らせた。


 そして、魔具である手袋をはめた手をアイリスの身体へとすっとかざす。


「――不可視の幻鏡インヴィジブル・ミロワール


 瞬間、魔法がしっかりとかかったのか、アイリスの姿が少しずつ透明なものへと変わっていく。


 姿を完全に隠し切るための不可視の魔法を彼女にかけた理由はただ一つ。医務室までアイリスを運ぶ間に彼女の今の姿を誰にも見られないようにするためだ。

 着替えさせた後に運んだ方が良いのかもしれないが、今は時間に猶予がなかった。


「ミレット!」


 クロイドは動揺したまま、アイリスの名前を呼び続けるミレットを叱責する。


「しっかりしろ、ミレット!」


「……」


 厳しめの声で話しつつ、クロイドは周りからは透明な姿に映るように魔法がかかったアイリスを両腕で掬い取るように抱える。

 アイリスの身体はそれまでお湯を浴びていたこともあってか、かなり温かかった。


「アイリスは俺が医務室まで運ぶ。……ミレット、怪我はしていないか?」


「わ、私は……大丈夫。アイリスが……助けて、くれたから……」


 クロイドから穏やかに話しかけられる言葉に少しだけ落ち着きを取り戻したのか、ミレットはやっと瞳に力を入れて、目元を手の甲で軽く拭った。


 やはり、親友であるアイリスが魔物に寄生されたことが信じられずにいたのだろう。ミレットの身体はまだ震えているままだ。


「落ち着いてからで構わない。君も後から医務室に来てくれ」


「わ、分かったわ」


 今度はしっかりと頷き返してから、ミレットはゆっくりと腰を上げる。

 ミレットの身体は少しふらついているようだが、それでも彼女の足はしっかりと立ち上がっていた。これなら、一人でも歩けるだろう。


 クロイドはアイリスを抱えたまま、飛び出すようにシャワー室を出る。


 この際、他人に女子専用シャワー室から出て来たところ見られて、後から何を言われようが構いはしない。優先するべきはアイリスの無事だ。


 だが、シャワー室がある寮の3階から別棟に置かれている医務室までかなりの距離がある。

 クロイドは階段を使わずに、廊下の壁に作られている窓へと駆けるように近付く。アイリスを抱えているため、手が空いていないがそれでもクロイドは弾丸を放つように、窓に向かって真っすぐ呪文を唱えた。


「――扉よ、解き放てポルータ・リベラティオ!」


 魔法の呪文を詠唱した途端に、閉じていた窓は一気に外開きに開いていく。


 クロイドは試作品として譲られた「青嵐の靴(ブルゲイル・ブーツ)」の右足の踵を3回、床を鳴らすように叩くと、軽く跳躍しては窓のふちに足をかけて、そのまま窓の外へと飛び出した。

 

 今の時期が寒い時期でなくて、本当に良かったと思う。でなければ、服を着ていないアイリスを外に出すようなことはしたくはない。


 許可を取らないまま、アイリスをこのような形で抱きかかえて運ぶことは悪いと思っている。それでも、時短のためには仕方がなかった。


 頭の中で巡るのは混乱よりも焦燥。

 両腕の中で目を閉じたままのアイリスが、昼間に見た魔物に寄生された団員のような姿になるのだけはどうしても避けたかった。


 ……アイリス、どうか――。


 クロイドは別棟の建物の屋根に着地するとそのまま、屋根の上を駆け抜けては最短の距離で医務室を目指していく。


 どうして、このようなことになったのかと嘆く暇などない。だが、寄生している魔物を剥がすための方法は未だに見つかっていないのだ。


 歯を食いしばったまま、クロイドはただひたすらに突風のように、鈍く光る月の下を駆け抜けて行った。


 


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